共同親権!最後まであきらめない!!骨抜きを食い止める唯一のチャンスを全力で活かそう!
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戦後生まれの父は昭和のサラリーマンらしく、専業主婦の母と私と弟を扶養する大黒柱で、おやこの時間なんてものを犠牲にしながら命がけで仕事をして(ホワイトカラー職ではあるから通常命の危険はないものの、大きくお腹を切る手術などそれなりに大病をしたこともあった)、稼ぎ、モラトリアム延長しまくってはシングルマザーにまでなっちゃった私を最後まで支えてくれた
今は、定年後の贅沢な時間を元気に過ごし、孫の行事を参観しては成長を見守ることを楽しみにしていたりする
父は優しくて怒られたことはない
そんなに語り尽くし話し込んだこともないけどもずっと見守って応援してくれていた
専業主婦の母と過ごす時間の方が圧倒的に長くてまさしく主たる監護者だったろう
母は私を23歳で出産した若い母だったから、高校生くらいになると身長も似た感じだし、人は仲良し母娘みたいにいう人もいた
実像は、反抗期という表現ではくくれないバトルが繰り広げられていたし、それは、子育てを手伝ってもらうようになってからも勃発することもあった
それでも、だ
離婚はしなかったのでもしもの話ではあるけども、単独親権制は、そんな父母のどちらか一方を選ばせるようなことを強いるわけで、そりゃ、不可能な話である
今の時代にいう共同養育とは別ものだけど、まさしく、私が育つには、父と母と両方が必要であった
大学を卒業する頃、父はまだ現役で仕事をしていて、何なら絶好調の部長職で活躍していた
お勉強ができて大学に進学した娘に伝える言葉が、会社に勤めてもつまらんぞ、であった
人生を開拓するのに、父のように大学に進学してみてから、と考えていたのに、いざ、そうやって大学生になって時代も違えど、社会の厳しさばかり実感する
教育学部で教職免許もとるべく教育実習も行ったけど、続けることの無理さを知る
司法試験を挑戦することは必然だったし、他に選択肢がなかったといえる
フツーの進路の先にこそ絶望しかない
じゃあどうすればよいかなんて、父は教えてくれなかった
そんなものなかったから仕方がない
自分で切り拓くしかないこと、それしかないけど勧めるわけでもない
まさしく地獄が待っているかもしれない
だからか、ひたすら静かに応援をし続けてくれたのである
受験生の半ばに出産して子育てをすることになり、初孫の誕生は嬉しくそして気にかけてもくれた
単身赴任状態で、母子家庭同然ながらロースクールに通う状況で、幼い孫がネグレクトなり虐待環境に陥るかもしれない
本気でそんな心配をしていた可能性がある
地方に転勤して、定年前の最後の勤めを続けている状況で、私と弟はそれぞれ離れて暮らして自立しており、主婦業の妻との穏やかな暮らしのはずだったけど、そんな私と息子が困窮しないように、クリーニングは自分で利用したり、それまで家のことはさっぱりだったはずなのに、自分のことは自分でするようにしながら、母を私たち親子の住まいに送り出し、そうやって、私の子育てと受験生の両立生活を支えてもらっていたのである
お互い東京に引っ越してきて、私は離婚してシングルマザーとなって、まだ受験を続けないといけないというとき、幼稚園に通う息子をオモチャ屋さんに連れていっては、定番のウルトラマンエッグを買ってくれて、そして、アイスクリーム屋さんでオヤツも食べて、そうやって、祖父と孫の交流を重ねていたりして
ひとりっこ時代の息子は、そうやってみんなの愛情を独占してのびのびと成長していったのである
ロースクールに通うことと、卒業後の合格するまでの日々を経済的に支えてくれたのは間違いなく父の存在が大きいし、それだけでなく、どれだけサポートしてもらったのか
ま、母にも散々、世話になっているけども
会社に勤めてもつまらないぞと父が言ったのは、いわゆる産休制度を利用してもマミートラックのような世界があるだけで、男女差別のある社会の現実を知ってのことだったろう
その後気づけば多少は改善されることもあっただろうけど、無理に反発しては組織の仕組みを変えることの手強さも知っていると、単に傷ついて終わることも想像していたのかもしれない
覚えているかもわからないけど、そんな指針をヒントに、私は自由業の道に進み実際、やりがいのある仕事に携わりながら、心地よい日々を暮らしている
私のことを母親として絶賛してくれる子どもたちにも恵まれていてこの上ない幸せである
あのとき、他学部から司法試験に挑戦するという無謀な冒険を止めもせず応援してくれたことがあってこそであり、そうやって、私は、もしかしたら、もっと知らない、つまらないことで傷つけられることの連続という経験をせずに済んできたのかもしれない
それゆえ、不意に遭うと免疫のないことだから、こんなにもダメージを引きずってしまうのだけど
それでいて、もしかして、と思い馳せる
すっかり優しいわが家の男児たちに限らず、仕事で出会う同志たちは基本的にはジェントルマンであり、たいていはこんな思いをすることもない
でも、対岸で闘い続けている先生方は、もっと当たり前にこんな思いを繰り返し受けていたのかもしれないなんて思うと、少し想像してしまう
そして、気の毒にも思う
教育の問題かもしれないし、時代の仕方なさもあるかもしれない
いちいちこんなことに向き合って傷つきたくもない
黙っている方が楽かもしれない
でも、そうすると、気付かないままで変わることもできなくなってしまう
傷つくということは、気付くこと、そうやってたくましくもなるから、傷ついてもいいんだよ、と教わることができた
傷つけるかもしれないことを恐れることでもないということかもしれない
気付かない人は傷つかないだろうし変わらないだろうけど、それはそれで心が軽くなっていく
見えなかった世界に気付くことが人生を開くことになるかもしれないし
もう、少し、いいかげんにしとかないといけないな!
立ち上がる!!
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