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【校閲ダヨリ】 vol.59 正しさを捨て置くことはできないが、本質は見誤るべからず



みなさまおつかれさまです。
ちょっと気になる言葉の問題を、前回に引き続きお送りしたいと思います。

今回は、特定の語というよりかは、よくある「こんな日本語使っていませんか」「この単語の読み方は?」などといった記事や投稿に対するもやもやです。


たとえば、「『瀟洒』という単語の読み方→正答率60%」などと先に示され、あとから解答を投稿したり、記事の最後に解答を載せるようなものがあったとします。


どのような人たちにアンケートを取ったという情報がわからない(書いていない)と、そもそもなんの60%か判断できないのですが、多くの人は「これを読める人のほうが多いのか……」という謎の不安感を抱くことでしょう。
正解は「しょうしゃ(あかぬけ、洒落ていること)」なのですが、私は「(対象読者が一般層であるなら)こんなものは些末ごとだな」と常々思っております。


校閲者がそんなことでいいのかよ



確かに、読めて損をすることはないですし、瀟洒の「」が「」になっていたら私は直しますが、別に「知っていなければ社会人として危うい」ことにはならないと思っています。(ちなみに、iPhoneで「しょうしゃ」と打って変換すると「」で出てきます)

知らないことは恥ではありません。
しかし、せっかくアンテナに引っかかった言葉ですので、そのままにしておくのはもったいない。
幸いなことに現代では調べるためのツールが身近にあります。上手に使ってきのうのご自身よりステップアップしてほしいところです。


さて、「些末ごと」と言ったことに関してですが、難しい表現や、正解とされる言い回し(言ってしまえば「古風な」表現方法)を数多く「知っている」ことのどこが些細なことなのでしょうか。

ことあるごとに私は、「正解はTPOの数だけあり、気持ちや必要事項等の『伝達』が成功してはじめてそれが達成される」と述べておりますが、ここに由来するわけです。

もしあなたが高校生を相手にファッションの話をするとして、「瀟洒なコレクションブランド」なんて言っても、ターゲット(高校生)は「ぽかん」とするのみで、伝達は失敗に終わるしょう。
つまり、知っていても「言葉の本質として間違い」という事態に陥るわけです。

敬語に関してもそうです。
校閲者として、仕事上は、いわゆる「過不足ない敬語」で赤字を入れますが、一般的な感覚からすると「過不足ない敬語」はものたりない印象を抱くことがあります。
大昔に読んだ本で、マナーの先生か誰かが「『申し訳ありません』は誤用で、『申し訳ないことです』が正しい」というようなことをおっしゃっているのに出くわしたことがありますが、「申し訳ないことです」では少しものたりなくないですか?
(これは「申し訳ない」でひとつの単語であるからという説によるもので、「申し訳(言い訳のこと)」で区切ると「申し訳(が)/ありません」となり、誤用説を払拭することができます


単純に「ああ、『申し訳ないことです』が正しいのか」と理解し、「自分は正しい言葉遣いをするんだ!」と思って、謝る場面で使っていく。受け取り手が(「申し訳ありません」でも問題ないという深い洞察があるにせよないにせよ)違和感を抱く。最悪は、気分を害して謝罪の意味がなくなる
これでは「木を見て森を見ず」です。
敬語の本質は「敬意を伝えること」ですので、たとえ表現が「いわゆる正しいとされるもの」から多少外れていても、その「気持ち」が伝わることが最優先課題なのです。(あくまでTPOに準ずることが前提ですが)


「校閲ダヨリ」って、一般的な校閲者(社)が発信している情報とは少し違うよね


そうですね。確かに、「これが正解です」というような情報を発信するとウケもよいですし、ネタにも事欠きません。
ですが、私はどうも、「それだけでは本当に言葉を自在に操っていることにはならない」気がしているのです。
弊社の理念は「Design the Good Life.
そして、言葉に関する私たちの部署の使命は「言葉を介して皆さんの人生を豊かにするお手伝いをすること」です。
皆さんが伝えたいことや気持ちをそのまま伝達できるように言葉を操るお手伝いをするために、本お便りがあると自負しています。
……ですので、「少し変わっている」わけです(笑)。

一般読者の皆様には、ぜひ言葉を使うことを恐れず、伝えることでご自身の人生を豊かにしていただけたらと思います。


……プロは??


対して、校閲者・編集者・ライター等「プロ」と呼ばれる方々(特に、プロになりたての方)におかれましては少々事情が異なり、「知らないことは恥ではないが、そのまま通り過ぎてしまったり、調べることをせず何度も同じ失敗を繰り返してしまうことは怠慢である」ということをお伝えしたいです(私のチームに向けても書いています)。
少し厳しい言葉ですが、プロフェッショナルとは、そういうものではないかと思います。
私たち校閲者は、決して「賢者」ではなく、知らない言葉も、表現技法も山ほどあります
そんな「足りないところ」をどうやってカバーしているのか。
それは、「ただ調べているだけ」なんです。
「いわゆる正しい言葉」を多く知っておくというよりかは、「引っかかりのアンテナ」を増やす。これは、ものを書く上でも、校閲をする上でも絶大な武器になり得ます。(そういった点では、「この漢字読めますか記事」なども大変参考になりますね)
誰にでもできる、ちょっとのことですが、3年後には自分のプロダクトに確実に差が生まれます
学ぶ」の語源は「マネブ(真似をすること)」とされていますが、上質な文章からエッセンスをピックアップするといった方法も守破離の「守」の段階では有効です。
仕事」のためと思うと億劫ですが、「成長」のためと思えば少し気が楽になるかもしれません。


一般読者の皆様もプロの皆様も、言葉を最大のパートナーに、ご自身の「Good Life」を引き寄せていただけたら幸いです。


それでは、また次回。



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