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【校閲ダヨリ】 vol.61 補助動詞を閉じるか開くか(後編 —ワールドワイド—)
みなさまおつかれさまです。
前回は「形式用言」の「用言」部分の解説で終わってしまいましたが、
本論はこれからです。
「ちょっとコンビニに行ってくる」「もう少し静かにしてほしい」の「くる」「ほしい」はそれぞれ補助動詞、補助形容詞と呼ばれるものですが、今回は合わせて取り扱いたいので、まとめて言い表せる「形式用言」という言葉を以降使っていきたいと思います。
さて、時代を義務教育期間、漢字を習いはじめた頃までさかのぼると
「習った漢字は使いましょう」という教えが思い出される方もいらっしゃることと思います。
私はそう教わったのですが、それにのっとると上記の例文はこのようになります。
・ちょっとコンビニに行って来る。
・もう少し静かにして欲しい。
なにか、据わりが悪いような、しっくりこない気持ちになってしまいます。
ちなみに、正解や不正解の問題ではありません。
あくまで、印象のお話です。
個人の自由でいいんじゃないの?
そうですね。正直なところ、皆さんが日常生活で意識しなければいけない問題ではありません。
けれども、大勢に向けて文章で発信する機会のある方は特に、この印象差について敏感であることが多いように感じます。
正解・不正解では分類できないため、とりとめのない話題となることは必至なのですが、「なぜ据わりが悪いのか」を私なりに分析してみようと思います。
形式用言は、「実質的な意味を欠き,もっぱら文法的な機能をはたす用言(日本語学大辞典)」と定義づけられたりしていますが、実際のところはどうなのでしょう。
先の例に、バリエーションを与えて考察を試みます。
1. ちょっとコンビニに行ってく(来)る。
1'. ちょっとコンビニに行く。
どちらも、「コンビニに向かう」という意味は変わりません。
ここだけをとらえれば、「実質的な意味を欠き」といえてしまうような気もしますが、異論が出そうな気もします。
大体の意味は両者同じっぽいけど、ニュアンスは違うような気がする。
そうですね。「行ってくる」は、確かにコンビニに行くのですが、その後「帰ってくる」ようなニュアンスが含まれています。
とすれば、「実質的な意味」はまったくのゼロではないといえるかと思われます。
「実質的意味が稀薄であるかどうかは程度の問題で,形式用言と実質用言が常に厳然と分かれるものではない(日本語学大辞典)」。
明確な線引きは、いずれにせよできないんですね。
どの形式用言にも、うっすら元の意味は残っているものなの?
そこがもやもやするところで、言葉には、絶対といえるシチェーションはなかなか訪れません。
次の例を見てください。
2. ワイヤレスマウスを使ってみる。
この「使ってみる」は漢字を使うと「使って見る」となり、「みる(見る)」が形式用言です。
こちらは、実質的な意味がほぼなくなってしまっている例といえるでしょう。
3. お昼に出るので、電話を受けておいてください。
「受けておいてください」は、「実質用言」+「形式用言」+「形式用言」のパターンです。
「受けて」+「おいて(置いて)」+「ください(下さい)」となっているのですが、お気づきでしょうか。
「おいて(置いて)」は、意味が稀薄になりすぎて、ひらがなが正解なんじゃないかというくらいですし、「ください(下さい)」は本来は何かをもらうことをお願いする言葉なので、こちらも意味は稀薄です。
なるほど。定義の「文法的な機能を果たす」というのはどういうこと?
こちらは、少し難しい話になります。
私が普段、「言葉の印象」とひとくくりに呼んでいる事柄の一部がこれに該当するのですが、少しだけ解説いたしましょう。
4. オグリキャップが走る。
5. オグリキャップが走っている。
「走る」「走っている」は、動作としては同じ行動を示しますが、様子は異なりますよね。
一見すると現在進行形の話ですが、日本語では 4 の例でも文脈・文体によっては現在進行形として読めますし、「近い未来」を表しているように読むこともできます。
「走っている」にすることで、現在進行形に「印象を固められる」感じです。
6. 木の葉が(ゆっくり)落ちている。
7. 木の葉が(床に)落ちている。
6、7は、( )以外はまったく同じ文です。
( )の言葉がなくても、文脈があれば読者は迷うことなくどちらの「落ちている」か判別することができるかと思いますが、こちらも「様子」の問題です。
「ている」は、漢字にすると「て居る」となり、存在を表す「居る」の形式用言なのですが、4~7 の例のように、「時間的な様子」を表す機能があると読み取ることができます。
このような文法的機能を「アスペクト(aspect)」と呼んでおり、「形式用言にはこういった文法機能があるよ」ということなんです。
ふむふむ。なんでひらがなで書くんだろう?
今回のメインテーマですね。
みなさん大体お察しされているのではないかと思われますが、「実質的な意味」が濃いか薄いか、がポイントであると思われます。
漢字は表意文字ですので、見た目が読者に訴える印象がどうしても強くなってしまいます。実質的意味が薄まっている形式用言に表意文字である漢字を使用すると、「実質用言」に返り咲いてしまうようなパワーアップ効果があるのではないかと私は考えています。
特に私たち校閲者や編集者、ライターなどは感覚が鋭敏なだけに、「気持ち悪い」「据わりが悪い」表現だなと感じやすいのでしょう。
職業病だね。日本語っておもしろいなあ!
あ、水を差すようで申し訳ありませんが、形式用言については、日本語特有の表現というわけではありません。
細かくいえば、動詞に焦点を当てた「機能動詞(補助動詞)」がイコールということになりますが、英語では「light verb(軽動詞)」と呼ばれるものが存在します。
「have」「take」「give」などがそれに該当し、それぞれこのようなかたちで使われています。
・have a rest
・take a drive
・give a shout
動詞+動詞のかたちですが、英語として成立していますよね。英語版の補助動詞です。
これはなにも英語に限った話ではなく、韓国語やフランス語、ウルドゥー語(パキスタンの公用語)、ジャミンジュング語(オーストラリア北部の言語)など、様々な言語でその存在が確認されています。
言語学者のMiriam Butt氏は、そのどれもに共通した特徴として、「(補助動詞は)常に言語の主動詞と同一の形状で出現する」ことを挙げていますが、これはもちろん日本語においても当てはまっているわけです。
個人的には「同一の形状」にかんして、「日本語は漢字・ひらがな・カタカナと、使える文字種が他言語に比べて圧倒的に多い」ので、厳密には少しズレがあるなあと思いつつ、この複雑さによって表現の幅が広がり、ニュアンスを生み出す一助になっていると感じています。
さて、いかがでしたでしょうか。
Butt氏の論文はこちらから無料で読むことができますので、興味がわいてきた方はぜひご覧になってみてください。
酷暑が続きますので、みなさまご自愛くださいね。
それでは、また次回。
参考文献
『日本語学大辞典』(東京堂出版)
Miriam Butt. The Light Verb Jungle(Cambridge University Press, 2010)
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