電子書籍といかにして和解していくべきか②
前回の記事はこちら
まえがき
電子書籍との和解の道は厳しい。
今普通に電子書籍を買っている人たちは、一体どのタイミングで紙から電子へと移行したのだろう。
現在最もメジャーな電子書籍のフォーマットであるEPUBの原型がリリースされたのが2007年。iPadの発売が2010年。現状に近い形であるEPUB3.0のリリースが2011年(現在の最新版は3.3)、そしてKindle Unlimitedの提供開始が2014年だ。
それからも電子書籍はめざましい発展をし続けて、普及に普及を重ね、もはや電子書籍を買ったことのないわたしの方が周りでは少数派だ。
みんな、どこで電子書籍と仲良くなったんだろう。
物理書籍ではありえない頻度で行われるセール? はたまたどこにでも持ち歩ける便利さ? 文字サイズや背景色を変えられるアクセシビリティの高さ? それとも、それら全部?
1月にKindle unlimitedに登録し、電子書籍との和解に一歩近づいたと思われたわたしであったが、その後も一冊も電子書籍を買っていない。Kindle unlimitedには引き続き登録を続けているものの、一冊の本を「買う」ということを電子空間上で行うのには、いまだに抵抗が強い。
なぜ…なぜだ?
ソシャゲには月5000円くらい課金してるのに、なぜ月5000円電子書籍を買うことができないんだ?
別に本を買っていないわけではない。2月の物理書籍購入額は、1月より下がったものの22000円ほどであった。なのに電子書籍にはビタ一文使ってない。
いや、ビタ一文は嘘か。Kindle Unlimitedにいくらかは払ってる。とはいえそれはサブスク代であって、本一冊に対する購入額ではない。
というわけで今月ももう少し深堀って考えてみよう。
EPUBとは何か
特に何の説明もなくまえがきの中に書いてしまったが、今後も頻繁に登場する言葉だと思われるので、EPUBというものについて軽く説明しておく。
※EPUBが何か分かっている人、あるいは興味がない人は飛ばしちゃって大丈夫です。
EPUBというのは、簡単に言うと電子書籍のフォーマットのことだ。
画像ファイルをjpegとかpngで保存したりするけど、それの電子書籍バージョンだと思ってもらえれば問題ない。
他にもpdfとかで電子書籍を頒布するやり方はあるし(同人誌とかね。私の同人誌の電子版も全部pdfだし)、.bookとかXMDFとかの電子書籍フォーマットはあるけれども、EPUBより普及しているフォーマットは今のところ存在していない。
というのも、EPUBというのは国際電子出版フォーラム(略称はIDPF。現在はW3Cに統合)というところが策定しており、XML、XHTML、CSSなどの既存の言語や仕様を使っている。しかも圧縮にはZIPを使っており、端的に言ってしまえば寄せ集めでできたフォーマットなのである。
しかし、それゆえに安全性も高い。
考えたくはないことだが、仮にEPUBというフォーマットが終わってしまった後でも、解凍すれば中身はXHTMLとかなのだから、最低限、本の中身は守られる。電子書籍の内容までが電子の海の藻屑へと消える可能性は限りなく低い。
そして、国際電子出版フォーラムにはAdobe、Amazon、Google、Microsoft、Sonyをはじめとした世界各国の大手企業、凸版印刷や大日本印刷といった大手印刷会社、講談社、集英社、小学館、KADOKAWAなどの大手出版社が多く参加している(日本企業ばかり例に出したが、国際フォーラムなので当然世界各国の企業が参加している)。
つまり、どこか一つの企業や組織に有利になることがなく、「誰でも作れる、誰でも売れる、誰でも読める」というオープンフォーマットを実現可能にしているのだ。
※通常どこかの電子書籍サイトで本を販売しようとすれば出版社(あるいは個人)はそれなりの金銭を支払うことになるが、それはあくまで電子書籍サイトに払っているのであり、EPUBというフォーマットに使用料を払っているわけではない。
このような一部の組織や企業に有利になることのないオープンフォーマットは、電子書籍参入への障壁を大きく取り除いた。
出版社だけではなく、個人だって調べれば簡単に作れるのがEPUBなのだ。
そういう意味で、普及するのは当然だったのだろう。もともと広く普及させようと思って作ったものだしね。
ざっくりEPUBについて説明するとこんな感じである。
浅いな~と思われた方もいるかもしれないし、全然意味わかんないんだけど……と思われた方もいるかもしれない。
まあ、ここではEPUBが国際的な標準フォーマットだということだけが伝われば構わない。それが今後出てくるであろう*アクセシビリティの話に大きくかかわってくることになる。
*アクセシビリティ……(障害などの有無にかかわらず)利用者が機器・サービスを円滑に利用できること。
Kindle unlimitedの利用状況
1月半ばにKindle unlimitedに登録して、しばらく経った。
1月分の読書記録は公開したので、同じように2月分も公開することにしよう。
ん~、コメントしづらい。
そもそも1月は46冊だったのに2月は26冊になっているので大幅に読書量は減少しているのだが、まあそれは置いておくとして。
今月に関しては物理と電子の割合がほとんど同じなため、特に言うべきことがない…。
いや、でも! 逆に考えれば、電子と物理を半々で読んでいるということ自体はいいことなのではないか?
