#知る学ぶ考える ために、親子の別れを強いられる相談者の依頼を引き受けてきた弁護士が考える養育権侵害の実態を世に届けている。
日本で何が起きているのか、好きな人と一緒にいようと考えてわが子の誕生を祝い喜ぶ普通の人たちが、何に直面しているか、知っておきたい問題がある。
知るまでは、ふつうに家族だった。親子だった。少し夫婦は不和だったかもしれない。まさかそんな目に遭うなんて、よほどひどいケースに限られたものだろう、話せば、裁判所が正してくれるはずだ。とてもとても難しい司法試験を突破したエリートたちが、考えてくれるのだから。って、信じているものだろう。
当事者になるまでは。
日本に生まれて良かったな、と信じて生きてきたに違いない。
男女は平等なのだと学び、男女共に、家事・育児を引受、仕事もするものだと教育され、受け入れてきた人たちが、直面して初めて気づく不合理。
理不尽だといくら叫んでも救われる手段はなく、せめてもの次世代が生きる未来に託すしかない絶望の今。かつては、声にすることもなく消されていただろう。ようやくと声を集め、声にすることができるアクションの勢いが止まらない。
自然権として保障されるはずの養育権が侵害されている。何が起きているのか。
再婚後に連れ子と再婚相手との養子縁組が、親権のない実親の預かり知れない内に裁判所の許可もなく届出だけで成立してしまう問題がある。
(2) 非親権者の同意不要の代諾養子縁組について
改めて条文を確認してみよう。
第818条
1.成年に達しない子は、父母の親権に服する。
2.子が養子であるときは、養親の親権に服する。
3.親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。ただし、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が行う。
親権は「父母」の枠組みであり、例外的に、「養親」の枠組みになることもあるが、「父母の婚姻中」は、共同親権とするというもので、これを読めば、「養親」パターンでは、夫婦で養親になった場合にこそ、共同親権を観念できるが、再婚の場合の、1人の実親と養親が共同親権になるという発想は条文からはわからない。
そもそも、未婚の母が、非嫡出子がいる状態で再婚する場合、養子縁組は、非嫡出子を嫡出子とするために、その未婚の母(実の親)も「養子縁組」をして、養親と記載される。実の親なのに、「養親」と記載される。
親になろうとして、養親と記載されたことに傷つき、独自のしつけ(と呼ぶ体罰、ひいては暴力)を続けたある被告人が「親になろうとしてごめんなさい」と最後に述べたという報道は記憶に新しいが、実親なのに養親と記載される違和感こそ、率直に問題提起すべきではないか?
そこには、嫡出子を差別する問題がある。
非嫡出子を嫡出子にしようとすることには寛容なのだ。
未婚の母が、再婚後養子縁組をせず、再婚後に新し子が産まれたら、同じ母が産んだ子どもたちは、非嫡出子と嫡出子という区別をされる。同じ母が産んでいるのに、だ。
この区別は、かつて、相続分において法が差別を明記し、同じ母から生まれた子なのに、母の財産を相続するにあたっては、法定相続分が、1:2となるのだ。この差別は合理性がないということで、2013年、最高裁が違憲判決をし、差別規定は改廃された。
だが、根本的な嫡出子差別を完全に払しょくしたわけではない。
再婚養子縁組により嫡出子にするということ、そのために、実母は、「養親」になることが通用している。その名残ではないだろうか。元々、嫡出親子関係のある離婚後単独親権親が独断で再婚し、15歳未満の子の養子縁組を代諾すると、その再婚相手との共同親権になる。
全くの他人が、親としての適格性の審査を一切受けることなく、ただ、再婚した配偶者というだけで、親権者となり、懲戒権をも行使しえてしまうということ。この異常性について、国内外からの指摘は古く、国連からも勧告を受けている。
嫡出子であればよい、というだけで、実の親の養育権を尊重するという発想が欠落していることがわかる。
非親権者になっても、信頼関係があれば共同養育ができれば十分ではないか、という意見もあるが、やはり、非親権者がどれだけ脆弱かを知って欲しい。
知らない内に、わが子が他人の親権に服することになってしまう。
そうなると、潜在的親権の発動と評される親権者変更手続きも受付られなくなってしまう。親としての関わる余地が悉く制限されるし、かつては、「新しい家族を困惑させるな」といった言い方で、面会交流すら制限された。親子の一生の別れを強いてきた文化・慣習がある。
現在は、養子縁組後も面会交流の有益性が語られるようになり、裁判所の運用も変わってきているが、再婚を契機として、親子が疎遠になることはまだ起こりがちだ。それが、子の心情への配慮として十分なわけがないだろう。
再婚養子縁組により、主たる扶養義務者が変わったとして、養育費の減額が認められ得る。
そうやって、疎遠になることを受け入れてきたという別居親も多いのかもしれない。
ただ、それは、子どもの視点に立った時に、適切だろうか。
戸籍上の親子、親権があったとしても、子どもにとって、親の再婚配偶者は他人にすぎないこともあるだろう。時間をかけて、親しい間柄も構築しうることを否定しないが、どんなに親しくなっても、親に成り代わるとも限らない。
子どもにとって挑戦したい夢があって、莫大な費用がかかるというときに、誰に頼れるだろうか。遠慮させることにならないか。
何より、養育費は、子どもにとって愛情を感じられるためのカタチのひとつだ。
養育費は不要といって、送り返すようなケースも見られる。
子どもの権利なのに、一方親の独断で、受け取り拒否が起こる。
養育費を負担することを厭わない親だっている。
きめ細やかな調整をしてきたとは言えない。
現行の制度は、養育権を調整する機能を全く果たしていないのだ。
つづく
(3) 民法766条1項について