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共同親権法改正して親子の差別を撤廃!

学会の大会に向けて準備中

フルコースで学ぶ予定
自身の研究発表もあるから、差別問題について研ぎすましている

差別はよくないけど、
単なる「違い」なだけだよ

憲法14条が平等原則を掲げるも、その意味合いは奥深い

単なる違いを全否定するわけでもないのであり、平等原則が禁止する「差別」の定義は狭い

だから、理不尽な事態に直面して差別を受けているのだと訴えても、最初は、こう突っぱねられてしまう

ひとひねりして、よくよく冷静に見極めていくと、「法律の差別」が見つかる

「法的差別的取扱い」はしているけど、
「していい差別」だよ


次なるステップでは、こうなる、差別はしているけど、していい差別なのだ、と理由を挙げるのである

差別ではなく違いなだけ、という言い方も、差別だけどしていい差別、という言い方も結論としては、「平等原則に違反しない」になるわけだけど、議論のステージはだいぶ違う

「していい差別」であるという理由付け

目的審査と合理的関連性の審査


差別している目的は何なのか、その目的に適う差別なのか、そういうチェックをする議論になっていく

過去の差別問題について振り返ってみよう

憲法一四条一項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であつて、同項後段列挙の事項は例示的なものであること、およびこの平等の要請は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日・民集一八巻四号六七六頁)の示すとおりである。そして、刑法二〇〇条は、自己または配偶者の直系尊属を殺した者は死刑または無期懲役に処する旨を規定しており、被害者と加害者との間における特別な身分関係の存在に基づき、同法一九九条の定める普通殺人の所為と同じ類型の行為に対してその刑を加重した、いわゆる加重的身分犯の規定であつて(最高裁昭和三〇年(あ)第三二六三号同三一年五月二四日第一小法廷判決・刑集一〇巻五号七三四頁)、このように刑法一九九条のほかに同法二〇〇条をおくことは、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたるというべきである。そこで、刑法二〇〇条憲法の右条項に違反するかどうかが問題となるのであるが、それは右のような差別的取扱いが合理的な根拠に基づくものであるかどうかによつて決せられるわけである。
 当裁判所は、昭和二五年一〇月以来、刑法二〇〇条憲法一三条一四条一項二四条二項等に違反するという主張に対し、その然らざる旨の判断を示している。もつとも、最初に刑法二〇〇条憲法一四条に違反しないと判示した大法廷判決(昭和二四年(れ)第二一〇五号同二五年一〇月二五日・刑集四巻一〇号二一二六頁)も、法定刑が厳に過ぎる憾みがないではない旨を括弧書において判示していたほか、情状特に憫諒すべきものがあつたと推測される事案において、合憲性に触れることなく別の理由で同条の適用を排除した事例も存しないわけではない(最高裁昭和二八年(あ)第一一二六号同三二年二月二〇日大法廷判決・刑集一一巻二号八二四頁、同三六年(あ)第二四八六号同三八年一二月二四日第三小法廷判決・刑集一七巻一二号二五三七頁)。また、現行刑法は、明治四〇年、大日本帝国憲法のもとで、第二三回帝国議会の協賛により制定されたものであつて、昭和二二年、日本国憲法のもとにおける第一回国会において、憲法の理念に適合するようにその一部が改正された際にも、刑法二〇〇条はその改正から除外され、以来今日まで同条に関し格別の立法上の措置は講ぜられていないのであるが、そもそも同条設置の思想的背景には、中国古法制に渕源しわが国の律令制度や徳川幕府の法制にも見られる尊属殺重罰の思想が存在すると解されるほか、特に同条が配偶者の尊属に対する罪をも包含している点は、日本国憲法により廃止された「家」の制度と深い関連を有していたものと認められるのである。さらに、諸外国の立法例を見るに、右の中国古法制のほかローマ古法制などにも親殺し厳罰の思想があつたもののごとくであるが、近代にいたつてかかる思想はしだいにその影をひそめ、尊属殺重罰の規定を当初から有しない国も少なくない。そして、かつて尊属殺重罰規定を有した諸国においても近時しだいにこれを廃止しまたは緩和しつつあり、また、単に尊属殺のみを重く罰することをせず、卑属、配偶者等の殺害とあわせて近親殺なる加重要件をもつ犯罪類型として規定する方策の講ぜられている例も少なからず見受けられる現状である。最近発表されたわが国における「改正刑法草案」にも、尊属殺重罰の規定はおかれていない。
 このような点にかんがみ、当裁判所は、所論刑法二〇〇条の憲法適合性につきあらためて検討することとし、まず同条の立法目的につき、これが憲法一四条一項の許容する合理性を有するか否かを判断すると、次のように考えられる。
 刑法二〇〇条の立法目的は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することをもつて一般に高度の社会的道義的非難に値するものとし、かかる所為を通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もつて特に強くこれを禁圧しようとするにあるものと解される。ところで、およそ、親族は、婚姻と血縁とを主たる基盤とし、互いに自然的な敬愛と親密の情によつて結ばれていると同時に、その間おのずから長幼の別や責任の分担に伴う一定の秩序が存し、通常、卑属は父母、祖父母等の直系尊属により養育されて成人するのみならず、尊属は、社会的にも卑属の所為につき法律上、道義上の責任を負うのであつて、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値するものといわなければならない。しかるに、自己または配偶者の直系尊属を殺害するがごとき行為はかかる結合の破壊であつて、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は特に重い非難に値するということができる。
