実況:「明るい統合失調症」ぶっちゃけトーク」2020220#2
かもカフェ店長こと藤岡暢くんが赤裸々に語る統合失調症。前回の第1回目をまとめるなら、「2人の出会い」と「統合失調症の基礎知識」。↓
話はまだ序盤も序盤。第2回目の今回は「14歳から23歳、診断への道」。
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F=藤岡 T=髙本
F 私はそれで17歳の時に西宮の高校に通ってたんですけど、勉強しすぎて統合失調症を発症して。でも、自分が病気だということが分かんなくて。で、早稲田(大学)に行って、まだ分かんなくて。浪人して(大学に)入ったんで23歳の時に東京の橋とか原発とか作るメーカーに就職したんですけど、そこで、会社で仕事してたら完全に頭が・・・幻覚とか幻聴とか起きてダメで。倒れて、クビになったんですよ、試用期間で。
T 試用期間中に?何ヶ月くらいですか?
F 3ヶ月くらい。
T 3ヶ月くらいで。
F もう、バタって倒れちゃって。
T あらー。
F で、こっち(=関西の実家)に強制送還されて(笑)。
T 強制送還(笑)。
F で、阪大病院の被験者になったんです。
T おおー。
F 統合失調症の研究室があって、そこでデータ提供しながら治療してもらえる、みたいな。そこで確定的な統合失調症の診断をもらいましたね。
T じゃ、ふり返ってみれば17歳の時、既に症状があったと。思い出してみたらそうだ、と。
F なんかね、聴覚が異常になったんですよ。
T どんな感じ?
F 過敏になっちゃって。
T ああ、過敏ですね。
F 精神病の初期症状として統合失調症でも鬱病でもあるはずなんですよ。
T はい。
Fそこらへんでは確定的な診断は下りないですね。
T あ、そうか、聴覚過敏だけでは診断が下りない。
F ただ、のちのちふり返ってみたら、たぶん14歳ぐらいから若年性の精神病ではあったはず。
T ほおー。
F おそらく。
T それは何か覚えてる?
F ちょっと精神的に異常になり始めたのがたぶん14歳ぐらい。
T はぁー。まあ、思春期でね。その時にこういうのが自分で異常だなと思ったことは?
F ずっと死にたいと思ってた。
T ああ、死にたいと。
F なんか人間関係に全く適応できなくて。
T ああ、そうなんですね。
F なんかマクロに見たら、中学生100人集めたらたぶん2人くらい精神病になるはずなんですよ。おそらく。
T うん。統合失調症はどんな文化に行っても1%の発症率だと統計的に言われているんですね。100人に1人か2人はなる、と。
F まぁ仕方ないですね。そうなったら。
T 遺伝とか、いろいろ環境要因とか、いろいろあるんですかねぇ?
F そうですね。いろんな複合的な環境で私はそうなったのは事実だと思います。
T うんうん。
F そこからですね。そこから人生をどうするかというのが。
T そこから、ですよね。
F 興味深いと言うか。
T 14歳から17歳、ふりかえって見れば、その辺りで発症したなっていうのがあって、でも、ちゃんと大学に行って、就職までした、その間の苦労も大変だったんじゃないかな?と思うんですね。
F そうですね。基本的に大学の授業とか受けれなくて。
T そうなんですね?!
F 非常に聴覚が過敏なので。法学部って大教室が多いんですけど、隣でペン回しとかしてる人のペンの音が刺さるとか。隣で咳してる人がいたらその咳の音で文字がガッと歪むとか、そんなんで授業が全然受けれなかったんですよ(笑)。
T それしょっちゅう起こりそうなことですね。少人数だったらまだしも大教室でいっぱいいる訳で。(会場の)この空間は、これぐらいだったら大丈夫?
F うん、大丈夫ですね。つまり、人間て資本主義社会の中で食っていくには基本的には組織の中で生きていくことになるじゃないですか。その組織って、いろんな「刺激」がある訳です。たとえばオフィスのドアが開く音とか。FAXの音とか。急に電話が鳴るとか。そういうランダムな刺激に耐えれることっていうのが身体的な条件になってくる訳ですね、資本主義社会で生きていくためには。しかし、統合失調症を発症した私の脳がそれに対応できない。ていうのが非常に苦労したところでした。
T ねぇ、苦労なさったと思うんですけど。(略)じゃ、診断がついた時の感想を伺ってもいいですか?
