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20210918 処理と魔法使い
今夜は牛丼と、ささみとキャベツのスープ(ショウガ風味)が夕ご飯。牛丼は生協のミールキットで作ってもらった。人が作ったごはんはおいしい。スープは朝茹でたささみの茹で汁を利用して昼作ったもの。生姜が効いてとてもおいしい。生姜はすごい。
今日は主に1人だったのでずーっと溜まってたレシート整理をした。やっっとデジタル化。グラフが出てきて楽しい。まだまだ未処理のレシートが。
処理、で思い出したけれど私は処理とか整理が下手。どんどん溜まっていく。捨てるものと取っておくものの判断をするのが煩わしい。でも溜まっていくのもストレス。3日前くらいの新聞を今無理に読んでて、周回遅れみたいになってる。つらい。読むというより「処理」してる。これってどーなんだろう。とはいえ、なんとなく気になる、捨てれないものには後から見たら理由があるものもあって。こないだはなんとなく取っておいた新聞に、気になる美術展の記事があって、わざわざ車を借りて滑り込みで行ってきた。とても気持ちが開放されたので良かった。美術の不思議なところ。問いかけとうつくしさと、終わった後のもやもやの余韻。私は美術が好きだなぁと思った。何という爽快感。その鮮度は忘れそうだけども、生きてるみんなは美術家、芸術家だみたいなことをその人は言っていたそうな。勝手に勇気を貰った。私も何かできるはずって。
ちゃんと図録見直したので書き起こす。
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私の作品は刺激剤のようなもので、彫刻についての、あるいは芸術全般についての考え方を変えるためにある。彫刻とは何でありえるのか。どうすれば彫刻という概念を、誰もが用いる見えない素材にまで拡げられるのか。そんな問いに対する、さまざまな考えを引き出すものでなければならない。
思考の形: 私たちは自分の考えをどう形作っているのか。
言葉の形: 私たちは自分の考えをどう言葉にしているのか。
社会彫塑: 私たちはどう、自分の暮らす世界を形成し方向づけているのか。
発展過程としての彫刻
人は誰もが芸術家
だからこそ私は、彫刻を仕上げず、終わらせない。ほとんどの作品は、化学反応、発酵、変色、腐敗、乾燥といったプロセスのなかにある。すべてが変化しつつある。
ヨーゼフ・ボイス
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今思うと私が受け取ったニュアンスと異なるかもしれないな。
ここでいう「芸術家」というのが単に美しい絵を描ける人だけではないのかな。どちらかといえば問いを持っている人なのかなぁと思った。日々の暮らしに疑問を持つ、というか。(解釈はいろいろあるとおもうので私が思う芸術家像です)それか魔法使いか道化師。ちょっと変だけどいるとおもしろいような感じ。
ぼんやりしたことばっか言いましたが、「一般的には要らないものだけど自分には要る」ってのが人にはたぶんそれぞれあって、それを大事にしていければなと思います。(なんじゃこりゃ)
そして自分もつくってみたい、何かしらを。
長くなっちゃった。たいふーは通り過ぎたのか。静かな夜。