暑苦しいほどにアニメ「るろうに剣心」を語る。
仕事が忙しく中々更新できなかった2024年。その数少ない最後を飾る投稿はこれしかありません。ズバリ。
リバイバル版のアニメ「るろうに剣心」です!
前口上:熱すぎる往年ファンの想い
以前に「映画 るろうに剣心」について投稿しましたが、”週刊少年ジャンプ”に連載中から、いやそれより前の剣心を主役にした読み切り漫画時代からるろうに剣心ファンだった私としては、今回のアニメ版るろうに剣心は待望の作品でした。
昔の漫画原作のアニメではよくあるパターンなのですが、同じ内容でもアニメの方が話が早く進行してしまうので、どうしても”原作を追い抜いてしまう”んですよね。
週刊連載だと1回当たり20ページ位なのに対して、アニメはCM抜きでも20分以上ありますので仕方ない。
そこで必然的に「原作が追いつくまでの時間稼ぎのためのオリジナルストーリー」なる物が発生してしまうのです。これがなかなかの博打でして・・・。
原作と並べても引けを取らない時もあれば、「こんなの入れるなら休みにしてくれ・・・」と思うような酷い出来の時もあります。
るろうに剣心においては、原作連載中に放送されていたアニメでは結構酷い時が多かった (私の思い入れが強すぎるだけかもしれませんが・・・)。特にしんどかったのが、るろうに剣心で一番盛り上がった「京都編」の後です。
俗に「追憶編」と呼ばれる章ですが、これは幕末時代の”人斬り抜刀斎”を描くことで心の奥底に抱える罪と闇を丹念に表現すると共に、その原罪を明治という時代において必死に乗り越えようとする緋村剣心という一人の男の壮絶な生き様を描く重要な章なのです。
個人的な見解ですが、この「追憶編」を描くためにそこまでの全てのストーリーが描かれたと言っても過言ではないほどの内容なのです。
しかし、ここでも昔のアニメ版では例の「原作が追いつくまでの時間稼ぎのためのオリジナルストーリー」が発生してしまいます。
しかも、このオリジナルストーリーの内容がとにかく酷かった。私のようなコアなファンからすると、もう見るに耐えない。勘弁してくれ・・・という悲痛な叫びでした。
しかも、その後結局待望の追憶編は描かれることなくアニメは終了してしまいます (OVAではアニメ化されましたが、これまたかなり話が違う・・・)。
ただ、制作陣をフォローするなら、これには色々な事情がありました。
そもそも追憶編は幕末を描いたということもあって、かなりグロい (現在の感覚だと大したことないレベルですが、当時としてはかなり踏み込んで”人を斬る”ということをかなりはっきりと描写していました)。
それを平日の19時というゴールデンタイムに放送することはいろんな危惧があったことは容易に想像がつきます。
また、京都編が「主人公が強くなって数々の困難を乗り越えて巨悪を倒す」という分かりやすい少年漫画ストーリーだったのに対し、追憶編は内容が哲学的な色合いが濃くて全体的に印象が暗すぎることも問題でした。大事な仲間がバッタバッタ死んでいったりするし。
そのためジャンプ誌上でも掲載順がどんどん後ろの方に下がって行き、人気が下降気味だったのは一般読者の目から見ても明らかでした。
恐らく追憶編を原作のまま流しても”元が取れない”(商業的に成功せずスポンサー離れなどが起きるだろう) と制作側が考えても仕方がない状況だったと思います。
※あくまで一読者としての立場からの推測です。
長々と愚痴めいた乱文を書き散らしてしまいましたが、それほど以前のTVアニメ るろうに剣心は悲惨な結末でした。
だからこそ!
往年のるろうに剣心ファンの私としては今回の新作アニメ るろうに剣心は大、大、大期待の作品!
という訳です。
総評
前口上が長かったので(笑)、結論から言いましょう。今回の作品、
Petty Good!!!
