映画「るろうに剣心 The Final」。ファン歴30年が語る感想と次作への期待。
さて、ついに映画「るろうに剣心 The Final」を観てきました。
るろうに剣心シリーズの最後を締めくくり、シリーズ最大の謎に迫る今作。
ファン歴30年以上(読切漫画時代含む)を誇る”るろ剣フリーク”の私の目にどのように映ったのか?
ちなみに、下記投稿で「るろうに剣心の魅力」を映画鑑賞前に語りました。よろしければこちらも。
率直な意見
まず今作を観て抱いた最初の感想は「評価が難しい…」。それが正直な感想だった。
アクションは素晴らしかった。このるろ剣のアクションは一作目から素晴らしく、"魅せる殺陣"という意味では日本映画でも屈指なのは間違いない。
一方、ストーリー面では手放しで評価できないところがある。ただ、これは「評価できない=できが悪かった」という意味ではない。文字通り評価するのが難しいということだ。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、その原因はThe FinalとThe Begginingという2作品に分割したことにある。今作は次作の「The Beggining」と複雑に関係し合う作品となっている。そのため「The Beggining」の内容次第で今作の評価が変わってしまうのだ(漫画版ではこれをうまくミックスして展開していた)。
したがって、この切り分け方が成功だったのかどうかは”The Beggining”次第ということにならざるを得ない。
そこで今回の投稿では”次作「The Begginig」の展開をできる限り好意的に予測した前提”の上で、今作「The Final」の感想を述べてみたいと思う。次作への期待をこめて!
注意点: 漫画の再現性ついて
感想を書く前に最初に断っておきたいのは、私は原作をどれくらい忠実に再現できるか?を重視している訳ではないということだ。
以前の投稿でも書いたのだが、私は連載開始前の読切漫画時代からの、るろうに剣心のファンだ。"るろ剣愛"ではそんじょそこらのファンと一緒にしてもらっては困る(笑)。とは言え、"原作の再現性"でもってこの映画を評価するつもりはさらさら無い。
そもそも
「漫画だからできる」
「漫画だから面白い演出やストーリーがある」
のであって、それをそのままトレースすることが実写映画の評価を左右するは思っていない(あくまで「原作への愛と敬意があれば」の話だが…)。原作をそのままトレースした映像作品にするのであれば、アニメのクオリティを上げれば良いだけであって、実写映画化する意味はない。
問題は、映画版るろうに剣心が原作に込められたどのようなテーマに焦点を当てたのか。そして、それが映画ならではの方法でちゃんと表現できたのか?という点だ。
アクション映画としては120点
ます、「映画るろうに剣心」が世間で高く評価されている理由の一つは、そのアクション映画としての完成度の高さだ。
主人公・緋村剣心を演じる佐藤健の身体能力の高さを最大限に活かし、第一作から日本映画でも類を見ない高レベルのアクション性を実現。もちろんワイヤーを使った演出はあるものの、壁を走る演出や高速の殺陣などはそういった細工なしの撮影であり、まさに息を持つかせぬ緊迫感溢れるアクション劇だ。その歴代のるろうに剣心映画の中でも、今回は最高の出来だったと言って良いだろう。
今までの緋村剣心を演じる佐藤健の"速さ"はさらにレベルアップ。
さらに、今回の敵役である雪代縁を演じる新田真剣佑の"力"の相乗作用で、剣のぶつかり合いの波動が伝わってくるような重量感があった。
特に二人が一対一で戦うラストシーンは特筆すべき迫力。BGMが一切なく、二人の剣戟の音と息遣いだけが聞こえる演出になっており、逆に二人の剣を通じた"会話"に聴衆を強く引き込んでいく。
これまでの飛天御剣流の再現性の高さは承知していたが、今作は佐藤健自身も述べているように”敵の攻撃を当たるか当たらないかギリギリのところでかわす”という演出が功を奏しており、緋村剣心の"達人具合"が一層際立っていた。
また、雪代縁が繰り出す倭刀術も原作をかなり忠実に再現した見せ方になっており、剣心の飛天御剣流との差別化がしっかりと図られていた。
アクション映画という意味では、古参のファンの目から見ても120点の出来だったと言える。
ストーリー性の評価
では、一方のストーリー面はどうだったのか。
冒頭にも書いたように、この点は非常に評価が難しいというのが率直な感想だ。この原因は、漫画では一つの流れになっている「人誅編」と「追憶編」を、映画では「The Final」と「The Beggining」という二つに切り分けたことにある。
これは大友啓史監督としても非常に難しい判断だったと思われる。
便宜上二つに分かれているとは言え、内容としては密接に関係しており「人誅編の中に追憶編が収められている」と言った方が正しい。追憶編を読んでいるからこそ人誅編が面白いし、人誅編を読んでいるからこそ追憶編の悲哀が深く染みる・・・そんな構成になっているのだ。
ところが今回はこれらを「The Final (=人誅編)」と「The Beggining (=追憶編)」という形で二つに分けて作られた。恐らく原作ファンであれば、人によっては受け入れられない構成だったかもしれない。
しかし、これは映画の上映時間の都合も考えると仕方ないし、興行収入的な成功を意図するなら仕方がないところがあると思う。また、そういった興行的な面を考慮せずとも、「人斬り抜刀斎が緋村剣心へと変わる”るろうに剣心という物語の発端”を描いて、最後を締めくくる」というコンセプトから考えればアプローチしては十分”アリ”だ。
ただ、それが成功したかどうかを図るのは現時点では難しいと言わざるを得ない。
私が今作を評価する上で重視したいのは、「The Final、The Begginingと切り分けるアプローチが正しかったかどうか」ではない。重要なのはあくまで「るろうに剣心というドラマで描くべきテーマを描けたかどうか」だ。それが描けていればこのアプローチも正しかったのだろう。
逆にそれが描けていなければ「やはり漫画の構成を踏襲すべきだった」という評価にならざるを得ない。
では、るろうに剣心において描くべきテーマとは何だったのか?
