![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/46657273/rectangle_large_type_2_b4481ad795fdf45dd2d30c3ba674cc10.png?width=1200)
自信過剰な人々
神原元弁護士の場合
レイシストやセクシストと対話することが無駄であると主張する方はかなりいらっしゃいます。自由法曹団に所属する神原元弁護士も同様です。
イ・ミンギョンという韓国のフェミニストが、女性は男性に女性差別のなんたるかを説明してやる必要はないと述べている(「私たちには言葉が必要だ」)が、この教えは俺がかつて在特会に対峙した経験から学んだこととも整合している。
— 弁護士神原元 (@kambara7) January 1, 2021
差別主義者と「対話」をしてはならない。その多くは徒労だからだ。
いつも言うのだが、racistと「対話」をしてはならない。「対話」という営みは相手の主張に一定の共感を示してのみ成り立つのであり、racistと「対話」しようとすると「●人を●せ」という主張に一定の共感を示さないといけない羽目に陥るからだ。
— 弁護士神原元 (@kambara7) February 10, 2020
sexistとの「対話」についても同じことが言えそうだ。
racistとsexistの武器は「対話」である。
— 弁護士神原元 (@kambara7) February 10, 2020
彼は囁く。「我々にも間違いはあるが、君にだって間違いはあるだろう?お互い見直そうじゃないか?」そう囁いて巧みに妥協を引き出し、敵を分断し、孤立させるのだ。
これに対する有効な対策は、ただ一つ。断固たる、毅然とした、妥協のない「ノー」である。
その神原元弁護士は拉致問題などで対立関係にある日本と北朝鮮については対話を求めるべきだと主張しています。
北朝鮮に対する制裁強化や軍事的威嚇が、事態を沈静化させるどころか、むしろエスカレートさせていることは、既に明らかではないか。日本の政治家がなすべきことは、国民の生命財産を守るため、今すぐ関係各国(北朝鮮を含む)との話し合いの場を作ることである。国民の危機感を煽るのは逆効果だ。
— 弁護士神原元 (@kambara7) September 14, 2017
山口祐二郎さんの場合
「在特会壊滅への道」が週刊金曜日ルポ大賞を受賞し、男組若頭を名乗っていた作家の山口祐二郎も同様の主張をしていらっしゃいます。
ヘイトスピーチは表現の自由ではなく、ヘイトクライム(差別憎悪犯罪)の一形態で、明確な犯罪行為なのだ。そのようなレイシストと対話をしろって批判してる人たちは、暴力を振りかざしながら刃物をぶん回している人間と、自分は何もしないで安全圏から対話をしろって言っているようなものだ。無責任。
— 山口祐二郎 「ネット右翼vs.反差別カウンター 愛国とは日本の負の歴史を背負うことだ」発売中 (@yamaguchiyujiro) January 16, 2021
その山口祐二郎さんもまた、北朝鮮との対話のチャンネルになることができるという自信を抱き、北朝鮮との対話を主張していらっしゃいます。
私は必ず日本を動かしてやるとの決意を抱いている。その1つが朝鮮民主主義人民共和国との問題だ。日本政府は対朝鮮敵視政策を展開しているが、日朝間のさまざまな懸案は進展していない。いくら勇ましいことを言おうが批判しようが、何も進んでいないのだ。
— 山口祐二郎 「ネット右翼vs.反差別カウンター 愛国とは日本の負の歴史を背負うことだ」発売中 (@yamaguchiyujiro) September 24, 2020
北朝鮮と誠実に向き合い、誠意を持って対話と交渉をしなければ、日朝間の懸案を進展させることは難しいだろう。私はその1つのチャンネルになるつもりだ。
— 山口祐二郎 「ネット右翼vs.反差別カウンター 愛国とは日本の負の歴史を背負うことだ」発売中 (@yamaguchiyujiro) September 24, 2020
神原元弁護士と山口祐二郎さんは対話を推進することができるのか
私は彼らが本当に対話することができるのかと大いに疑問を抱いています。なぜならば、レイシストやセクシストとの対話すらできないにもかかわらず、北朝鮮と対話することができると信じている彼ら根拠なき自信がまったく信用できないからです。
対話というものは根底にある価値観が同じであることほど容易で、それが異なっていればいるほど困難となります。家族との対話と他人との対話、会社の同僚との対話と取引先の会社員との対話、いずれの対話が容易であるかを考えればわかります。これは、日本人同士の対話と日本人と外国人との対話でも同様でしょう。会話する言語も同じ、ほとんど同じような教育を受けてきて、主に日本人のコミュニティの中で生活してきた者同士との対話と、言語、教育、育ったコミュニティが異なる者との対話では後者がより困難であることは明らかだといえます。
ここで大きな疑問が生まれます。神原元弁護士や山口祐二郎さんは、日本人同士の対話すら放棄するほど他者とのコミュニケーションに自信がないにもかかわらず、なぜ北朝鮮との対話には自信満々なのでしょうか。それなりの年齢を重ねているにもかかわらず自分自身をちゃんと見ることができていないのではないかという私の見方が誤りであることを祈ります。