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noteを2ヶ月続けて

noteを続けて、2ヶ月経っていた。

バッジをくれないから、気がつかなかった。

2ヶ月は長かったような、短かったような感覚だ。


まだまだ、pvも伸びない。私には、

●権威も

●実績も

●文章力も

●特別な体験も

ないから当然だろう。また、2ヶ月書いたが文章が上手くなった実感はない。


引き続き、“思考の言語化”という課題に向き合っていきたい。


私の気持ちの変化

あまり幸福を感じない人生

生きづらさ

私は、自殺することで、

●痛い思い

●死に損なって後遺症

●周囲を悲しませる。

リスク・コストが嫌だ。

死んだように生きて死のうと思っていた。

有名人の訃報を聞いて、後何年かという事を考え始める。

やり残した事はないか?

モヤモヤした考えがある。

noteに書いてみよう        ←2ヶ月前

最初は、色々な人がやりたい事をしているのを見て、眩しく感じる。

自分もやりたい事をやればいいのでは?

そういや、自分にもやりたい事は無かっただろうか?

心がむずむずする。

バケツリストを作ってみよう。

やらなかった後悔を噛み締めている   ←今ここ

行動を起こせるか?

というのが、現状だ。


私は

   ●死を意識する年齢となったこと

   ●他のnoterさんのポジティブさ

に影響されて、心が動きだした。


私が最初に感じたこと

 心に蓋をして生きてきたような人生だった。そして、その蓋を開けて、自分の心の声を聞き、バケツリストを作り始めた。そして、最初に感じたことは、やらなかった後悔だ。


バケツリストのある程度は、若いときに思い付いていたが、実行に移さなかったものだったからだ。


私は、やらなかった後悔を噛み締めて、身悶えして動けないというのが現状だ。


そして、これから前に進めるだろうか?という不安。また、体にガタがくるかも知れないという時間的な制限がある中、コロナで動けないという、焦りだ。


ただ、コロナを言い訳のようにしているが、コロナが沈静化した時に、自分は本当に動けるだろうか?


おわりに

私は、noteを書きつづける。書き続けても上手くなりませんでした。バケツリストを作っても、行動に移しませんでした。


というバッドエンドになるかもしれない。優柔不断な私は、若い頃のようになにもしないかもしれないが、どのような結末になっても書きつづけたい。


いずれ、バケツリストを実行するときは、noteに投稿したい。その時までには、文章がもう少し上手くなっていたいものだ。


今は、文章はまだまだだが、気持ちだけでぶつかっていきたい。まずは、継続していこう。


以上、おじさんが、noteを初めて2ヶ月の時点の報告でした。








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