神原元弁護士の稚拙そのものの「天皇制」論とその周辺の議論
神原元弁護士の「天皇制」論を読む
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、「正義は勝つ」というチャイルディッシュな発言や住民監査請求が「リーガルハラスメント」という法に基づいて権力を監視するという弁護士の立場すら忘れたかのような発言でお馴染みの神原元弁護士がnoteを始めていらっしゃいます。
歴史修正主義者であることを露呈させた神原元弁護士
神原元弁護士のnoteに感じる第一の違和感は、歴史的事実をねじ曲げていることです。昭和天皇はマッカーサーに会った時に太平洋戦争をはじめとする先の大戦に関わる全責任を自分が負うと述べて、命乞いや責任回避をすると思っていたマッカーサーを感動させたというのが歴史的事実であるわけですが、神原元弁護士は何を見て昭和天皇が命乞いをしたと判断したのでしょうか。神原元弁護士の「天皇制」論で述べられる昭和天皇とマッカーサーの面会の場面で昭和天皇が命乞いに成功したという表現は、歴史小説のように史実や解釈が定まっていない部分に創作を加えるのですらなく、何の史料にも解釈にも基づかず、歴史を改竄する行為に他なりません。これは、神原元弁護士ら左翼思想の者が意見が対立する者への批判として多用する歴史修正主義者というものをはるかに超えるものであると言えます。
ただ、神原元弁護士のお気持ちも分からなくもありません。自由法曹団という日本共産党に近いイデオロギーの団体に属する神原元弁護士としては、昭和天皇が戦争の全責任を負うなどという立派な発言をなしていては都合が悪いのでしょう。
なお、人は自らがよく知らない人物が何を考えているかを推察する場合に
「自分ならどうするか?」
という価値判断で考えてしまいがちです。ただ、あれほどXで勇ましい発言をなさっている神原元弁護士が
「私が昭和天皇の立場なら命乞いをする」
と考えて「命乞いをした」などという考え方をなさっているはずもなく困惑しています。
昭和天皇に戦争責任はあったのか
今から何千年ほど経過し、ひょっとしたら日本という国の存在すら無くなってしまったかもしれない未来の歴史研究において、太平洋戦争後の日本国憲法下の日本では、国民主権という民主主義に基づいて国家が運営されていたものの、天皇が三権を統べて、国会、内閣、司法は天皇の名で任命されて輔弼する存在であったという歴史解釈があったとすれば、現在を生きる私たちはそれが誤りであると判断することができます。ただ、日本国憲法を条文通りに読むと、内閣の助言が具体的に日本国憲法で規定されておらず、後世の者がこのような解釈をすることは十分に考えられます。現在の日本では内閣の助言がないと天皇は動くことができませんし、物議を醸した上皇陛下が譲位の意向を表明されたメッセージについても、天皇が内閣の反対を押し切ってなしたものなどではなく、内閣の承認を受けて発信されたものです。つまり、法令を考えるにあたってはどのように解釈され運用されているかを考えることが重要で、その専門家が法曹という実務法律家であり、法律学者という研究者であるわけです。
しかしながら、歴史研究においては法律学に基づく分析がなされることはほとんどないと言ってよいでしょう。例えば、開戦前の御前会議において昭和天皇は戦争を避けてほしいという意思を歌に込めて伝えましたが、御前会議では昭和天皇の意思を反映させることなく開戦の方向で進むことが決まりました。この事実を解釈するにあたって法律学による分析がなされているものを私は見たことがありません。
昭和天皇の歌をどう解釈すべきか
この昭和天皇の歌について妙な解釈をなさる方がいらっしゃるようです。
明治天皇が詠んで日露戦争が止まらなかった反戦の歌であるから、昭和天皇がそれを知って太平洋戦争に踏み切らせるために同じ歌を詠んだという珍解釈ですが、この解釈には決定的な事実の解釈が欠けています。それは、天皇が大権を行使した事例がほとんどないということです。
昭和天皇は、摂政となってから日本国憲法施行までの間大権を行使することができる立場にありましたが、その間天皇が大権を行使したのは二二六事件のときと終戦のときに限られています。摂政時の関東大震災や五一五事件などという混乱時においても天皇が大権を行使して政府を指揮したり、混乱を防ぐために天皇が国民に呼びかけることはなく、政府が事態の収拾に当たっていました。これら事例から考えられるのは、天皇の大権の行使には何らかの条件が付与されていて、条件を満たさない事例では政府の案を承認することしかできないという憲法の解釈が行われていたということです。そして、二二六事件、終戦時とその他の事例で異なっている点をあえて探すならば、政府が意思決定をなすことができない状態であったことが挙げられるでしょう。二二六事件事件では襲撃を受けた大臣が桁違いに多く、生存していた大臣についても連絡を取ることが難しかった状況で、総理大臣のみが殺害された五一五事件事件とはまったく異なります。つまり、天皇機関説でパージされた美濃部達吉貴族院議員の研究どおりに大日本帝国は統治されていたわけで、政局とした当時の皇道派がいかに国のことをわかっていなかったかが明らかになるとともに、現在においても様々なお言葉から上皇陛下、天皇陛下、皇嗣殿下のご意思が直系優先、長子優先の皇位継承にあることを忖度することができるにもかかわらず、保守派を自称する者が一度皇族から離れた者の末裔に対して婚姻などの事由がないにもかかわらず新たに皇族としようとしているのを見ると、令和の「天皇機関説事件」が進行しているように感じます。