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単独親権制における共同親権と共同親権制における共同親権は、違う

ひさびさに見出し絵を借りる

最近は、自作見出しにはまっていたけど、うまくヒットしなくて

心配が尽きない中、ついにリアクションしてみてしまった

びっくりしたけども、でも不思議ではないことだもの、そりゃ起こってしまう

せめて、司法に長けているからこそ、共同監護協議を実践して欲しかった・・・

法曹業界について知っているからこそっていうその発想が、もはや悲しい

一見最先端なようで、一番明治時代に近いことが露見されてしまう

いろいろなリアクションも拝見して、頼もしい先生方がサポートされてそうだし、ご本人も頼もしい

もしかしたら、と期待もしてしまう

奇しくも2年半前の記事

連れ去られたとき、母親であれば、迷わず取り戻す行動をするのではないかという意識が自然にあること。父親であっても同じであることが通用しないことこそ悲観すべきではあるが,ここはあえて味方を集めやすくするためのことをする。その行動をだれも非難しないということを味方にしていく。親権者は母親であるべきというのは,アンコンシャスバイアスそのものだろうが、多くの司法関係者も、連れ去られ被害者が母親であれば、その事の重大性が直感的に理解できるものと想像する。
応援する弁護団も結成されるかもしれない。

女性のために救済しようという弁護士の取り組みが,活性化していけば・・・。
ひょっとしたら,共同親権制にたどりつくスピードが上がるようにも思う。

弁護団結成されるかもね、ほんとに

で、とにかく時間が勝負、のようなものも見られた

遅いよりはいいが、スピード自体は、そこまで、でもないと思っている

そう連れ去られて1週間以内に申し立てることができる場合でもないので、右往左往してようやく当事務所にたどりつき(それまでほかの弁護士に依頼しつつ、何も動き出さない危機感からさらに法律相談を重ねていたケースなど)、結局、面談して、依頼を受け、申立準備をして、ってしているうちに、申立が別居から1か月くらい経ってしまうこともある(それでも、子どもは戻ってきた前例に基づいている)

大切なのは・・・、これは、有料記事にするとして、タイトル及び見出し絵にヤマアラシをセレクトした件について述べたいと思う

そして、不本意にも別居親になったときの対応策として、注意しなければならない点についても啓蒙したい

今は、単独親権制である

言わずもがなな上、しかも、これを維持しようという声さえもある

単独親権制だから、共同養育は自己責任

決して、共同養育という理念は否定されていないし、禁止もしていない

離婚したら、片方の親だけで養育しろ、なんていうことは法は書いていない

政策的にも、離婚しても父母に変わりがないから、養育費を分担し、面会交流をしましょう、という呼びかけ程度はある

でも、社会がするのはそこまで
共同養育できる人はしていいよ、しか言わない

離婚届を出す際には、養育費と面会交流について協議したのかアンケート欄はあるけども、実際に協議をしたのか、協議の内容が妥当か、というところまでのおせっかいはしないし、協議をしていなくても、離婚届はその他の方式が整っていれば受理されていく

共同養育をしたければ、自前で協議して協力すること、必要に応じて、民間が用意しているプログラム(有料)を受講して、支援(有料)を得ながら、開拓してもよい

塾みたいなものかな?結果は約束されないっていう

だいたいが、単独親権制は、非婚の父母には一方しか親権を与えない、一方は必ず、親権者ではなくなってしまうという制度なので、要は、単独親権者であっても安心はできず、非親権者が常に、親権者変更をしかけてくるかもしれないプレッシャーの中で協力しようがない事態を引き起こしていく

ま、だから、ヤマアラシのジレンマになぞらえて、ヤマアラシの見出し絵をセレクトしてみた!!本当に、デンジャー

ちょっと元のジレンマの意味とは違うかもしれないけど、似ているのではないだろうか

協力したくてもできなくなっていく、近づきすぎると痛いからだ

本当に穏やかに円満で、いわばヤマアラシの毛(針のようにもなる)が逆立つこともないときはともかく(だから、協力しましょう!ってなる)、そうでなければ、距離を置くしかなくなってしまう