わたしは現状の、「一切電子書籍を買わない状況」が問題なのだと思っているのだから、電子と物理が半々になるっていうのはむしろ目指すべき先のはずだ。うん。
(それにしても読書量が少ない…。)
物理or電子でしかできないこと
当然だが、物理書籍でしかできないこと、電子書籍でしかできないことというのがあり、それらは往々にしてわたしたちの読書環境を決める大きな理由となりうる。
結局どうして物理書籍/電子書籍を選ぶのかは、それぞれの特性を考えないことには解決しない。
物理書籍でしかできないこと
電子書籍が普及し、*サイマル出版が一般的になった今日でも、物理書籍でしかできないことというのは多くある。
*サイマル出版……印刷物の物理書籍と電子書籍を同時に刊行すること。
たとえば最近出た作品で言うと、これが代表格だろう。
この作品は、“電子書籍化絶対不可能”の触れ込みで売り出しており、読んでみたところ確かに紙書籍でしかできない試みだった。
詳しく言うと完全にネタバレになってしまうので内容へ言及するのは極力避けるのだが、このアイデアは物理書籍の、ある意味での「アクセシビリティの低さ」が生み出したものとも言える。
電子書籍にすることを想定していたならこのような試みはそもそも生まれ得ない。身体を使う体験が発生しうるという点では、ある意味物理書籍は電子書籍には追いつけないところにいる。
電子書籍でしかできないこと
それでは、物理書籍だけが独自性を持っていて特殊な装丁・組版を可能にしているのか?
EPUBの仕様上ある程度画一的にならざるをえない装丁はともかく、組版はそうでもない。電子書籍でしか実現できない組版……あるいは「仕掛け」というものもある。
この作品は恐らくkindleでしか販売されていない個人出版の作品だと思われるのだが、紙ではできない仕掛けがいろいろと行われている。
一例を挙げよう。
以下の画像はこの作品の「電子書籍での」表示画面である。
いかにもブログのような組版だ。
これは画像が張り付けられている(fix型)のではなく、文字サイズを変えれば当然それによって画面も変わるリフロー型だ。しかもこの青文字で書かれたコメント欄は、押せばしっかりとその画面へ遷移する。
しかも、飛んだ先にこんなものがあったりする。
上記の画面に載っているURLは、大島てるへのリンクである。
正直、こんなことやっていいんだ、と思った。なんて自由なんだ。物理書籍では絶対できないし、そもそも商業出版でもできないだろう。
しかもこの後もこの作品では、YouTubeがそのまま貼られていたりする。
確かに電子書籍ではURLを貼ることは難しくなく、主に作者のSNSや出版社ホームページへのリンクとして使われる場合があるが、ここまで大胆に使った作品は見たことがない(ほかにもあったら是非教えてほしい)。
これは電子書籍のメリットを見事に活用した作品であるといえるし、こういう作品が電子でしか楽しめないのなら、妙な電子書籍アレルギーを発症している場合ではない、とも感じる。
ともあれ、長くなってきたので今回はここで区切ろうと思う(正直まだ書きたいことはいろいろあったが……)。
電子でしかできない表現を楽しむために電子書籍を買うのは正しい判断だ。とはいえ、今後物理書籍の代わりとして何百冊も買うつもりなのだったら、電子書籍全体の普遍的な価値についても考えていかなければならない。
今回は少し、特殊装丁・組版の話になりすぎてしまった。
オマケ・2月に読んで面白かった本
以下、わたしが2月に読んで個人的に良かった本を紹介します。
自殺されちゃった僕 / 吉永嘉明(幻冬舎アウトロー文庫 )
