不当判決分析後半〜子育てってよくわからない!って開き直る裁判所の闇?エリート組織、子育てをしてこなかったから、子育てを軽んじる〜固定的性別役割分業の果てに造られた家族法実務構造の問題
共同親権が止まらない
昨日に続き、不当判決分析をする
昨日は補正部分を確認
判決はこちらで公開
後半を☑
↓
養育権の外延がわかんない~といいつつ、
子と同居し生活を共にすること、
子に毎日の食事を与え、睡眠をとらせること、
子に教育を受けさせること、
子の生活のために必要な費用を負担すること、
子の日々の生活に必要な事項を決定すること、
子の進学先や医療方針を選択決定すること、
子の財産を管理すること
⇑わかってるっしょ、養育・子育てが何なのか
それが全部奪われているわけよ、全く会えないだけではなく、制限的にしか会えなくてもしかり
子の監護及び養育はけっして
今日的な問題ではない
そう昔からの営み
だから、自然権なんじゃないの???
海外と比べて、内心の自由が明記されているのは珍しくって、日本国憲法にそれがあるのは、それを踏みにじってきた歴史的な反省があるもの
かつて尊属殺重罰規定もあったほどの国で、親はそもそも敬うものという価値観がすでにあったのではないか
確立しているからこそ、明記もされなかった
いかようにもツッコミがいれられるが、なかなか子育てをバカにしているのがよく伝わってくる
子育ての尊さ・親としての営み
尊重しません!とハッキリと宣言したようなものである
そんな司法の姿勢で、形式的に共同親権の条文になったところで、果たして
ある種不安感はわかる
親が子を養育すること、それ自体の尊重を否定する国である
共同養育という価値だけ掲げて、納得もしていなかったり、スキルもなければ、反対派が懸念する苦痛の継続というのもまんざらでもないような気がしてしまう
割と歓迎できないと思っているのはこういうこと↓
共同養育後の紛争再燃・断絶相談、増えてます
うまく連れ去りを回避したとしても、根本的なスキル(おそらくCoそだて的には、リーガルマインドとコミュニケーション術と理解)の習得がなければ、単に親子断絶の先延ばしなだけで、時間の問題だったりする
家庭裁判所の審判では到底出なそうな、毎週末交流みたいな高頻度の交流をすることで取り決めをしたはいいが、1年も持たずに紛争が再燃し、結局、従来型の弁護士に依頼され、家裁実務とかけ離れた異常な高頻度の交流を取り決めているが真意に沿うものではなく、実際に負担となっているから、通常どおり、月1に減らすー、しばらく断絶ーというような面会交流事件の申立が起きていたりする
共同監護を安定して継続しているのは・・・
まきコーチしか知らない!
あるいは、ガチガチの債務名義を得るべく、裁判手続を重ねて徹底して争った果てに、とか
高葛藤になりたくない、ではなくて
争いたくない、でもなくて
徹底して抗戦モードで挑まれているのだから
防衛のための闘いをしなければならない
争わない、真の実像とは
実際にいる
どちらかというと、別居親が被害者となっていて、会いに行くというアプローチ自体、怖い感情が上回ってしまったりする
会いに行かないという解決
”会えない”とは違うフェーズだったりする
自ら、『会いに行かない』、のだ
心身の回復を優先し、自身の幸福や夢に向かって人生を前進させること
単独親権制の今は、ある意味その選択肢が確立しているともいえる
再婚することだって、幸せに生きるひとつの方法として尊重されていい
共同親権によって、共同養育が変わる!
離婚するって決めた相手なのだ、もう他人として、マダ妻マダ夫的に期待して、喧騒を続けるようなこともなく、揉めない距離を確立した中で、親子関係を育んでいくこと
離婚ができなくなる心配の声も、わからなくもないのである