 このような点を考えれば、尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。そこで、被害者が尊属であることを犯情のひとつとして具体的事件の量刑上重視することは許されるものであるのみならず、さらに進んでこのことを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、かかる差別的取扱いをもつてただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはできず、したがつてまた、憲法一四条一項に違反するということもできないものと解する。
 さて、右のとおり、普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲であるとはいえないのであるが、しかしながら、刑罰加重の程度いかんによつては、かかる差別の合理性を否定すべき場合がないとはいえない。すなわち、加重の程度が極端であつて、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならない。
 この観点から刑法二〇〇条をみるに、同条の法定刑は死刑および無期懲役刑のみであり、普通殺人罪に関する同法一九九条の法定刑が、死刑、無期懲役刑のほか三年以上の有期懲役刑となつているのと比較して、刑種選択の範囲が極めて重い刑に限られていることは明らかである。もつとも、現行刑法にはいくつかの減軽規定が存し、これによつて法定刑を修正しうるのであるが、現行法上許される二回の減軽を加えても、尊属殺につき有罪とされた卑属に対して刑を言い渡すべきときには、処断刑の下限は懲役三年六月を下ることがなく、その結果として、いかに酌量すべき情状があろうとも法律上刑の執行を猶予することはできないのであり、普通殺の場合とは著しい対照をなすものといわなければならない。
 もとより、卑属が、責むべきところのない尊属を故なく殺害するがごときは厳重に処罰すべく、いささかも仮借すべきではないが、かかる場合でも普通殺人罪の規定の適用によつてその目的を達することは不可能ではない。その反面、尊属でありながら卑属に対して非道の行為に出で、ついには卑属をして尊属を殺害する事態に立ち至らしめる事例も見られ、かかる場合、卑属の行為は必ずしも現行法の定める尊属殺の重刑をもつて臨むほどの峻厳な非難には値しないものということができる。
 量刑の実状をみても、尊属殺の罪のみにより法定刑を科せられる事例はほとんどなく、その大部分が減軽を加えられており、なかでも現行法上許される二回の減軽を加えられる例が少なくないのみか、その処断刑の下限である懲役三年六月の刑の宣告される場合も決して稀ではない。このことは、卑属の背倫理性が必ずしも常に大であるとはいえないことを示すとともに、尊属殺の法定刑が極端に重きに失していることをも窺わせるものである。
 このようにみてくると、尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点(現行刑法上、これは外患誘致罪を除いて最も重いものである。)においてあまりにも厳しいものというべく、上記のごとき立法目的、すなわち、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。
 以上のしだいで、刑法二〇〇条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限つている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならず、したがつて、尊属殺にも刑法一九九条を適用するのほかはない。この見解に反する当審従来の判例はこれを変更する。
 そこで、これと見解を異にし、刑法二〇〇条憲法に違反しないとして、被告人の本件所為に同条を適用している原判決は、憲法の解釈を誤つたものにほかならず、かつ、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、所論は結局理由がある。

初の違憲判決における尊属殺重罰規定の差別問題

尊属殺を普通の殺人よりも重く処罰する「目的」はよいけど、「差別しすぎはダメ」だから、「していい差別」ではないよ、というようなところ

ここは、試験でもよく出てきたなー

続けて今となっては、親子法制改正で完全撤廃された再婚禁止期間については、違憲判決が出るまでも長い期間放置されてきた

合憲判断判決を見てみよう

再婚禁止期間について男女間に差異を設ける民法七三三条憲法一四条一項の一義的な文言に違反すると主張するが、合理的な根拠に基づいて各人の法的取扱いに区別を設けることは憲法一四条一項に違反するものではなく、民法七三三条の元来の立法趣旨が、父性の推定の重複を回避し、父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解される以上、国会が民法七三三条を改廃しないことが直ちに前示の例外的な場合に当たると解する余地のないことが明らかである。したがって、同条についての国会議員の立法行為は、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受けるものではないというべきである。