F うーん。何ていうか・・・「何それ?」みたいな(笑)。統合失調症って何?っていうのが分かんなかったですね。
T そうですよねぇー。
F よく分からない名前じゃないですか。「統合」が「失調」って。
T (笑)「何それ?」ってね。で、いろいろ調べたりはご自身で?
F そうですね。勉強しました。
T 勉強はお好きだって言ってましたね。
F 鬱病って言ったら「鬱」、って言う字がキャッチフレーズとして強くて、「ああ気持ちが沈んでるんだなぁー」っていうのが認識しやすいですが。統合失調って何だって(笑)。よく分からないというのが、初めての感想でした。
T よくあるのが、診断とか受けた時に「そうか、ああ、分かった!」っていう、分かっていこうというタイプと、「そんなものなのか?!」というショックを受けるタイプと2つあると思うんですけど。
F 私は「そうなんだぁ」ぐらいだったんですけど、周りがね「え?」みたいな。言われましたよ、私も。「ちょっとそれは・・・」みたいなことは言われました。
T 誰とかに?
F 当時つきあってた彼女に言われましたね。
T ああ、彼女かぁー。そりゃそう(ビックリ)ですよね、きっとね。
F 統合失調症に関する偏見みたいなのは多少あるんでしょうね。私は直接感じたことはないんだけど。
T あると思いますよ。あからさまに出さないとは思いますけど。理解のない人とか。藤岡君だって最初は「何それ?」って思ったように。一般的なところで「こういうところを気をつけてあげよう」みたいな理解がある人というのはほんとに一握りというか、ご家族に(当事者が)いらっしゃるとか。知識がある方は少なくて。そうなった(=診断を受けた)時に、自分もそれを受け止めなきゃいけないけど、周りがわちゃわちゃし始める、みたいなことはありますね。
F そういう意味で親との関係もかなり苦労しましたね。
T あ、やっぱり。
F 今はかなり仲がいいんですけど。結構苦労しましたね、そういう意味では。
T まあ、親御さんの立場から行くともちろんショックだったり、どうしよう?って、お母さん達も混乱されたと思うんですけどね。(※髙本はかもカフェに来店した際にご両親に会っています。)
F というか、家族構成員の病気に向き合うという経験が私の家族には無かったので。そのレベルから、でしたね。
T うんうん。
F 大病をしたことがある人が私の家族にはいなかったので。統合失調症はおそらく大病だろうみたいな雰囲気はあったんですけど。じゃあ、どうしていこうかみたいなのが、8年前の23歳の頃の、私の家族にはありませんでした。
T ああー。そうですよね・・・。私も発達障害のお子さんのお母さん達とよく話すんですけど、そういう時にね、「どういう風に知っていけばいいの?」「どんな支援があるの?」とかを自分から探していかないとあんまり(支援や情報が)無いんですよね。
F そうですね。
T どこか団体とつながったとか、行政から「情報をもらえて助かった」感じ(はありましたか)?
F 私はそういうの無くて。自分で医学書とかめちゃくちゃ読んだんですよ。私がちょっと特殊なんですよ、そこが。
T 自らそういう事(=研究)をやろうというタイプでいらっしゃって。
F 統合失調症になって、統合失調症の患者が統合失調症自身をめちゃくちゃ研究するってあんまり無い例だとは思うですけど、私はそのタイプだったんです。
***
第2回はここまで。大変だっただろう人生をふりかえる藤岡君の口調は淡々としていて、「これまでものすごい自分の症状を研究してきたんだな」ということを感じさせるものでした。症状の話、診断がついた時の話、周りの人達の反応の話。文字起こしをしていると、丁寧に聞いていきたいと思ったこの時の気持ちをありありと思い出します。まだまだ続きます。お楽しみに。
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