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【校閲ダヨリ】 vol.68 「〜たち」を「〜達」と書いてはいけないのか。


みなさまおつかれさまです。

早くもSNS疲れを催している伊藤です。(本当に早い)

なんというか、「人それぞれの意思」が流れ込んでくる感覚で、MARVEL作品ヒーローたちが最初に経験する「苦しみ」にオーバーラップしているようです。

なるほど。


超えたら強くなれるのですね。
(そんなに上手くいくか)

多様性に触れられるのはありがたいので、今後もマイペースでSNSと付き合っていこうと思います。

さて、Twitterは多くの「言葉の話」に出合える場として私にとってとても有益なものなのですが、フォローしていないユーザーの呟きも表示されます。(オフにできる機能ですが、私はオンです)

その中で、ちょっと気になるものをすれ違いざまに拝見しまして、今回はそれに関するお便りとなります。

「『〜たち』は『〜達』とはせず、開くのが原則。『友達』は例外的にOK」

というものです。(意見として一般化させたいためと、個人を攻撃する意思はないため引用にはしません)

これを読んで、「原則」というのはかなり強い表現なのではないかと思ってしまいました。

「うちの媒体では原則」「(新聞に赤入れしている写真が貼ってあったので)新聞では原則」などであれば「うんうん」となったのですが、広く一般的に「原則」のように読める書き方であったので、このお便りで補足をしようかなと思った次第です。(私個人は、慣れもあって「たち」派です)


「『たち』が原則」の根拠と思われるもの


常用漢字表」の記述です。

常用漢字表のスクリーンショット


」には「タツ」という音読みがあるのみで、「たち」はありません

備考欄に「友達」があるので「これは別(例外)」という話になっています。


なるほど。でも常用漢字って、別に全てにおける原則ではないよね?



おっしゃる通りです。

vol.26でも書いていますが、基本的には「常用漢字表は,現代の国語を書き表す場合に使用する漢字の範囲を「目安」として示したもの」です。


ただ、文化庁が出しているものなので、法令公用文では表記ルールに近しい位置付けになっていますし、新聞雑誌放送など広く公開されるものでも準ずるメディアが多いことはその通りです。

しかし「この表は,法令,公⽤⽂書,新聞,雑誌,放送など,⼀般の社会⽣活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使⽤の⽬安を⽰すものである。」とあるように、事実はあくまで「目安」です。


ふむふむ。それで「うちの媒体では『原則』」が納得できて、単に「原則」が強いって感じるわけか。



そうですね。

常用読みとしてないだけで、「達」に「たち」という読み方が辞書的にないかというと、そんなことはありません

一般的な辞書には「呉音(和音ともいう。日本流の漢字音)」の項目に載っています。

別に「歴史が浅い」という点もありません。

古くは「公達(きんだち、きみたち)」という言葉もありますし、1134年ごろの『打聞集』には「只新不動尊一丈の仏達(タチ)の中いますかり」と使用例があります。

教育の現場では、教科書は「〜たち」とひらがな表記ですが、たとえば子どもたちが「ぼく達」と書いても、注意をしている教員は見たことがありません。(私の実体験です)

確かに、マスメディアでは「〜たち」の原則が成り立つ媒体が多いですが、それを一般的な「原則」にしてしまう書き方はやりすぎだと考えます。

言葉を知っている人、言葉の仕事をしている人が言葉のことを発信すると、少なくない影響を及ぼします。

この場合、自身のフォロワーの範囲でことが収まると考えるのは軽薄で、現代では自分で想像もできないほど多くの人がそれを目にすると考えるのがセオリーになっています。

校閲者は「自分の知識を疑う」癖がついているので常に調べますが、どうか、皆さんのその知識が正確なものなのか言葉足らずでないか、いちど根拠となるものの原典にあたってほしいなと思っています。

言葉は自由なものです。
しかし、自由すぎては本質の「伝達」機能に支障が出るのでガイドラインがあります。

ガイドラインはルールと同義ではありません。

ときに自由に、ときにガイドラインにのっとって、言葉の海を泳いでいきたいものですね。


それでは、また次回。


参考
日本国語大辞典』(小学館)
常用漢字表」(文化庁)


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