最高裁平成7年12月5日判決
なんか、内容もあっさり

再婚禁止期間は女性にだけ課されて男女差別をしているけど、父性の推定重複回避といった立法趣旨だから、「していい差別」だよ、という具合

それが20年経って

憲法一四条一項は、法の下の平等を定めており、この規定が、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁最高裁昭和四五年(あ)第一三一〇号同四八年四月四日大法廷判決・刑集二七巻三号二六五頁等)。そして、本件規定は、女性についてのみ前婚の解消又は取消しの日から六箇月の再婚禁止期間を定めており、これによって、再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別しているから、このような区別をすることが事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には、本件規定は憲法一四条一項に違反することになると解するのが相当である。
 ところで、婚姻及び家族に関する事項は、国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものである。したがって、その内容の詳細については、憲法が一義的に定めるのではなく、法律によってこれを具体化することがふさわしいものと考えられる。憲法二四条二項は、このような観点から、婚姻及び家族に関する事項について、具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに、その立法に当たっては、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請、指針を示すことによって、その裁量の限界を画したものといえる。また、同条一項は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と規定しており、婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻をするかについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。婚姻は、これにより、配偶者の相続権(民法八九〇条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法七七二条一項等)などの重要な法律上の効果が与えられるものとされているほか、近年家族等に関する国民の意識の多様化が指摘されつつも、国民の中にはなお法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していると考えられることをも併せ考慮すると、上記のような婚姻をするについての自由は、憲法二四条一項の規定の趣旨に照らし、十分尊重に値するものと解することができる。
 そうすると、婚姻制度に関わる立法として、婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については、その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である。
 そこで、本件においては、上記の考え方に基づき、本件規定が再婚をする際の要件に関し男女の区別をしていることにつき、そのような区別をすることの立法目的に合理的な根拠があり、かつ、その区別の具体的内容が上記の立法目的との関連において合理性を有するものであるかどうかという観点から憲法適合性の審査を行うのが相当である。以下、このような観点から検討する。
 二 本件規定の立法目的について
 (1) 昭和二二年法律第二二二号による民法の一部改正(以下「昭和二二年民法改正」という。)により、旧民法(昭和二二年民法改正前の明治三一年法律第九号をいう。以下同じ。)における婚姻及び家族に関する規定は、憲法二四条二項で婚姻及び家族に関する事項について法律が個人の尊厳及び両性の本質的平等に立脚して制定されるべきことが示されたことに伴って大幅に変更され、憲法の趣旨に沿わない「家」制度が廃止されるとともに、上記の立法上の指針に沿うように、妻の無能力の規定の廃止など夫婦の平等を図り、父母が対等な立場から共同で親権を行使することを認めるなどの内容に改められた。
 その中で、女性についてのみ再婚禁止期間を定めた旧民法七六七条一項の「女ハ前婚ノ解消又ハ取消ノ日ヨリ六个月ヲ経過シタル後ニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得ス」との規定及び同条二項の「女カ前婚ノ解消又ハ取消ノ前ヨリ懐胎シタル場合ニ於テハ其分娩ノ日ヨリ前項ノ規定ヲ適用セス」との規定は、父性の推定に関する旧民法八二〇条一項の「妻カ婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子ト推定ス」との規定及び同条二項の「婚姻成立ノ日ヨリ二百日後又ハ婚姻ノ解消若クハ取消ノ日ヨリ三百日内ニ生レタル子ハ婚姻中ニ懐胎シタルモノト推定ス」との規定と共に、現行の民法にそのまま引き継がれた。