読書環境:紙
にゃるらさんが2023年10月の記事で紹介しており、興味を持った作品。
絶対に文庫版を読んだ方がいいのだが、今はプレミアがついてしまっているため定価で買えるようなところがなく、Amazonのリンクを貼るのは不適当と考えたので画像を貼らせていただいた。
まあくわしくはにゃるら氏の記事を読んでほしいのだが簡単に説明しよう。
著者の吉永嘉明氏は、いわゆる「鬼畜系」のライター、そして編集者である。彼は、彼にとってとても大切な存在だった3人の人間……『危ない1号』編集長であった青山正明氏、漫画家のねこぢる氏、そして妻の自殺に直面する。
そんな「自殺されちゃった」著者の悲痛な苦しみが描かれているのがこの本だ。
……というのはこの本を薦めた建前にすぎない。この本の核心部は解説にある。とにかく解説者が著者のことをぼろくそに言うのだ。
「反社会的であることを自由や純粋さと履き違えている」「著者はドラッグで脳が委縮しているのではないか」
言い過ぎ言い過ぎ。解説でこんなこと言っていいんだ。著者も読むでしょこれ。
しかし、実際この本には著者(含む登場人物)がドラッグ、児童ポルノ、売春などの行為を悪びれもなくやっている描写が多く、現代の読者としてはモヤモヤするところも多い。そんなモヤモヤを解説が一気にぶった切る様子には、正直言ってすっきりしてしまう。
ちなみに、なぜこの本がプレミア化してしまい電子書籍も発売されないのか。それは、作者が2014年に失踪したまま今も連絡が取れないからだ。こうなると電子書籍化どころか重版も絶望的になる。
文庫版の発売は2008年で、まだ電子書籍は一般的なものではなかった時代だ。出版社が後から電子書籍を出したいと思っても、許可を取るべき著者がいないのだから動きようがない。
紙の本はいずれ出版できなくなる…。電子書籍を出したいと思ったころにはどうにもならなくなっていることもある。そういう意味では、サイマル出版はリスクヘッジとしても効果的なのではないか。そんなことも考えさせられた。
自由慄 / 梨(太田出版)
読書環境:紙
ホラー作家・梨氏の新刊。
今までの作品とは違い、読者はいくつもの自由律句によって物語を断片的に知っていくことになる。
最初は恐ろしいと思っていたのだが、最終的にはこれは愛の話なのではないかと思い始めた。わたしの見立てが正しいのかは、読んで確かめてみてほしい。
スリーピングデッド / 朝田 ねむい(Canna Comics)
読書環境:紙
「ゾンビにされた元教師の男×その男をゾンビにした張本人のマッドサイエンティスト」というBL。
最初はいがみ合っていた彼らだったが、徐々に過去が明かされていき…。という感じの話。なんかわからないが作中で50回ぐらい泣いた気がする。
BLとしては性描写が非常に少なく、心理描写に重点を置きまくっている。その点では、『ボーイミーツマリア』などにも通ずるところがある作品。
たまたま座ったところに“すべて”があり、それが直腸に入ってしまった。 / 惑星ソラリスのラストの、びしょびしょの実家でびしょびしょの父親と抱き合うびしょびしょの主人公
読書環境:電子
まあ落ち着いてほしい。タイトルは意味不明だし、作者名も意味不明だ。別に私がバグったわけではなく、本当にこういう作品名と作者名なのだ。
ジャンルとしては不条理SFという感じなのだが、なんかもう、よくわからないがずっと面白い。めちゃくちゃなことで頭をいっぱいにされたい…深いことは何も考えたくない…というときにおすすめの一冊。
あ、Kindle unlimited限定っぽいので注意されたし。