弘兼憲史さんの「社外取締役島耕作」に思うこと
弘兼憲史さんが「社外取締役島耕作」の表現を撤回し謝罪
漫画家の弘兼憲史さんがコミックモーニング連載の「社外取締役 島耕作」に不適切な表現があったとして謝罪しました。
弘兼憲史さんといえば「課長 島耕作」でヒットし、松下電器産業のサラリーマンであったという経験もあって、一時期多くのビジネス本を執筆しており、私も読んだことがありました。しかしながら、そのビジネス本の内容は、辟易とするほどご自身も属する団塊世代を殊更誇大に表現したものでした。例えば、団塊の世代は警察などに殴られてきた世代だから上に対する遠慮がない世代だとか、大勢の者がいることで厳しい選抜を経てきた世代であるとか述べていたのです。このような表現は「課長 島耕作」の中でもしばしば見られ、初芝電器の大泉裕介社長が、当時四十代であった団塊の世代の樫村を後任社長と考えており、これから団塊の世代は次々とトップに立っていくと述べ、大泉裕介社長が団塊の世代を特別に優秀な世代であると考えていることが明らかにされる場面などが思い出されます。
そのような弘兼憲史さんですから漫画の表現で不適切なものがあったとしても不思議ではありません。ただ、疑問に思うのは講談社の校正は一体何をしていたのかという点です。辺野古基地の活動家らがアルバイトであるとか日当が出るなどという表現が表現規制と抗議を殊更におこなっている活動家らがライオンの獣舎に投げ込まれた生肉にあさるように飛びついてくることは弘兼憲史さんや校正を担当する講談社の社員よりはるかに世間の狭い私ですら分かることです。その結果、辺野古の警備員事故死の動画が公開されたことから目をそらせようとする一部を持つ者のイデオロギーの格好の餌食となって、表現規制の成功体験が彼らへのボーナスとなってしまったのです。講談社の校正はこの程度の未来すら想定しなかったのでしょうか。