 (2) 現行の民法は、嫡出親子関係について、妻が婚姻中に懐胎した子を夫の子と推定し(民法七七二条一項)、夫において子が嫡出であることを否認するためには嫡出否認の訴えによらなければならず(同法七七五条)、この訴えは夫が子の出生を知った時から一年以内に提起しなければならない(同法七七七条)と規定して、父性の推定の仕組みを設けており、これによって法律上の父子関係を早期に定めることが可能となっている。しかるところ、上記の仕組みの下において、女性が前婚の解消等の日から間もなく再婚をし、子を出産した場合においては、その子の父が前夫であるか後夫であるかが直ちに定まらない事態が生じ得るのであって、そのために父子関係をめぐる紛争が生ずるとすれば、そのことが子の利益に反するものであることはいうまでもない。
 民法七三三条二項は、女性が前婚の解消等の前から懐胎していた場合には、その出産の日から本件規定の適用がない旨を規定して、再婚後に前夫の子との推定が働く子が生まれない場合を再婚禁止の除外事由として定めており、また、同法七七三条は、本件規定に違反して再婚をした女性が出産した場合において、同法七七二条の父性の推定の規定によりその子の父を定めることができないときは裁判所がこれを定めることを規定して、父性の推定が重複した場合の父子関係確定のための手続を設けている。これらの民法の規定は、本件規定が父性の推定の重複を避けるために規定されたものであることを前提にしたものと解される。
 (3) 以上のような立法の経緯及び嫡出親子関係等に関する民法の規定中における本件規定の位置付けからすると、本件規定の立法目的は、女性の再婚後に生まれた子につき父性の推定の重複を回避し、もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解するのが相当であり(最高裁平成四年(オ)第二五五号同七年一二月五日第三小法廷判決・裁判集民事一七七号二四三頁(以下「平成七年判決」という。)参照)、父子関係が早期に明確となることの重要性に鑑みると、このような立法目的には合理性を認めることができる。
 (4) これに対し、仮に父性の推定が重複しても、父を定めることを目的とする訴え(民法七七三条)の適用対象を広げることにより、子の父を確定することは容易にできるから、必ずしも女性に対する再婚の禁止によって父性の推定の重複を回避する必要性はないという指摘があるところである。
 確かに、近年の医療や科学技術の発達により、DNA検査技術が進歩し、安価に、身体に対する侵襲を伴うこともなく、極めて高い確率で生物学上の親子関係を肯定し、又は否定することができるようになったことは公知の事実である。
 しかし、そのように父子関係の確定を科学的な判定に委ねることとする場合には、父性の推定が重複する期間内に生まれた子は、一定の裁判手続等を経るまで法律上の父が未定の子として取り扱わざるを得ず、その手続を経なければ法律上の父を確定できない状態に置かれることになる。生まれてくる子にとって、法律上の父を確定できない状態が一定期間継続することにより種々の影響が生じ得ることを考慮すれば、子の利益の観点から、上記のような法律上の父を確定するための裁判手続等を経るまでもなく、そもそも父性の推定が重複することを回避するための制度を維持することに合理性が認められるというべきである。
 三 そうすると、次に、女性についてのみ六箇月の再婚禁止期間を設けている本件規定が立法目的との関連において上記の趣旨にかなう合理性を有すると評価できるものであるか否かが問題となる。以下、この点につき検討する。
 (1) 上記のとおり、本件規定の立法目的は、父性の推定の重複を回避し、もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解されるところ、民法七七二条二項は、「婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。」と規定して、出産の時期から逆算して懐胎の時期を推定し、その結果婚姻中に懐胎したものと推定される子について、同条一項が「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」と規定している。そうすると、女性の再婚後に生まれる子については、計算上一〇〇日の再婚禁止期間を設けることによって、父性の推定の重複が回避されることになる。夫婦間の子が嫡出子となることは婚姻による重要な効果であるところ、嫡出子について出産の時期を起点とする明確で画一的な基準から父性を推定し、父子関係を早期に定めて子の身分関係の法的安定を図る仕組みが設けられた趣旨に鑑みれば、父性の推定の重複を避けるため上記の一〇〇日について一律に女性の再婚を制約することは、婚姻及び家族に関する事項について国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものではなく、上記立法目的との関連において合理性を有するものということができる。
 よって、本件規定のうち一〇〇日の再婚禁止期間を設ける部分は、憲法一四条一項にも、憲法二四条二項にも違反するものではない。
 (2) これに対し、本件規定のうち一〇〇日超過部分については、民法七七二条の定める父性の推定の重複を回避するために必要な期間ということはできない。
