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共同親権民法成立から1か月記念~それでも、連れ去られている人へ

あれから1か月

この間、潮干狩りにいったり、よく遊んだりしたけども

各種勉強会もあったり、いろいろ動き出しているようだけど

とはいえ・・・

相変わらず、連れ去られ、親子断絶があったり、これからも当面は起こるかもしれないし、最近連れ去られたばかりとか含め、ここ1年くらいの当事者もけっこういるわけで、あんまり即効性の実感がないものかもしれない

施行前からの変化はあるだろうけど、それにしても、まだ1か月だとそんなに、なのは仕方がない

でも、1年後くらいには施行前でも変わりようはあるとは思うけど、それでも、個別の事案において劇的な変化がそれほどあるとは限らない

この1年で周知すべきものは何か、毎日の発信もより研ぎすましていこうかと、金魚活動🐟で休憩しつつ思い立つ

令和8年には共同親権の離婚ができるよ


仮日程ではあるけども、まずは、これ、共有しておきたい
これはどのフェーズの方においても大切なことだけど、まだ同居している状態で離婚がよぎる方には、特におススメか

夫婦の問題は解決しよう


夫婦のことと親子のことは別に考えてね

結婚と離婚の序列をとっぱらえれば、まるで結婚式を準備する男女のごとく、離婚に向けて準備していくという意味で、最後の夫婦の協力活動をしていくことになる

協議離婚で共同親権


世界で珍しく、日本独自の協議離婚大国の批判的な眼差しはあれど、でも、自律的な解決という意味で、よさもあったりする

家裁に行かずに済む協議離婚のうまみを最大限発揮すればよいのだけど、協議離婚への批判を利用して、家裁に成り代わろうという類には警戒した方がよいと思っている

良くも悪くも窮屈な家裁だからこそ

多くの家族が家裁を知らずに、解決すればそれでよいのだけど、連れ去り・親子断絶が起きたら、協議離婚は不可能と思え、が大事なのだと思う

最も都合よくできるのは協議離婚なのに、それを放棄する連れ去りは愚かというしかない

避難の場合も、自認避難では、客観的には連れ去りと言われかねないので、やはり、裁判手続が必須になっていく

家裁で共同親権

これを開拓するのが重要で、ここでも、最初に、令和8年には共同親権の離婚ができるよ、が大切になっていく

2年以内の離婚をチラつかせつつ、共同監護の実現に向かっていく

裁判手続として、夫婦関係調整(離婚)調停、面会交流調停、3点セット、752、それぞれあるけど、全ては、新法の学びの機会に活かすのである

研修をまだ受けていないというのであっても気にしないで、情報提供を続けていく

まだ、法改正情報も進んでいない頃ではあったけど、アメリカの共同養育などは知っていると調停委員が語っていたこともあった

お気持ちとしては寄り添うし、相手方も、理想としての共同養育はわかる、とまで引き出してもらった

でも、それ以上、どんなに理想的でも、本件では無理だと思う、と言われてしまえば、とりあえず、現時点では、現行法が適用されるわけだし、離婚成立はできずに調停は不成立、というのもよいだろう

実際、そうやって、離婚訴訟に至ったものもあった

でもね

種まき活動は意味があって、調停段階では無理と決め付けていた共同養育を「知る」だけでも大きな意義があって、その段階では決して十分とはいえない親子交流の状況だったけども、乏しくても交流実績を続けていく中で、種まかれた共同養育の芽ぶきを迎えると、なんと!離婚訴訟では、共同監護を実現して、そうやって急展開して合意による解決に至るということも起こるのである

共同親権・共同監護を支える柱とは


繰り返しだけども、紛争解決揉めない関係性である

これは、「争わない」こととも似て非なるところと思う

紛争はコントロールできず、在るものである

在るということを認めざるをえない

これがスタートラインなのに、これを歪めると、結局、離婚成立後も「紛争解決」しきってなくて長引いたり、「揉めない関係性」と程遠いものになったりする現実も見られる

相手の尊重も大切だけど、自分も大切にしないとしんどいのである

た~くさん会って十分に関われるのは理想ではあるけども

「別居親」の方が、遊んでばかりで怒らない親でいられる?!

これは、制限的な交流状況を解消して交代監護に切り替えていったご家族のお子さんの実体験がヒントになる

「面会交流」のときは、怒られないで済む?!

そこにモヤモヤもあるけども、だいたいはそういうスペシャルで過ごしていたのが、共同監護になると、子どもだって、いろいろとあって、そりゃ子どもだからそれでいいのだけど、やらかすだろうし、いい子で居続けるわけはなく、そうやって、雷が落ちることがあるのも、親子だもの、ね

「会えない」間にも想いが続くのもわが子を愛してこそ

その子が存在しなければ、きっと、親教育的ななにかを学ぼうとか、世の中を変えようとか関心持ったり動きだすようなこともなかったよね

会っていなくても、「親」

会わない時間の「子育て」

自信をもってもらっていいと思っている

わが子と出会い、存分に育んできた親力があるからこそ、よそのお子さんや家族のために、かもしれないけど、その親力が発揮される、それも巡り巡って子育てではないか、と信じるのである

昨年度の1年間、私も、ファミリーサポートの提供会員として、子育て支援をして、よそのお子さんとの時間を重ねてきたりもしたのだけど

「親」やることは、誰にも奪われない!!

たとえ会わずとも想いは消えないし、って・・・そうやって、親子断絶を容認するわけではないのだけど

ひとつは、親子断絶を強制することでマウント(無自覚)をとろうとしていることが見られるのに対して、どう戦うか、というマインドである

何を制限されたところで、親であることを奪われないのだ、というテーゼが最強の攻略ツールになると思うのである

よその親子がしあわせになって、わが子が犠牲になっていいものか

マウントのつもりが、全くもって効かず、カエルのツラに~みたいな状態だとわかれば飽きていく

子どもはよくも悪くも残酷なので、都合よく親を選んだりする

考えようによっては、ごきげん具合をうまくコントロールしていけば、いかようにも攻略しようがあるように見えてくる

紛争解決 と 揉めない関係性 の土台とは


これも繰り返しだけど、結局は、

心身の健康

これを獲得して、ごきげんと、あとは自由なライフスタイルによって、いろいろできることがあるわけである

何でもできる

そう!

連れ去られてからできる子育てがある

そういうことだ!

何でもするつもり

が、鍵になる



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弁護士古賀礼子
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