父母をヤマアラシの状態にさせていくのが単独親権制である

チラっとお見掛けする、早期対応で、子どもを取り戻す策というのも従来からあるし、当事務所もそれによって解決実績例もある

でも、ちらちらっとまた見えるのは、多くは悲劇的結末を迎えかねないという現実である

ヤマアラシ同士では共同養育はできず、一方が傷つき弱って淘汰されるというオチがわかっているのに、闘いに向かわせる、そんなアドバイスになってやしないか

以前は、制度の問題によって親子断絶を引き起こしても、なすすべもなく諦めるしかないということは放置されてきた

この辺は、セカンドオピニオンを受けることでよく感じるのだけど、寄り添ってくれたはいいが、もっと負けるオチ、に加担してしまうことがあってはならないのではないかと自省も込めて思うのである

元々、弁護士が扱う民事紛争は、過去の経緯を踏まえて法律関係を明らかにしながら解決していくものだけど、家事事件においては、特に、子の養育をめぐる問題は、子自身が日々成長するのもあって、現在進行形で状況も変わるという点が特殊に思う

過去の実績をいくらぶつけて衝突したところで、その優劣はともかく(よっぽどな場合を除く)、これからどうするかという未来視点でなければ、結局、追い打ちになるしかないこともある

その辺の対応策について業界においてアップデートされているのか、定かではない

少なくとも弁護士会内における研修などが充実している実感はなく、その点、DV案件対応研修が頻繁に開催されていることとの違いを感じる
(研修のおかげで、遠慮なく保護命令申立を急ぎできました!その後、保護命令獲得!!離婚成立前に児童扶養手当受給できるなど、貢献した!)

ヤマアラシはネズミの仲間?

共同親権とは???

身を守るために針のような毛を持つようになったのも進化なのだろう、そうやって、たしかに、獰猛な肉食獣に攻撃されることもなくなったらしいのだけど、単独親権制において、ヤマアラシとなる父母は、共同養育しにくいままだ

いくら、共同養育がよいよと勧められても、実際、近づきにくいまま疎遠になっていくことが起こっている

最初は、元々ネズミだったのだ、攻撃性をなくして、ネズミに戻ろうよという話である

(動物に関する専門的な知識や、ジレンマ論の心理学的な専門知識を欠いてイメージで語っています)

しかし、単独親権制下において展開されてきた子どもが戻ってきたケースの手法は、それだけヤマアラシ化を焚きつけるものであり、結局死なせてしまうようなことがあるのではないか、という懸念を覚えるのである

ネズミをヤマアラシにさせない、ネズミをネズミのまま育てる、そいうような父母の在り方にこそ、希望が期待できるのではないか

共同監護体制を社会が支える共同親権制

近いようで、まったく違う

連れ去りに対する刑事責任が明確であるとしても、常にそれが発動することで、抑制されているわけではなく、それはそれとして、別居する際には共同監護協議をするよう働きかけがあり、また協議が実現しやすいよう支援者の体制まで整っているわけだ

禁止されているから連れ去らないのではなく、連れ去る必要もなく、円滑に別居協議ができる

このルールがあり、そのための費用の心配もない(公的サービスの利用ができる一方で、よりよいもののために民間サービスの利用も妨げられないのかな)から、連れ去ることなく、協議により別居ができ、さらに、速やかに面会交流も開始されていくわけだ

もしかしたらヤマアラシに進化しそうなネズミもおかげで、ネズミのまま、変わらず子育てができるようになる

法改正まで待ち遠しいところではあるけども、何も法改正を待たずとも、このヤマアラシにさせないアプローチの意義は再確認したい

麺会交流もオススメ

動き出していることを告知しつつ、以後さらに、マガジンご購読者特典化しようと思う


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