 旧民法七六七条一項において再婚禁止期間が六箇月と定められたことの根拠について、旧民法起草時の立案担当者の説明等からすると、その当時は、専門家でも懐胎後六箇月程度経たないと懐胎の有無を確定することが困難であり、父子関係を確定するための医療や科学技術も未発達であった状況の下において、再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や、再婚後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって、父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から、再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間に限定せず、一定の期間の幅を設けようとしたものであったことがうかがわれる。また、諸外国の法律において一〇箇月の再婚禁止期間を定める例がみられたという事情も影響している可能性がある。上記のような旧民法起草時における諸事情に鑑みると、再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間に限定せず、一定の期間の幅を設けることが父子関係をめぐる紛争を未然に防止することにつながるという考え方にも理解し得る面があり、このような考え方に基づき再婚禁止期間を六箇月と定めたことが不合理であったとはいい難い。このことは、再婚禁止期間の規定が旧民法から現行の民法に引き継がれた後においても同様であり、その当時においては、国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものであったとまでいうことはできない。
 しかし、その後、医療や科学技術が発達した今日においては、上記のような各観点から、再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間に限定せず、一定の期間の幅を設けることを正当化することは困難になったといわざるを得ない。
 加えて、昭和二二年民法改正以降、我が国においては、社会状況及び経済状況の変化に伴い婚姻及び家族の実態が変化し、特に平成期に入った後においては、晩婚化が進む一方で、離婚件数及び再婚件数が増加するなど、再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっている事情も認めることができる。また、かつては再婚禁止期間を定めていた諸外国が徐々にこれを廃止する立法をする傾向にあり、ドイツにおいては一九九八年(平成一〇年)施行の「親子法改革法」により、フランスにおいては二〇〇五年(平成一七年)施行の「離婚に関する二〇〇四年五月二六日の法律」により、いずれも再婚禁止期間の制度を廃止するに至っており、世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっていることも公知の事実である。それぞれの国において婚姻の解消や父子関係の確定等に係る制度が異なるものである以上、その一部である再婚禁止期間に係る諸外国の立法の動向は、我が国における再婚禁止期間の制度の評価に直ちに影響を及ぼすものとはいえないが、再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっていることを示す事情の一つとなり得るものである。
 そして、上記のとおり、婚姻をするについての自由が憲法二四条一項の規定の趣旨に照らし十分尊重されるべきものであることや妻が婚姻前から懐胎していた子を産むことは再婚の場合に限られないことをも考慮すれば、再婚の場合に限って、前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や、婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって、父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から、厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間を超えて婚姻を禁止する期間を設けることを正当化することは困難である。他にこれを正当化し得る根拠を見いだすこともできないことからすれば、本件規定のうち一〇〇日超過部分は合理性を欠いた過剰な制約を課すものとなっているというべきである。
 以上を総合すると、本件規定のうち一〇〇日超過部分は、遅くとも上告人が前婚を解消した日から一〇〇日を経過した時点までには、婚姻及び家族に関する事項について国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものとして、その立法目的との関連において合理性を欠くものになっていたと解される。
 (3) 以上の次第で、本件規定のうち一〇〇日超過部分が憲法二四条二項にいう両性の本質的平等に立脚したものでなくなっていたことも明らかであり、上記当時において、同部分は、憲法一四条一項に違反するとともに、憲法二四条二項にも違反するに至っていたというべきである。

