国賠提訴、その後のこと
ウェビナーもうすぐ
とはいえ、間もなく国賠もあって、その準備にも追われている
2年前に提訴したあの頃に近い準備をしている
令和元年11月22日 共同親権祭り 提訴
そこからの経緯はこちらのとおり
1回目の期日後、コロナ禍で2回目の期日までに8カ月ほどあった
その間に、答弁書に続く被告の準備書面があり、この反論をするという流れは、期日が開催されなくても当然だったので、準備をすることにしていたし、その準備期間としては余裕だった
被告の主張を踏まえ、争点の明確化のために、求釈明をする展開となる
噛み合った議論へ進展させるための求釈明
原告が言いたいことをいって、被告も適当に反論して、噛み合っていなくても、中立にある裁判所としては、何かしらの判決を出すという仕事はできるかもしれない
国賠というアクションの意義と現実の厳しさを考えたとしても、それだけのコストもかかる
弁護士に依頼する場合には弁護士費用もさながら、そうでなくても、原告として、書類作成・資料収集といった労力は当然背負うことになる
弁護士に依頼しない場合のそのコストは、弁護士費用の負担を上回るほど重いかもしれない
共同親権訴訟の原告の方々は、さらに、国賠アクションという意義を高めるための周知活動として、院内集会の企画等盛り立ててくれており、その実働も半端なく背負っている
わが子を想う親心あっての行動に敬服する
代理人と原告で協力することで、国賠アクションの実装が一層研ぎ澄まされていっていることを実感する
代理人だけでは、院内集会のような周知活動に手が周らなくなるし、もちろん、国賠は法律上の問題を扱っている以上、専門的知見も不可欠である
昨年来の原告側の準備段階にきて、どんな取り組みをしているか紹介したい
それが、後続する国賠アクションの実りある成果に貢献するなら本望である
原告の訴えは、訴状段階である程度完結していたりして、それはそれで満足のいく完成度が求められている
共同親権訴訟では、提訴日を共同親権祭りとして設定したがゆえ、気を引き締めて準備してきたし、結果、期限前にバタバタ、推敲不足(誤字)も否めなかった点もあるかもしれない(期限がなければ、ゆっくり完成させればいい、ともなるが、そうするとなかなかた提訴できない、ということも起こってしまう)
コロナ禍による期日取消はイレギュラーだったが、求釈明をして、被告国の主張に向き合い、議論を嚙合わせるという作業を、いっそう丁寧にやってきた
それゆえ、第3回期日以降も、被告国の回答を待つという状況が続いていた
形式的には、第3回期日での被告準備書面で、原告からの求釈明に回答したという体にはなっていて、パフォーマンスとしては、そのまま原告が言い返し、裁判を進めるということもあり得るのかもしれない
しかし、原告の訴えを裁判所に評価してもらうためだけなら、被告はいらなくなる
被告国が当事者としている意味は、裁判所の判断の前に、被告国の主張を明瞭にすることそれ自体の意義がある
原告の主張と相容れないことは当然起こるとして、だからといって単なる否定しあうだけで終始するのではなく、研ぎ澄ましていく
被告国の主張に向き合ってこそ、原告の訴え・主張が一層切れ味鋭いものへと磨かれていく、それが、判決をする裁判所においても、真剣に判断するための素材の提供に結び付くだろう
当事者の言いっぱなしに任せてしまえば、カタチとしてはひととおりの進行が済んだことにして、裁判所としては判断ができてしまう
訴状での主張の繰り返し程度にしかならないのであれば、議論が深まるわけでもなく、被告による一応の反論によって、原告の訴えが鈍らせられた状態で評価されるのが限界になってしまう
共同親権・親の子に対する養育が問題となる領域では、いろいろな立場からいろいろな主張が好き勝手飛び交う現象が社会の実態として起こっているが、せっかく被告国が、時間をかけて公式な回答を用意するわけであり、それ自体の価値を軽視してはならない
その上で、被告の反論によって、原告の訴えが鈍らせられるような事態を回避すべく、適格に打ち返し、むしろ、原告の主張をより一層研ぎ澄ましていき、訴えの正当性を強調していくという作業こそが大切になっていく
訴状の用意以上に大切だ
それゆえ、共同親権訴訟では、じれったくも求釈明を重ねて、被告国が真剣に回答するのを待った
第3回期日に陳述された被告の回答では不十分である、と期日内で指摘し、一時休廷を経て、裁判所も吟味していた
それ自体、とても珍しいことのように思う
結局、原告の求釈明をより丁寧に補充の上、もう一度被告が回答することとなった
原告の主張、求釈明の重みを裁判所も受け止めていると感じられるのが、裁判所からの事務連絡だ
その辺りの状況については、シンポジウムにて報告させていただく機会を得ている