でございます。
いや、本当に素晴らしい!これぞ「るろうに剣心」!といったところです。
その素晴らしいポイントをかいつまんでご紹介しましょう。
Good Point1 : 原作の味を現代風にアレンジした作画
まず作画が素晴らしい。
るろうに剣心の原作者である和月伸宏の作画は、輪郭線をしっかり書いてキャラをはっきりさせるスタイルなので、どちらかと言えば”劇画タッチ”に近いです。誤解を恐れずに書けば「昭和スタイル」です。
それを現在のアニメで再現し、なおかつ古臭い感じにならないようにするのはなかなか難しいと思います。ですが、今回のアニメでは原作のはっきりとしたキャラ立ちを大切にしつつ、色使いや動きの柔らかさなどによって”現代っぽさ”を出しています。
これによって往年ファンも納得しつつ、新しい客層にもちゃんとアピールできるような仕上がりになっている。そんな風に感じました。素晴らしいですね。
Good Point 2 : 往年ファンを大切にした世界観
よくある”昔流行った作品のリバイバル版”だと、「原作のコンセプトを生かしつつ現代の若者にも受け入れやすいようにアレンジしました」とか言って、できあがった物が”往年ファンの怒りを買い、現代の若者にも全然響かない独りよがりの作品”となるケースが多いです。
正直私もそれを危惧していたのですが・・・・はい。すみません。全くの杞憂でした!笑
製作陣が原作の世界観を大切に物語を作ってくれている、熱い想いが伝わります。
戦闘シーンなどキャラのスピード感が大切なところでは、ちゃんと現代っぽいスピーディな演出をしている一方、キャラ同士のボケとツッコミなどの絡み具合は (薫と弥彦。あるいは剣心と操のように) 原作に忠実。今見ると「演出がちょっと古いかなぁ・・・」とは思いますが、やはりこの”昭和っぽい”テンポ感がるろうに剣心の世界観を作っているのは間違いありません。
また、ちょこちょこオリジナルストーリーや原作とは少し違う演出などもありますが、そこもあくまで原作の世界観を壊さない範囲内でオリジナリティを出している感じ。
原作の意図をちゃんと理解した上で、それを補足するような見せ方やストーリーになっているので、往年のファンの目で見ても「なるほどね。これはこれで良いかもね。」と思わせる作りになっています。
これらのことを総合して冷静に見た上で、「ああ、この製作陣はちゃんとるろうに剣心を愛してくれているんだな。」と信じられる。そんなシナリオと演出になっています。
るろうに剣心ファンとしては嬉しい限りです。
製作陣の皆様、本当にありがとう!
今後への期待
では、最後に今後への期待、そして不安を語って今回の投稿を締めさせて頂きます。
不安と期待は表裏一体なのですが、やはり今後の山場として
飛天御剣流奥義「天翔龍閃 (あまかけるりゅうのひらめき)」の会得
志々雄真実および十本刀との死闘 (安慈、宇水、特に宗次郎)
追憶編をどこまで原作に忠実に表現できるか
この3つが挙げられます。これをどう描くかが重要なポイントになります。
その理由を順番に見て行きましょう。
飛天御剣流奥義「天翔龍閃」の会得
2024年末の終了時点では、このシーンのちょっと前まで放送されているので、恐らく1月の中旬にはこのシーンが放送されることになる思われます。つまり年明け早々に山場が訪れる訳ですね。
かなり個人的な思い入れが強いのですが、この奥義の会得をどう描くかはるろうに剣心という物語をどう解釈するかの鍵を握るポイントの一つです。
と言いますのが、この過程こそがるろうに剣心を他の作品と際立って哲学的な内容を持ちうる作品となる要素だからです。
るろうに剣心以前の漫画では、「非常に肉体的に苦しい課題を与えられた結果、最終奥義を会得する」というパターンがほとんどです。
しかし、この「天翔龍閃」の会得は今までの漫画とは全く違います。肉体的にはそれほど追い込まれない。その代わり「今までの自分の人生を極限まで見つめ直し、数十年間に及ぶ人生の中でたった一つ欠けていた、とても小さなピース・・・しかし、剣心が人として生きて行くために絶対に取り戻さなくてはならない大切なピースを自らの心の中に見つけ出す」という、ある意味究極の試練を乗り越えなければならないのです。
これを丁寧に描くためには剣心が「緋村剣心」という名前になる前の「心太 (しんた)」という孤児だった頃に負った傷を描かなければなりません。これがちょっとダークな話なので、特に令和という時代においては許容されるのかが心配。時間的にもそれなりの尺を用意して描く必要があります。
この一連のシーンに関しては、私はちょっと自論がありまして・・・(笑)、私はこのポイントにおいてのみ「原作の漫画よりも (平成に放送されたオリジナルの)アニメの方が演出が優れていた」と思っています。
完全にネタバレになってしまいますが (笑)、幼い少年・心太を守るために少し年上の少女が身を投げ打って斬り殺されるシーンがあるのですが、その流れは原作よりもアニメの方が丁寧に描かれていました。
このシーンに関しては逆に原作の方が淡白と言えなくもありません (週刊漫画はページ数が少ないので仕方ないのですが・・・)。おそらくこのシーンに関しては、作者である和月伸宏でさえアニメの演出に軍杯を上げるのではないかと思うほどに素晴らしいシーンでした。
この見るのも死んどい演出があるからこそ、剣心が天翔龍閃の会得において剣心が”自分の人生を一歩を踏み出す”ことにとてつもなく深い意味が込められるのです。
逆に言えばこの演出が淡白だと、その一歩がメチャクチャ浅くなってしまう。これはもうるろうに剣心という物語を哲学的な目で観る上では死活問題だと言っても過言ではないでしょう。
という訳で、原作とアニメの比較において基本的に原作の方が優れていると考えている私でさえ評価するこのシーンは、(お前のわがままなんて知らねーよwwと言われるのは分かっていますが) 何とか昔のアニメの時のようにちゃんと時間を使って丁寧に描いて欲しいと思います。
製作陣の方々、ぜひお願いします!!!