最高裁平成27年12月16日大法廷判決で違憲

100日までの再婚禁止期間は合理的関連性があるけど、100日以上は「していい差別」ではないねー、ってなった!でも、その後よくよく検討していくと、結局、全部撤廃ということになる

もうひとつ見てみる!嫡出子差別の問題も、かつては一旦合憲判断となっていた

 憲法14条1項適合性の判断基準について
 憲法14条1項は、法の下の平等を定めており、この規定が、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。
 相続制度は、被相続人の財産を誰に、どのように承継させるかを定めるものであるが、相続制度を定めるに当たっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならない。さらに、現在の相続制度は、家族というものをどのように考えるかということと密接に関係しているのであって、その国における婚姻ないし親子関係に対する規律、国民の意識等を離れてこれを定めることはできない。これらを総合的に考慮した上で、相続制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量判断に委ねられているものというべきである。この事件で問われているのは、このようにして定められた相続制度全体のうち、本件規定により嫡出子と嫡出でない子との間で生ずる法定相続分に関する区別が、合理的理由のない差別的取扱いに当たるか否かということであり、立法府に与えられた上記のような裁量権を考慮しても、そのような区別をすることに合理的な根拠が認められない場合には、当該区別は、憲法14条1項に違反するものと解するのが相当である。
 3 本件規定の憲法14条1項適合性について
 (1) 憲法24条1項は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定め、同条2項は、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と定めている。これを受けて、民法739条1項は、「婚姻は、戸籍法(中略)の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。」と定め、いわゆる事実婚主義を排して法律婚主義を採用している。一方、相続制度については、昭和22年法律第222号による民法の一部改正(以下「昭和22年民法改正」という。)により、「家」制度を支えてきた家督相続が廃止され、配偶者及び子が相続人となることを基本とする現在の相続制度が導入されたが、家族の死亡によって開始する遺産相続に関し嫡出でない子の法定相続分を嫡出子のそれの2分の1とする規定(昭和22年民法改正前の民法1004条ただし書)は、本件規定として現行民法にも引き継がれた。
 (2) 最高裁平成3年(ク)第143号同7年7月5日大法廷決定・民集49巻7号1789頁(以下「平成7年大法廷決定」という。)は、本件規定を含む法定相続分の定めが、法定相続分のとおりに相続が行われなければならないことを定めたものではなく、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて補充的に機能する規定であることをも考慮事情とした上、前記2と同旨の判断基準の下で、嫡出でない子の法定相続分を嫡出子のそれの2分の1と定めた本件規定につき、「民法が法律婚主義を採用している以上、法定相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優遇してこれを定めるが、他方、非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったものである」とし、その定めが立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって、憲法14条1項に反するものとはいえないと判断した。
 しかし、法律婚主義の下においても、嫡出子と嫡出でない子の法定相続分をどのように定めるかということについては、前記2で説示した事柄を総合的に考慮して決せられるべきものであり、また、これらの事柄は時代と共に変遷するものでもあるから、その定めの合理性については、個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に検討され、吟味されなければならない。
 (3) 前記2で説示した事柄のうち重要と思われる事実について、昭和22年民法改正以降の変遷等の概要をみると、次のとおりである。
 ア 昭和22年民法改正の経緯をみると、その背景には、「家」制度を支えてきた家督相続は廃止されたものの、相続財産は嫡出の子孫に承継させたいとする気風や、法律婚を正当な婚姻とし、これを尊重し、保護する反面、法律婚以外の男女関係、あるいはその中で生まれた子に対する差別的な国民の意識が作用していたことがうかがわれる。また、この改正法案の国会審議においては、本件規定の憲法14条1項適合性の根拠として、嫡出でない子には相続分を認めないなど嫡出子と嫡出でない子の相続分に差異を設けていた当時の諸外国の立法例の存在が繰り返し挙げられており、現行民法に本件規定を設けるに当たり、上記諸外国の立法例が影響を与えていたことが認められる。
 しかし、昭和22年民法改正以降、我が国においては、社会、経済状況の変動に伴い、婚姻や家族の実態が変化し、その在り方に対する国民の意識の変化も指摘されている。すなわち、地域や職業の種類によって差異のあるところであるが、要約すれば、戦後の経済の急速な発展の中で、職業生活を支える最小単位として、夫婦と一定年齢までの子どもを中心とする形態の家族が増加するとともに、高齢化の進展に伴って生存配偶者の生活の保障の必要性が高まり、子孫の生活手段としての意義が大きかった相続財産の持つ意味にも大きな変化が生じた。昭和55年法律第51号による民法の一部改正により配偶者の法定相続分が引き上げられるなどしたのは、このような変化を受けたものである。さらに、昭和50年代前半頃までは減少傾向にあった嫡出でない子の出生数は、その後現在に至るまで増加傾向が続いているほか、平成期に入った後においては、いわゆる晩婚化、非婚化、少子化が進み、これに伴って中高年の未婚の子どもがその親と同居する世帯や単独世帯が増加しているとともに、離婚件数、特に未成年の子を持つ夫婦の離婚件数及び再婚件数も増加するなどしている。これらのことから、婚姻、家族の形態が著しく多様化しており、これに伴い、婚姻、家族の在り方に対する国民の意識の多様化が大きく進んでいることが指摘されている。
