【校閲ダヨリ】vol.6 であいと向き合ってみましょう
みなさまおつかれさまです。
今回は、先日ある方からご質問を受けたことを書いてみようと思います。
「であう」という言葉がテーマです。
まず、以下の文を見てください。
・彼は、ここでサニーとであった。
この文を漢字変換するときに、サニーが意味するところが「人」であれば「出会う」でしょうし、
サニーという名前が付けられた「物」であれば「出合う」となるでしょう。(運命の人や物であれば「出逢う」となるかもしれません)
質問を受けたのは、サニーが物であった場合に「出会う」は使用可能かということでした。
「出会う」と「出合う」が互換可能か、という問題ともいえるかと思います。
結論を先にすると、「出会う」は人・物どちらにも用いることができますが、「出合う」の場合は使用場面がかなり限定されると私は考えています。
「出会う」が一般用語であることが大きな理由ですが(「出合う」は限定用語といわれます)、イメージの問題もあります。
だんだん『くまのプーさん』(クリストファーロビンのぬいぐるみたちの物語)みたいな話になってきますが、
物に人格を与えることは比較的容易なんです。これは、その文の筆者の主観によるところが大きいです。
サニーを、たとえばギターとしましょう。彼がそのギターをとても大切にしていて愛着があったとします。
人に向けて用いる漢字を愛着あるギターに向けて使っても、違和感はあまりないですよね。
(実際、楽器店のスタッフが「この子」とギターを呼んでいる場面に遭遇したことがあります)
つまり、「であう」の漢字変換においては、対象が人か物かで差が出るわけです。
そのため「出合う」のほうを人に対して用いるとなると、多くの場合かなり違和感があります。
それを利用して、「血も涙もない、感情のないような人」を物であるかのようにして書き表したい場合などは、効果を発揮するでしょう。
……では、すべて「出会う」でいいんじゃないのか? そんなふうに思う人もいるかもしれません。
とても合理的な考えですが、違和感をぬぐえないパターンがあります。
「物と物」がであうパターンです。
「川の本流と支流が出合う地点」や「国道と県道が出合う交差点」といった場面で「出会う」を用いると
川や道路が「やあ、こんにちは」などといって挨拶を交わしてしまいそうな印象を読者に持たれてしまいます。
しかし、「間違い」とは決して言えません。あくまで全てイメージの違いです。
「であう」に限らず、漢字の使い分けに関しては「そこに意思があるかどうか」が特に大事になってきます。
私たち校閲は、違和感のない表現に直すことは得意ですが、必ずしもそれが「正解」でもなければ、直したものが人の心を打つ文というわけでもありません。
皆さんの意思で、言葉を操っていただければと思います。
それでは、また次回。
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