「愚者」を許容できない社会運動は先鋭化する〜吉住さんのR-1グランプリの活動家ネタから〜
吉住さんのR-1グランプリネタ
R-1グランプリ決勝戦で吉住さんが披露した活動家を揶揄するネタが話題になっています。
このネタに対して 村本大輔さんが政治ネタは権力をコメディで皮肉り、批判するものであるから政治ネタではないなどと批判なさっているようですが、お笑いというものはもっと自由なものであると思います。まあ、村本大輔さんは特定の政治的な立ち位置に沿ったネタを披露して、そこにシンパシーを持つ者に評価されるというお笑い界の安田浩一さんの路線を選んだわけですから、向上心もそれほどないと思いますし、最早新しいお笑いを理解して切り開くという進取の姿勢など持ち合わせてはいらっしゃらないのでしょう。
市民団体の先鋭化の事例〜在日特権を許さない市民の会の場合〜
ただ、この吉住さんのネタで明らかになったこともあります。それは、真面目な活動を揶揄するななどと吉住さんのネタを批判する者が想像以上に多かったことです。それも、社会運動に携わっていたり、特定の社会運動にシンパシーを感じていたりする者からの批判が目立ちました。その状況を見て「愚者の存在を許さない」社会運動が少なくないことを改めて実感しました。
私が接した社会運動の中でその典型であると認識しているのが行動界隈のなす行動する保守運動と、しばき界隈のなすカウンター反差別運動です。
行動界隈について触れますと、在日特権を許さない市民の会は、在日コリアンに存在すると主張する「在日特権」をなくすという大義名分を唱えながら、かつて在日コリアン三世である新井知真さんを副会長に就任させており、非常に緩い組織であったことが分かります。
この在日特権を許さない市民の会は二段階で変貌することとなります。第一段階は行動する保守の活動家との関わりによってもたらされました。特に、左翼活動家からの転向組で左翼運動家の手法を用いる主権回復を目指す会代表の西村修平さんとの関わりが非常に大きかったと思います。西村修平さんの街頭宣伝活動の手法に影響された桜井誠こと高田誠さんの社会運動は大きく変貌することとなります。ここで東村山駅前ブティック襲撃事件が発生することになります。西村修平主権回復を目指す会代表の「語る保守から行動する保守へ」のキャッチフレーズが何度も語られ出したのもこの頃でした。
瀬戸弘幸維新政党・新風元副代表の「警察の内部情報」に踊らされて、東村山問題を昔から追求していた宇留島瑞郎さん、千葉英司元東村山警察署副署長を創価学会の擁護者などと勘違いして名誉毀損を繰り返した西村修平主権回復を目指す会代表、黒田大輔日本を護る市民の会代表、槇泰智政経調査会代表などが民事訴訟の被告となり、瀬戸弘幸維新政党・新風元副代表自身も民事訴訟被告となって敗訴を繰り返しました。それに対して、東村山駅前ブティック襲撃事件に加わっていたものの、東村山問題に深入りしなかった桜井誠こと高田誠在日特権を許さない市民の会元会長は無傷でした。
その後、京都朝鮮第一初級学校威力業務妨害事件や徳島県教職員組合威力妨害事件が発生して在日特権を許さない市民の会は、主権回復を目指す会などと同様に民事訴訟や刑事事件により追い詰められることとなりますが、在日特権を許さない市民の会の立場からすると、かつて影響を受けた行動界隈の年長者の不甲斐ない姿を目にする機会でもありました。
西村修平主権回復を目指す会代表は、宇留島瑞郎さんに対する30万円の損害賠償すら分割払いにせざるを得ないほど資金が枯渇し、京都朝鮮第一初級学校威力業務妨害事件の民事訴訟においては、桜井誠こと高田誠在日特権を許さない市民の会元会長が当初依頼していた弁護士について、西村修平主権回復を目指す会代表は「その弁護士は左派であるから右派の弁護士に依頼せよ」と無茶を押し通す一方、多数の会員を抱える在日特権を許さない市民の会の資金を当てにしたとしか思えない「全体の裁判資金をプールして裁判に備えるべきだ」などという見苦しい発言を繰り返しました。そのような中で桜井誠こと高田誠在日特権を許さない市民の会元会長の心の中に彼らに対する侮りが生まれ、独自の路線を進もうとした結果、「朝鮮人をぶっ◯せ」というシュプレヒコールであったのではないでしょうか。桜井誠こと高田誠在日特権を許さない市民の会元会長は、在日特権を許さない市民の会総会において、「『朝鮮人をぶっ◯せ」と主張した市民団体は在日特権を許さない市民の会が初めてだ」と誇らしげに自慢していましたが、行動界隈のどこよりも先鋭化して迷走の結果、一丁目一番地のヘイトスピーチにたどり着いたわけです。
この在日特権を許さない市民の会は、後に「国家と愛国」にまとめられるこの頃はまともであった安田浩一さんの取材に対しても、当初は好きに謝罪して構わないし事実なら悪口も構わないという姿勢でしたが、その後は謝罪拒否という姿勢に終始することになりました。また、初期は大阪支部や京都支部という過激な活動を行う支部を抱える一方、渡邊裕一千風の会代表がヘイトスピーチをしないように厳しく指導していて住民監査請求を中心に活動していた千葉支部のような支部もあるうえに、在日特権を許さない市民の会の幹部会議に渡邊裕一千風の会代表をオブザーバーとして参加させるなど緩い組織でしたが、千葉支部のその当時のメンバーのほとんどが離れ、京都朝鮮第一初級学校威力業務妨害事件の主犯ともいえる西村斉さんを京都支部長に再登用させた時点からその緩さは失われました。
社会運動の先鋭化の事例〜最初から愚者の存在を許さなかったレイシストをしばき隊をはじめとするしばき界隈〜
在日特権を許さない市民の会が最初は緩く「愚者」の存在を許す組織からそうではない組織へと変貌したのに対し、レイシストをしばき隊は最初から「愚者」の存在を許しませんでした。もっとも展開的であったのは、在日特権を許さない市民の会などの新大久保でのデモにカウンターとして対峙しながら目にしたウォッチャーに対して「お前らウォッチャーが一番腹が立つんや」と有田芳生参議院議員(当時、その後落選)と並んでシュプレヒコールしていた菅野完さんがドラメガで叫んだ罵倒でしょう。この菅野完さんの発言でも分かるように「愚者」を許さない組織というものは敵よりも「愚者」を憎むようになるのです。
その後、久保憲司さん、清義明さんの逮捕に始まって男組の高橋直輝こと添田充啓さんや木本拓史さんの逮捕と有罪確定、反差別のために在日特権を許さない市民の会などのデモに対してカウンターをしていた大学院生を複数人で一方的に殴る北新地大学院生リンチ事件が発生し、しばき界隈のメンバーが一気に連合赤軍化したのも当初から「愚者」の存在を許さない風土がそれを招いたのだと思います。