 イ 前記アのとおり本件規定の立法に影響を与えた諸外国の状況も、大きく変化してきている。すなわち、諸外国、特に欧米諸国においては、かつては、宗教上の理由から嫡出でない子に対する差別の意識が強く、昭和22年民法改正当時は、多くの国が嫡出でない子の相続分を制限する傾向にあり、そのことが本件規定の立法に影響を与えたところである。しかし、1960年代後半(昭和40年代前半)以降、これらの国の多くで、子の権利の保護の観点から嫡出子と嫡出でない子との平等化が進み、相続に関する差別を廃止する立法がされ、平成7年大法廷決定時点でこの差別が残されていた主要国のうち、ドイツにおいては1998年(平成10年)の「非嫡出子の相続法上の平等化に関する法律」により、フランスにおいては2001年(平成13年)の「生存配偶者及び姦生子の権利並びに相続法の諸規定の現代化に関する法律」により、嫡出子と嫡出でない子の相続分に関する差別がそれぞれ撤廃されるに至っている現在、我が国以外で嫡出子と嫡出でない子の相続分に差異を設けている国は、欧米諸国にはなく、世界的にも限られた状況にある
 ウ 我が国は、昭和54年に「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(昭和54年条約第7号)を、平成6年に「児童の権利に関する条約」(平成6年条約第2号)をそれぞれ批准した。これらの条約には、児童が出生によっていかなる差別も受けない旨の規定が設けられている。また、国際連合の関連組織として、前者の条約に基づき自由権規約委員会が、後者の条約に基づき児童の権利委員会が設置されており、これらの委員会は、上記各条約の履行状況等につき、締約国に対し、意見の表明、勧告等をすることができるものとされている。
 我が国の嫡出でない子に関する上記各条約の履行状況等については、平成5年に自由権規約委員会が、包括的に嫡出でない子に関する差別的規定の削除を勧告し、その後、上記各委員会が、具体的に本件規定を含む国籍、戸籍及び相続における差別的規定を問題にして、懸念の表明、法改正の勧告等を繰り返してきた。最近でも、平成22年に、児童の権利委員会が、本件規定の存在を懸念する旨の見解を改めて示している。
 エ 前記イ及びウのような世界的な状況の推移の中で、我が国における嫡出子と嫡出でない子の区別に関わる法制等も変化してきた。すなわち、住民票における世帯主との続柄の記載をめぐり、昭和63年に訴訟が提起され、その控訴審係属中である平成6年に、住民基本台帳事務処理要領の一部改正(平成6年12月15日自治振第233号)が行われ、世帯主の子は、嫡出子であるか嫡出でない子であるかを区別することなく、一律に「子」と記載することとされた。また、戸籍における嫡出でない子の父母との続柄欄の記載をめぐっても、平成11年に訴訟が提起され、その第1審判決言渡し後である平成16年に、戸籍法施行規則の一部改正(平成16年法務省令第76号)が行われ、嫡出子と同様に「長男(長女)」等と記載することとされ、既に戸籍に記載されている嫡出でない子の父母との続柄欄の記載も、通達(平成16年11月1日付け法務省民一第3008号民事局長通達)により、当該記載を申出により上記のとおり更正することとされた。さらに、最高裁平成18年(行ツ)第135号同20年6月4日大法廷判決・民集62巻6号1367頁は、嫡出でない子の日本国籍の取得につき嫡出子と異なる取扱いを定めた国籍法3条1項の規定(平成20年法律第88号による改正前のもの)が遅くとも平成15年当時において憲法14条1項に違反していた旨を判示し、同判決を契機とする国籍法の上記改正に際しては、同年以前に日本国籍取得の届出をした嫡出でない子も日本国籍を取得し得ることとされた。
 オ 嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を平等なものにすべきではないかとの問題についても、かなり早くから意識されており、昭和54年に法務省民事局参事官室により法制審議会民法部会身分法小委員会の審議に基づくものとして公表された「相続に関する民法改正要綱試案」において、嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を平等とする旨の案が示された。また、平成6年に同じく上記小委員会の審議に基づくものとして公表された「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」及びこれを更に検討した上で平成8年に法制審議会が法務大臣に答申した「民法の一部を改正する法律案要綱」において、両者の法定相続分を平等とする旨が明記された。さらに、平成22年にも国会への提出を目指して上記要綱と同旨の法律案が政府により準備された。もっとも、いずれも国会提出には至っていない。
 カ 前記ウの各委員会から懸念の表明、法改正の勧告等がされた点について同エのとおり改正が行われた結果、我が国でも、嫡出子と嫡出でない子の差別的取扱いはおおむね解消されてきたが、本件規定の改正は現在においても実現されていない。その理由について考察すれば、欧米諸国の多くでは、全出生数に占める嫡出でない子の割合が著しく高く、中には50%以上に達している国もあるのとは対照的に、我が国においては、嫡出でない子の出生数が年々増加する傾向にあるとはいえ、平成23年でも2万3000人余、上記割合としては約2.2%にすぎないし、婚姻届を提出するかどうかの判断が第1子の妊娠と深く結び付いているとみられるなど、全体として嫡出でない子とすることを避けようとする傾向があること、換言すれば、家族等に関する国民の意識の多様化がいわれつつも、法律婚を尊重する意識は幅広く浸透しているとみられることが、上記理由の一つではないかと思われる。