被告の主張というのは、対立相手のいうことだから、率直にいって、意見が合わない(原告は請求認容を求め、被告は請求棄却を求めるという立場の違いがあるから、当然でもある)のだから、平伏して請求を認めるといったものになるわけもなく、被告の準備書面に向き合うというのは冷静さと、おかしいものをおかしいと論理的に指摘する胆力?も必要になるだろう
原告の主張と相容れないから「おかしい」というだけでは、到底足りない
(しかし、パフォーマンスとしては、それで反論した体にはなってしまう・・・内実を伴わないことになってしまうので、結局原告の訴えが鈍くなって、裁判所も請求棄却判決が書きやすくなっていく)
直感的な違和感を言葉に紡いでいくという作業は、訴状作成よりも大変かもしれない
原告の訴えを訴状段階より一層研ぎ澄ましていく作業、というのが、訴訟提起後判決までの間に求められる
原告の真剣かつ合理的な求釈明を経て、裁判所も真摯に受け止めたことが、裁判所からの事務連絡を導き、被告も無視できなくなった
さらに被告の準備期間が続き、令和3年8月末、ようやく、被告の主張がごまかすことが難しいところまで明瞭なレベルにたどりついた
原告の準備になるわけだが、第5回期日では、裁判所から細かい指示もあり、裁判所としても、当事者の議論を正しく深めていこうとする意識が感じられる展開となっている
これを受けての原告の準備書面作成作業が今ちょうど仕上がろうとしているところ、主張を補強するために、これまで予告していたとおりの研究者による意見書も提出できるよう手配したり、やはり、文献にあたることで、ますます力強く解明している点もある
文献の中には、高額ながらも、Amazonでポチっとして入手できるものもある
しかし、一層細かく原典にあたろうとすると、いくら通信販売システムが長けていても限界があって、図書室の利用が必要になる
弁護士会に用意されている図書室も、法律専門書や古書の用意もあるので、ある程度は集まった・・・が、謄写料金が1枚30円・・・もちろん購入するよりはリーズナブルだ
問題は、そういう図書室にさえ用意されていない文献にも当たる必要が出てきてしまった
そうなると、ここにいくしかない
コロナ禍で予約制にもなっていて、利用登録したりなど、まるでダンジョンのようにクエストする作業であった
大変だったけど、ひととおりは資料が集まったということは、この国の情報アクセスシステムの確立に感動する
おかげで、我妻榮との対話が実現したような気になっている
資料を踏まえて、代理人同士、原告の方との打ち合わせも重ねていく
なんとか期限には間に合わせるけども、せっかく半端ない気合をいれて国賠を提訴したのだ
元々、現実には厳しく、違憲判決(請求棄却という判決の場合がある)を狙うことのハードルの高さは知っているとしても、だからといって諦め気分で投げやりなものでよいのか
判決の効果を受けるのは原告だ
国賠の帰趨が個別のケースでの親子のありようには直結しない(良くも悪くも影響しない)とも考えられるが、これだけ一生懸命取り組む反面、判決次第では、やはり精神的徒労感も否めないだろう
2年前の提訴にあたって、応援だったり、いろいろな声をかけていただいたが、国賠アクションの意義を伝え、原告に加わることの自己責任、慎重にあるべきこと、それ以外の応援の方法もあることなどを説明したこともあった
いろいろな事情がありながら、全国の原告の方々が、それぞれの想いを込めて、そして、リスクを踏まえても、許される事情があることを踏まえて、覚悟をもって裁判を続けている
コロナ禍での期日取消があったとはいえ、提訴から2年過ぎようとして、想定外の長期戦にもなっている
この間、社会の動きもあって、法制審での検討も進んでいる
支援者の協力あって、クエストのような文献集めも叶ったりして、共同親権訴訟の原告の訴えは、訴状レベルでの主張より一層研ぎ澄まされて、切れ味が鋭くなっているという実感を得ている
裁判所も本気で向き合ってくれている手応えが、ハードルの高い国賠と言われる中でもひょっとして、、、と楽観にも期待してしまうほど、議論をかみ合わせながら深く進行しようとしている
原告の方々の色褪せない、わが子を想う気持ちと、多くの支援者の方々のサポートあってのことと思うと感謝でいっぱいになる
当事務所所属の3人だけが代理人となって取り組んでいること自体、従来の社会運動国賠としては珍しい(全国から多数の弁護士が応援に携わるアクションがあることはイメージしやすいだろう)ながらも、確実に同志が増えながら、みんなで我妻の仕組んだ「氏」をうまいことして明治の精神を生きながらえそうとした罠を、今こそ打ち破っていこう、きっと、できる!!
ぜひ、令和3年11月25日14時からの期日(806号法廷)の傍聴、及び院内集会に足をお運びください!!