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地獄と生き地獄

「戦争に行かない奴が戦争をやりたがる」のか?

 「戦争に行かない奴が戦争をやりたがる」というのはよく用いられるフレーズです。特に左翼の方がよく用いるのを目にします。ただ、私はこの認識は人間の感情を理解していない社会経験の少ない人物だけが感じる認識であると思います。
 なお、画像は「戦争」で検索してヒットした航空戦艦日向の画像をお借りしました。

戦争に行かせる者の地獄

 戦争に行かせる政府のトップの立場を想像してみましょう。戦争は勝ったとしても負けたとしても国力が大きく失われるものであって、可能であれば避けたいというのが本音であると思います。そのような状況の中でやむを得ず実力行使に至るのが戦争でしょう。その結果多くの若者を戦場という地獄に送ることになるわけです。その結果、多くの者が命を落とすこととなり、遺族が嘆き悲しんでいることを察しながら、自分は若者たちと同じ地獄を味わうことも多くの者が命を落とすという命令を撤回することもできません。それはまさに生き地獄と言えるのではないでしょうか。

「最前線を希望する皇族や王族」というのは佳話なのか

 戦前の日本においては、天皇が軍人であることが求められました。香淳皇后の母系に色覚異常の者がおり、昭和天皇の皇子が遺伝により色覚異常となって軍人となることができないのではないかという懸念がきっかけとなって発生した宮中某重大事件などからもそのような認識は強かったと考えられます。そして、天皇だけでなく多くの皇族が軍人として従軍することとなりました。
 君主制民主主義や王制をとっていた海外の国々でも王族が軍人であることが求められる国は少なくなく、戦争の際に軍人として従軍する王族も少なくありませんでした。そして、皇族や王族が最前線への配置を希望する事例は少なくありませんでした。
 この事例をストレートに解釈すれば「ノブリス・オブリージュ(noblesse oblige)」の意識を行動に移したものという佳話になりますが、私はそれだけであるとは思いません。
 軍に皇族や王族が配置されることになると、軍の側も皇族や王族が負傷したり戦死したりすることのないようにできる限りの配慮をなしたことは想像することができます。それによって誰か別の者が最前線に配置されることになるでしょうし、皇族や王族を守るために負傷したり命を落とす兵もいたことでしょう。皇族や王族が戦死すると軍の士気に関わることが多いわけですから、このような配慮は当然のことであると思いますが、一方で守られる皇族や王族の立場に立ってみると自分のために少なくない者が負傷したり命を落としたりするの目の当たりにすることになります。最前線を希望した皇族や王族にそのような特別扱いより多くの兵士と生死をともにする方がまだましであるという意識がまったくないと否定することはできないと思います。
 自分の命令によって多くの者が命を落としたり、自分を守るために多くの者が負傷したり命を落とす「生き地獄」と、自ら最前線に立って多くの兵士と生死をともにするという「地獄」を比較すると、「戦争に行かない者が戦争をやりたがる」という言葉がいかに軽薄であるかが分かります。