復活したPHSメアドその後
サヨナラPHS
だったけどpdxメアドが戻ってきて
その成果で,妊婦時代からのママ友から,中学生の息子の誕生日に寄せてお祝のメッセージをいただいた
あー,このために,メアドが生き延びていてよかったな~ってしみじみ
息子同士の誕生日も近く,すなわち,予定日が近い妊婦同士で出会い,また近所だったのもあって,ご縁が続く
縁もゆかりもない初めて住むマチで,ロースクールに通いながらという妊婦生活になって,ママ友を欲した!!
毎日黄昏泣きの頃に公園で会うのも日課だったこともあった
勉強しなければならない受験生ではあったけども,可能な限り親子の時間を満喫していたのだった,,,いや,満喫しすぎたかもしれない点は反省
東京に引っ越してから離れてしまったけども,毎年お誕生日はお祝し合ってきた
その度のお手紙の交換も,お互いの育児を振り返るような機会になったり
遠く離れながらもまるで一緒に成長を見守っている
偶然にも,第二子の出産時期も重なって,珍しい7学年差まで同じ~
遠く離れていても,再び同時期に臨月を迎え,そして,出産報告メールをいただいた!おめでとうの返信とともに,ウチはまだ先のようです~と予定日まで一週間くらいあったし,余裕の返信をしたら・・・まさかその晩,あれよあれよと陣痛が本格化して翌朝には出産!陣痛リレーを呼んだご縁まで!!(このとき,近所のママ友も同じく7学年差妊婦で,まさかの同日出産になった)
一人っ子時代も知り,弟妹が生まれてからの兄としてのあれこれも知り,毎年誕生日プレゼントに本を選ぶ・・・同時に,わが子の成長にも思い馳せる
そんな2人はもう中学生になって,お互いに手紙を書くようにもなってきて
毎日会っていたのは,保育園に入る前の頃で,きっと記憶に残っているわけではないのだろうけど,不思議に人生を重ねるご縁ある同志として記憶にない記録を刻んでいるかしら
不義理が多いと自覚しつつも,ゆるく長く繋がりのある子育て仲間がいるのは心強くありがたい
転勤族だった自分の生い立ちと違って,東京に越してからは,同学区内での子育てをしていて,人生で初めて「地元」のようなものを得ている
10年同じ市に住んでいる(ただし昨年同学区内で引っ越した)のは人生初
4歳,10歳,13歳,18歳で長距離転居をしてきたから,知り合いの誰もいない,土地勘もないところで新しい生活をするという経験をしてきた
だから,同じ町に住み続けて,自然と顔見知りが増えていくという環境自体が初経験ではあるけども,そのあったかさや価値がやっぱり響く
しばらくぶりに駄菓子も売ってるお米屋さんにいけば,久しぶりねー大きくなったねーって声を掛けられていく
幼稚園・小学校,そして,今の中学校とずっと一緒の幼馴染もいる
わが子の同級生の成長を見て,またわが子の成長を知る
子育ては,親子交流時間だけでは足りないのかもしれない
子どもが出会い,共に過ごす仲間のことも知ってこそ,成長を見るようなところがあるように思う
子どもの友達のことにも目を配れる親でいること
そういうのは,少年事件など想像したときに,実際地味だけど大切なことにも思う
まだまだ目を離せないな,と過保護に思うけど,心を離さないことを真に考える
3月はそういう季節である