るろうに剣心のテーマとは何だろうか?
るろうに剣心という漫画には非常に多くのテーマが込められているため、一つに絞ることは難しい。
だが、私の主観も込めつつ敢えて断言するなら
「人生の超克」と「魂の救済」
だと言えるだろう。
人生の超克とは、すなわち「辛く、苦しく、ときに悲しみに溢れた人生を生き抜くことの難しさ」を描くこと。
そして、人生を歩む中で誰しもが少なからず罪を背負うものだが、「その罪は愛する人や仲間の支えによって必ずや許される日が来る」という希望の道を描くこと。これが魂の救済である。
いささか大仰ではあるが、これこそが「人斬り」という普通の少年漫画ではありえない暗い過去を持つ主人公ならではのテーマだと思う。
緋村剣心の抱える闇。それとの向き合い方の変化
では、主人公の緋村剣心が抱える罪とは何か。
言うまでもなく、数え切れないほどの人を斬り殺したことだ。仮にそれが”人々が幸せに暮らせる新しい時代を作る”という理想の実現のためであったとしても。いや、むしろ「未来の人々のために、今を生きる人々を殺した」という矛盾こそが緋村剣心の闇をより一層深くしていると言って良いだろう。
それゆえ緋村剣心は、物語の開始当初「自分はいつ殺されても仕方ない」という”自分の生への諦め”を抱いて生きていた。それが物語が進む中で、新しい仲間ができ、大切な人との思いを育み、少しずつ自分の生の意味を取り戻していく。
そして、前作「志々雄真実編」において、周りの人間たちとの繋がりの中で自分の居場所をしっかりと認識することで、自らの罪深き生を積極的に受け入れる覚悟ができた。物語当初にかかえていた「生を諦め、安易に死に場所を求める」ような後ろ向きな道を断ち切る決意ができたのだ。前作の映画ではこの点の描写が物足りなかったが、全体の尺を考えれば落とし所ではあっただろう。
るろうに剣心という物語における今作の位置づけ
このように前作までの物語において、緋村剣心はその自分の人生を積極的に生き抜く覚悟ができた。
しかしながら、前作までに剣心が取り戻した”生きる決意”は、どちらかと言えば「誰かのために生きる」という利他性を含んだものだった。平たくいえば「自分を信じてくれている人たちのためにも、自分は生き抜かなければならない」というものだ。そこでは「自分の罪を受け止めた上で、自分のために生きる」という積極的な生への覚悟の要素が弱かった。自分の罪をどれだけ責められようとも、生きて自分の責務を果たすという決意までには至っていなかったのだ。
そのように”根底が不安定な状態での決意”に支えられた剣心は、ついに自身が抱える最大の過去の罪「妻殺し」に向き合わなければならないことになる。それが今回の映画「The Final」だ。
その意味で今作はるろうに剣心という物語のテーマである、「人生の超克」と「魂の救済」を描く上で、最重要とも言える位置づけとなる。当然
剣心「今まで人を殺めたことを後悔しているでござる」
↓
周りの人「うん。分かってる。剣心はもう十分償ったよ」
↓
剣心「分かってくれてありがとう。これからもよろしくね。」
みたいな浅い展開では完全に落第だ。
「妻殺し」という最大の罪を徹底的にえぐり出し、精神のどん底に突き落とされた上で、それでも再び立ち上がるというストーリーがなくてはならないのだ。実際、原作の漫画においては、その部分を非常に長く丁寧に描いていた。逆に、丁寧すぎて一部の読者から離れられてしまい、少年ジャンプの中での掲載順位がみるみる落ちていったほどだ。
しかし、それがあったからこそ、精神的にどん底に落ちた緋村剣心が改めて自分の生の意義を問い直す過程が意味を持ったのだし、そこから這い上がり仲間に受け入れられたことで緋村剣心の魂はようやく救済されることができたのだ。
今作は剣心に「人生を超克」させることができたか?
