【共同親権】単独親権者の拒否権発動を阻止して、子どもの権利を守る
中間試案発表を待つ日々、びっくりした
どう評価すべきか悩ましい
各情報に触れて期待
週末は、法制審議事録読みを休んで、より細かい検討を進めることにする
DVや虐待が深刻なのは、少数派であって、例外的に対応すればよい、と一言で語られる、その「例外的な対応」自体は十分に用意しておく必要があるように思う
面前DVや虐待によって、子どもの権利が侵害されているときは、もちろん親権者としてふさわしくない
そういうときには、親権停止あるいは親権喪失という制度が用意されているわけだけど、これがなかなか機能していないという指摘もある
問題は、民法上の条文の書きぶりにかかわらず、親権停止を発動する担い手が児相の専権として扱われていることに由来していると思われる
痛ましい虐待報道があれば、児相は何をしていたのだという強い非難を浴びることになるほど、児相への期待が高まっているわけだが、それにしても、虐待報道が止むことはない
役割分担がなされていない
児相に権限や立場を集中させすぎていることが機能不全を招いているようにも思う
親権者が、単独だと、親権行使の全権を掌握し、基本的には子どもの利益に沿って発動することが期待されるが、逆に、子どもの意向と反発することで発動することも理念上考えられる
実際に起こりうるわけで、単独親権者による拒否権が発動する
一方親は、健在でも、単独親権制の下、一切の交流もないなど断絶している場合があり、また、児相や公共施設が、「親」としての地位を認めないこともあって、情報さえないこともある
親権行使が不適切であることを知ることができなくなってしまい、密室で行われる子育て環境は悪化を防ぎようがない
かろうじて、児相の知るところとなっても、児相はまず、子育て支援の立場から、親権者との協調関係を図ろうとして、強権的な、親権停止権限を持っているにもかかわらず、発動を躊躇うということが起こっている
しかも、単独親権者が再婚し養子縁組まですると、親権者が増えていき、児相はますます機能しにくくなってしまう
ひとつは、その再婚を解消して、再び単独親権となれば、子育て支援を徹底することで済むと考えて、協調策に傾くのかもしれない
養子縁組制度の不備で、簡単に、親教育もなく、裁判所の許可もなく、紙切れだけで、親権者になってしまった養親が、適切に親権行使できるとも限らず、子どもとも敵対していることが明らかなのに、児相が積極的に機能しないため、子どもにとってよくない状況が起こっていく
ここで、子ども手続代理人が奮闘して、子どもの立場で親権停止の実現に向けて対応するということもありえるようだけど、心ある代理人と繋がっていることが前提だったり、あまりにも子どもにも負担である
親を否定するともいえるアクションを子どもに課すことの心理的な影響にも思い馳せたい
子どもに葛藤を残すことにならないか、とても悩ましい
やっぱり、ここで、もう一人の親がいることが、状況を打破しうる鍵になるのだと思う
離れて暮らしていても親子の交流があれば、子どもの環境に関する情報にアクセスできることで、SOSをキャッチしうる
児相と連携をとることができる
その上で、児相自体は実親と協調的関係を維持しながら、対立関係にいることが不自然ではない、もう一人の親の立場をもって、牽制することで、結果として、子どもの意向に沿った親権行使の実現へと導くことが可能になる
児相が躊躇うような親権停止を、他方親が発動してもいい
そうやって事件化した中で、児相が支援的に関わり、調整する中で、親権停止を回避する形となったとしても、適切な親権行使が実現することだって可能になっていく
もう一方の親という立場も、親権停止の申立権を児相と同様に持っているわけだけど、実際、私人による親権停止がうまく機能しないのは、資料収集の限界があるのかもしれない
これが、親権停止制度の機能不全のもうひとつの理由になるが、児相自身は支援的な立場で中立ながら、事実の調査をしてきた記録の提出に協力していくことで、裁判所による適切な判断が可能になる
共同親権制では、単独親権者が子どもの意向に対する拒否権を発動しているときに、その拒否権を阻止し、むしろ、子どもの権利を実現するという機能が期待できる
共同親権の父母が対等に意見を尊重されるべきとき、その意見が対立した場合は、デッドロックが起きてしまう、というような問題提起を明治民法からの改正案を検討した戦後のあの頃から指摘されていたわけだが、思い返せば、子どもの権利条約が批准される1994年よりも、ずいぶん前の話である
子どもの権利自体観念していなかった
結婚でさえ、親が決めた人とするもの、進路だって、親の言いなりという時代がそこにあった
子どもの権利という発想自体がなかったのである
単独親権者さえ決めておけば、幼年の子どもに限らず、成年に近い子どもだった、親に反抗することが許されなかったから、単独親権者が全てを決めていた
今はどうだ?
子どもは、子どもなりに気持ちを持っていて、これを尊重しようという
ひとりの親の意向に完全に従うばかりではなくなっている
単独親権では、親と子の意見が対立したときに
デッドロックが起きる
デッドロックを打破するのは、もう一人の親の存在だ
何も、デッドロックは、意向の問題だけではない
1人の親だけでは、経済力の脆弱性から、とても進学するという選択肢が受け入れられない(奨学金というのもあったとしても、借金自体慎重になる)ということもある中、もう1人の親と繋がり、サポートを得られることで、選択肢が広がることは大いに考えられる
これも、拒否権の発動という能動的な行為ではないにしても、実態としての拒否権発動状態を、もう1人の親によって打破する例といえるので、拒否権の阻止として機能していくことが理解できる
共同親権制が虐待対策になる
以上のように、親権停止が適切に発動するなどして、何より、児相を専権機関とするあまり、抱え込みすぎて動きが鈍くなっている状態を打破するだけでも、ずいぶんと虐待対策に貢献するものと確信している
何より、訪問して面談しながら、虐待がないのか、SOSをキャッチする仕事自体が、定期的に頻繁な面会交流によって代替しうる。それは監視という文字に見られるイメージとは相容れないが、実際、見守り機能として備わっていく。
支援をしながら協調関係の中で、子どもの成長発達を見守る上では、親権停止の発動もためらわれていく。その一瞬の隙間で、悲劇は起きていくのだが、深刻なSOSをキャッチした他方親がそれを躊躇う理由はなくなっていく。他方親に申し立てられた親権停止を審理する中で、支援的な立場に専念できれば、結果として子どもが守られていく。
親が二人とも健在であれば、そうした共同養育を通じて、子の福祉が守られていくが、どうしても、親が機能しないケースももちろんあるので、そういう場合にこそ、児相が活発に機能していくことが望まれる。里親などの環境を用意して家庭的な養育環境を用意していくことももっと増えていけばいいだろう。
何でもかんでも児相任せが、エラーを招いているのが明らかだ
その原因は、単独親権制にある
単独親権制を撤廃して、共同親権が子どもを守る
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