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人類皆人の子です。_型破りな教室

メキシコの治安激悪な地域にある小学校の新任教師セルヒオがさまざまな環境で育つ子どもらに学びを教えていく。
という話。

***

平等は難しい。
そんなものは無理だ。
特に子供は厳しい。
生まれた環境、子どもそれぞれに親か親の代わりとなる大人がいて、それぞれの価値観を持ち、どれだけ未来に希望を持ち、子どものことを思い、どれだけ子どもを理解し、子どもの何にお金を使えるのか。
義務教育の期間だって地域や学校や先生、一緒に学ぶ子どもたちによって随分違う。
でも皆、それで今がある。そんでどーにかこーにか大人になっているんだ。

ギャングの仲間入り寸前のニコ
ゴミ山の隣に住むパロマ
幼い兄妹の世話をするルペ

それぞれが「学び」に気付きを得て学びだけでなく人としても成長していく。
子供らしさと、大人への一歩の時期、未来への希望と絶望の抑揚が観ている側の心も抉っていく。

2024年最後の劇場映画鑑賞。
良いお話なんだろうなくらいにしか思ってなくて、まさか泣くとは思わなかった。
ルペの選択は誰よりも大人で哲学者で成熟していた。号泣だった。またルペの母親をぶん殴りたくなった。てめえのせいでルペはてめえよりも子供らしい時期を失った。
子供、という時期も必要なんだよ。
まじでルペ、自分の思う幸せを感じていておくれ。

ニコに関しては境遇がもう終盤何かになるんでしょう感がすごくて見ていられなかった。
人足お先にギャングになっている兄が、ニコの気持ちに寄り添う海岸のシーンや、あの、車での言動が、もうギューっとなってしまい。
良いお兄ちゃんという登場人物ってヤベエなって思った(シングストリートもお兄ちゃんがまじで良かったことを思い出した)。

パロマの存在はセルヒオにとってもパロマの父にとっても観ている人にとっても希望の光に満ちており、ちょっと出来過ぎだろ!!とか思うんだけど(風貌もアンニュイで整いすぎている)
どんな環境の子供にも可能性があるんだ、それを活かすも殺すも大人たちなんだと思い知らされる。
環境というのは平和で苦労の少ない環境でもそうだ。


そして大人も子供だったのだ。


かつて天才だった俺たちへ

この曲を真っ先に思い出した。

私には何かの可能性はあったのかなあ。
父も母も勝手に期待だけは一丁前にしてたなあ。
投資されることは無かったから、変なプレッシャーは感じることはなかったけど
私は親の期待を覆して自分を作り上げてきた気がした。

この世界のルペたちよ、幸あれ。

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