ここまで述べたように、今作で剣心の妻殺しを罪を克明に描き出すことは、物語のテーマを描く上で避けては通れない重要なセクションだ。極端に言えば、観ている人間が嫌になるほどその罪を深く描かなければならない。
ところが、である。
今回の映画版「The Final」においては、その部分はかなりバッサリ切られてしまっている。より正確に言うならば「描かれてはいるのだが、それは次回作へと切り分けられているため、今作ではダイジェスト的形で紹介されるに留める」というアプローチになっているのだ。
先程も書いたように、これには様々な理由があったと思われる。正直なところ、上映時間を7時間、8時間と設定する訳にはいかない以上、「物理的にどうしようもない」という事情はあったと思う。
・・・が、この重要なセクションを簡略化してしまったため、ラストに至るまでの剣心の心情の変化「生の苦しみや悲しみを”乗り越える”」という部分のドラマ性が落ちてしまったと言わざるを得ない。
・自分の妻(雪代巴)を惨殺したという罪
・それでもなお自分の生を生きると覚悟した決意。
・剣心が自分の過去の罪にどのように決着をつけ、雪代縁と向き合ったのか。
・物語の最後で剣心は自分の人生で何を成し遂げようとしたのか。
そういった「緋村剣心という一人の人生の総決算と、未来への決意と覚悟」がいまいち曖昧なものになってしまった感はどうしても否めない。
原作の最終版ではこの過程がかなり丁寧に描かれていたため、映画で簡略化されてしまったのはとても残念だ。
The Begginingへの期待。物語のテーマを左右する”あの人物”は登場するのか?
ただ、それはあくまで「今作だけで評価すれば」だ。
逆に言えば、次作「The Beggining」に描かれ方次第では、この評価は大きく覆る可能性がある、ということだ。
The Begginingが単なる”緋村剣心の過去の物語”に留まることなく、剣心の巴への思いと、過去への贖罪、そして未来への決意といった要素が描かれるならば、今作The Finalの構成はとても意味があった物になると思う。
特に私が注目しているのは、原作に登場する”ある人物”だ。この人物が登場するかどうかで「魂の救済」の描かれ方がかなり変わると私は思っている。
その人物とは雪代巴と雪代縁の父親である。
彼は原作において、人誅編、追憶編の両方において存在だけは匂わせるものの、終盤までまったく出ないという、ある意味物語の”外側”にいる人物だ。自ら名前も出自を語ることはなく、緋村剣心も雪代縁もこの人物が「巴の父親」だとは一切認識されずに終わる(縁は幼い頃に生き別れており顔も覚えておらず、父親の方も縁だとは分からないという設定)。
だが、名前や経歴を語らずとも、この人物は精神のどん底に落ちた剣心に寄り添い、剣心が再び立ち上がるサポートをする。また、雪代縁に対しても、剣心に敗北して雪代巴の真意を知り、どん底に落ちた彼に寄り添う。そして、その魂を癒やすという絶妙な役どころを担う。
恐らく今作「The Final」の流れを観る限り、剣心の魂の救済ために彼が登場することはないと思われる (すでに神谷薫によって救われているため)。しかし、雪代縁の魂の救済という意味では、まだ出演の芽があると期待している。
雪代縁は、今作では「自分の勝手な思い込みで剣心へ恨みを抱き、一方的な復讐を果たそうとした男。最終的には真実を知ったことで、自分の行いを後悔した」という”ただのイタイ奴”の設定になってしまっている。これも間違いではないのだが、やはり自分の行いを悔い、新たな一歩を踏み出すという物語を用意してあげることで救済してあげなければ、この雪代縁の未来は救いようがないと思う。
雪代縁がイタイ奴なのは間違いないが、彼が自分の姉を愛していたことも間違いない。そうであれば、自分の罪を悔いた後につながる「魂の救済」の道を示してあげなければ、るろうに剣心のテーマを描ききることもできないのではないだろうか。
撮影は既に終わっているため、今更”期待”しても結論は変えられない。だが、次作公開を待つファンとしては、彼の登場を切に願う。
それでも「The Beggining」に期待する
さて、ここまでかなり「苦言」に近い記事を書いてしまった。今作を楽しんだ方の中には不快な思いをさせたかもしれない。だとしたら大変申し訳ない。
いまさら言っても信じてもらえないかもしれないが、これでも私は次の作品「The Beggining」にかなり期待している。The FinalとThe Beggining。この二つを合わせて観ることで「最初はどうかと思ったけど、大友啓史監督の力量に感服した!素晴らしい!!」とぜひ言わせて欲しいと、心の底から願っている。
という訳で、結果的にますます「The Beggining」への期待が高まってしまった今作「The Final」。
るろうに剣心ファンのみならず、ぜひ多くの人に観ていただきたい!
るろうに剣心に興味がある人なら、映画鑑賞前に「るろうに剣心への熱い思い」を語った投稿もぜひ見てください!(笑)
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