 しかし、嫡出でない子の法定相続分を嫡出子のそれの2分の1とする本件規定の合理性は、前記2及び(2)で説示したとおり、種々の要素を総合考慮し、個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らし、嫡出でない子の権利が不当に侵害されているか否かという観点から判断されるべき法的問題であり、法律婚を尊重する意識が幅広く浸透しているということや、嫡出でない子の出生数の多寡、諸外国と比較した出生割合の大小は、上記法的問題の結論に直ちに結び付くものとはいえない。
 キ 当裁判所は、平成7年大法廷決定以来、結論としては本件規定を合憲とする判断を示してきたものであるが、平成7年大法廷決定において既に、嫡出でない子の立場を重視すべきであるとして5名の裁判官が反対意見を述べたほかに、婚姻、親子ないし家族形態とこれに対する国民の意識の変化、更には国際的環境の変化を指摘して、昭和22年民法改正当時の合理性が失われつつあるとの補足意見が述べられ、その後の小法廷判決及び小法廷決定においても、同旨の個別意見が繰り返し述べられてきた(最高裁平成11年(オ)第1453号同12年1月27日第一小法廷判決・裁判集民事196号251頁最高裁平成14年(オ)第1630号同15年3月28日第二小法廷判決・裁判集民事209号347頁最高裁平成14年(オ)第1963号同15年3月31日第一小法廷判決・裁判集民事209号397頁最高裁平成16年(オ)第992号同年10月14日第一小法廷判決・裁判集民事215号253頁最高裁平成20年(ク)第1193号同21年9月30日第二小法廷決定・裁判集民事231号753頁等)。特に、前掲最高裁平成15年3月31日第一小法廷判決以降の当審判例は、その補足意見の内容を考慮すれば、本件規定を合憲とする結論を辛うじて維持したものとみることができる。
 ク 前記キの当審判例の補足意見の中には、本件規定の変更は、相続、婚姻、親子関係等の関連規定との整合性や親族・相続制度全般に目配りした総合的な判断が必要であり、また、上記変更の効力発生時期ないし適用範囲の設定も慎重に行うべきであるとした上、これらのことは国会の立法作用により適切に行い得る事柄である旨を述べ、あるいは、速やかな立法措置を期待する旨を述べるものもある。
 これらの補足意見が付されたのは、前記オで説示したように、昭和54年以降間けつ的に本件規定の見直しの動きがあり、平成7年大法廷決定の前後においても法律案要綱が作成される状況にあったことなどが大きく影響したものとみることもできるが、いずれにしても、親族・相続制度のうちどのような事項が嫡出でない子の法定相続分の差別の見直しと関連するのかということは必ずしも明らかではなく、嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を平等とする内容を含む前記オの要綱及び法律案においても、上記法定相続分の平等化につき、配偶者相続分の変更その他の関連する親族・相続制度の改正を行うものとはされていない。そうすると、関連規定との整合性を検討することの必要性は、本件規定を当然に維持する理由とはならないというべきであって、上記補足意見も、裁判において本件規定を違憲と判断することができないとする趣旨をいうものとは解されない。また、裁判において本件規定を違憲と判断しても法的安定性の確保との調和を図り得ることは、後記4で説示するとおりである。
 なお、前記(2)のとおり、平成7年大法廷決定においては、本件規定を含む法定相続分の定めが遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて補充的に機能する規定であることをも考慮事情としている。しかし、本件規定の補充性からすれば、嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を平等とすることも何ら不合理ではないといえる上、遺言によっても侵害し得ない遺留分については本件規定は明確な法律上の差別というべきであるとともに、本件規定の存在自体がその出生時から嫡出でない子に対する差別意識を生じさせかねないことをも考慮すれば、本件規定が上記のように補充的に機能する規定であることは、その合理性判断において重要性を有しないというべきである。
 (4) 本件規定の合理性に関連する以上のような種々の事柄の変遷等は、その中のいずれか一つを捉えて、本件規定による法定相続分の区別を不合理とすべき決定的な理由とし得るものではない。しかし、昭和22年民法改正時から現在に至るまでの間の社会の動向、我が国における家族形態の多様化やこれに伴う国民の意識の変化、諸外国の立法のすう勢及び我が国が批准した条約の内容とこれに基づき設置された委員会からの指摘、嫡出子と嫡出でない子の区別に関わる法制等の変化、更にはこれまでの当審判例における度重なる問題の指摘等を総合的に考察すれば、家族という共同体の中における個人の尊重がより明確に認識されてきたことは明らかであるといえる。そして、法律婚という制度自体は我が国に定着しているとしても、上記のような認識の変化に伴い、上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。
 以上を総合すれば、遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては、立法府の裁量権を考慮しても、嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていたというべきである。
 したがって、本件規定は、遅くとも平成13年7月当時において、憲法14条1項に違反していたものというべきである。

最高裁平成25年9月4日大法廷判決

かつては、法律婚の尊重を理由に、「していい差別」として扱っていて嫡出子相続分差別規定だけど、「していい差別」ではなくなったよ、と宣言されているのである

「していい差別」は、「していい差別」ではないという判断になりうるということ

そのための議論を盛り上げていかなければならない


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