※もうとっくにシナリオできあがってるでしょうが(笑)
志々雄真実 & 十本刀との死闘
これに関しては京都編の最大の山場ですから重要なポイントであることは当たり前なのですが、やはり昔のアニメの時には(恐らく過激すぎて)演出が和らげられたシーンを原作に忠実に描いてくれるかどうかです。
もちろん、「忠実」=「完全再現」ではありませんので製作陣なりの演出で構いません。しかし、原作で描かれたコンセプトは崩して欲しくないという意味で忠実に描いて欲しい。
志々雄真実との戦いはある意味”脳筋対決”なので(笑)、大丈夫だと思うのですが
「安慈 vs 左之助」
「宇水 vs 斎藤一」
「宗次郎 vs 剣心」
の戦いは、幕末から明治にかけての時代の闇の部分を色濃く反映した内容であり、左之助、斎藤一、剣心の人生哲学を戦いを通して表現している内容です。これをあっさり描いてしまうと彼らの人生そのものがちょっと薄くなってしまうのです。
るろうに剣心という作品は主人公である緋村剣心のみならず、その周りのキャラクターの生き方も非常に重要な柱となっていますので、彼らの人生哲学にもちゃんと光を当てて欲しい。
今回のアニメは深夜放送枠ですので、”過激演出”という点をあまり気にせずに描けるのではないかと信じていますが・・・。
追憶編をどこまで原作に忠実に描けるか
冒頭でもほのめかしましたが、やはりこの「追憶編をどこまで描くことができるか」が今回のアニメの成否を分ける最大の問題になります。
昔のアニメ版ではさまざまな事情からこれが叶わなかった。これはつまり「るろうに剣心」という作品の最大のテーマを描くことができなかったということであります。
もし・・・・もしも・・・あくまで「もし万が一」ですが、今回もこれを描けなかったとしたら、もうアレですよ・・・。
「何のために深夜枠で作り直したんだよ!!!アホか!!!二度とるろうに剣心をアニメ化するな!!!」
と激昂するに違いありませんwwww
何度か書いていますように、今回のアニメの製作陣はるろうに剣心に対する強い思いがあるように感じています。全員かどうかは分かりませんが、少なくとも中核メンバーはそうでしょう。
だとしたら、「この追憶編を原作に忠実にアニメで描くためにこの作品を作っている」と言っても過言ではないはずです。
繰り返しになりますが、この追憶編を描いてこそが他のあらゆる漫画と「るろうに剣心」を隔てる大きな価値をもたらす根幹部分であり、それが無い「るろうに剣心」など”ただのチャンバラ時代劇アニメ”でしかないからです。
「るろうに剣心」が「るろうに剣心たる存在意義」とも言える、この追憶編を描けるかどうか・・・・これに今回のアニメ化プロジェクトの成否がすべて懸かっていると言っても過言ではないでしょう。
最後に:製作陣の方々へのお願い
アニメの放送期間とスピードを考えると、恐らく今放送されている京都編が2025年の春くらいまで掛かるはず。その後またインターバルという名の準備期間を経るので、追憶編が放送されるとしたら2025年の秋〜冬でしょう。つまり一年後ですね。
追憶編は結構長いので (原作コミックの場合では京都編が11巻程度、追憶編も同じくらいの11巻程度)、もしかしたら追憶編がさらに前後編に分かれてしまうかもしれません。
その場合、追憶編が終わりを迎えるのが2026年末になる可能性もあります。かなりの長尺作品となります。
その時の自分の年齢を考えるとちょっと恐ろしくなりますが・・・(笑)、でも何とかそこまでしてでも追憶編を描き切って欲しい!
るろうに剣心が始まる前の”読み切り漫画”時代からのるろうに剣心ファンである私の切なる願いです。
製作陣の方々、何とか!是非とも!!最後までこの作品を描き切ってください〜〜〜!!!
という訳で、私の「るろうに剣心熱」を長々と語ってしまいました。
るろうに剣心を知らない人にとっては迷惑千万だったかもしれません笑。
ただ、もうこれを最後に書かないと年を越せない!と思ったので思わず・・・。
いつにも増して長文を最後までお読みいただきありがとうございました!(^人^)