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「信濃町山荘事件」振り返り 1〜元凶は瀬戸弘幸さん〜

瀬戸弘幸さんの意図を考察する

 東村山問題の元凶が瀬戸弘幸さんであることについてプロローグで述べてきました。引き続いて瀬戸弘幸さんがなぜそのような愚かな判断をするに至ったのかについて考察してみようと思います。
 瀬戸弘幸さんが政治への野心を常に持っていたことについては明らかですが、その野心がより強くなったのが東村山問題に参入してきた平成20年7月頃であったと思います。平成19年7月施行の参議院議員通常選挙の比例区に維新政党・新風の党友として立候補し、維新政党・新風の候補中最多得票となる望外の結果を得ることになり、結果として平成19年12月に維新政党・新風の副代表に就任することとなりました。後にも幸福の科学の信者や「創価学会の集団ストーカー被害者」を自称する者の信者の支援を受けてまで国政に立候補することを企てていた瀬戸弘幸さんとしては、より多くの層の支援を受けることができれば維新政党・新風の代表に就任することも不可能ではないと考えたでしょうし、維新政党・新風の党勢を増すことができれば国会議員の座も得ることができるのではないかと考えたのではないでしょうか。
 私は、東村山市議会会派「草の根市民クラブ」の力というより、朝木明代元東村山市議会議員の転落死を使用して宗教的な対立関係にある創価学会の力を弱めようとしていた日蓮正宗の一部宗派の力をあてにして瀬戸弘幸さんが東村山問題に参入してきたのではないかと考えています。

瀬戸弘幸さんのもう一つの批判されるべき行状

 瀬戸弘幸さんの批判されるべき行状は、東村山問題に多くの行動界隈を巻き込んで多くの者の心身を蝕んできました。ここで忘れてはならないのは、瀬戸弘幸さんはもう一つ批判されるべき言動があった点です。
 日蓮正宗の小川頼宣さんは、創価学会に対する橋頭堡として信濃町駅前にアジトを設置して創価学会への攻撃を過激化させたいと考え、「鉄砲玉候補」として瀬戸弘幸さんをリストアップしてスカウトしました。しかしながら、「靖国神社に参拝できないのは嫌だ」と瀬戸弘幸さんは拒否して、そのスカウトが日本を護る市民の会代表であった黒田大輔さんへと向かうこととなったのです。スカウトを受けたその後の黒田大輔さんの転落ぶりは皆さんのご存じのとおりですが、瀬戸弘幸さんがそのスカウトを断ったのが日蓮正宗の教義によって靖国神社に参拝することができないと言うことだけが理由であると考えると疑問が残ります。利がない、リスクが高いという当たり前の判断からスカウトを断ったというのが、関西生コンという非常にリスクの高い団体相手の「鉄砲玉」を受諾した瀬戸弘幸さんの真意だったのではないでしょうか。そうだとすれば、瀬戸弘幸さんは行動界隈内において、利がなくリスクが高い対創価学会の「鉄砲玉」という役割について広くアナウンスしておく必要があったと思います。
 なお、小川頼宣さんが黒田大輔さんに準備した部屋であるその後「信濃町山荘事件」の現場となった南元町の信濃町ハイツには、現在は公明党に所属する新宿区議会議員もお住まいになっています。