頑張れないことの方が辛いこともある
この記事は1,471文字あります。個人差はありますが、3分〜4分でお読みいただけます。
このnoteではVoicy(音声配信)で配信した内容のテキスト版(要約版)です。詳しくはVoicyで聴いて頂ければと思います。
ちなみに、Voicyは下記チャンネルで毎日更新しています!
今回のテーマは、「頑張れないことの方が辛いこともある」です。
どうぞお付き合いください。
頑張りたくても頑張れないこともある
頑張ることが美徳とされることは多いですし、僕ら自身も頑張ることを求められたり、応援としてそうしたメッセージを送ることもあります。
「障害があってもこれだけ頑張れるんだ!」という姿は、周囲に勇気やエネルギーを与えることもあります。でも、そもそもそこには障害の有無は関係あるんだろうか?
そのテーマだけで一つコラムを書けそうなのですが、今回の本題はまた別でして。
頑張るのはいいけれども、頑張れないことが辛いと感じる方もいるということは知っておく必要があると思います。
実際の臨床現場では、「本人が頑張っているように見えません」とか「それは頑張っているうちに入らない」と言われてしまうことは決して稀じゃありません。 でも、僕らがそこで考えないといけないのは、僕らの物差しや基準だけで考えないということです。
また、頑張りたいけれども、頑張れないことで苦しんでいる方もいらっしゃるんだということも同時に考えないといけないんじゃないかと思うのです。
だからこそ、そこで「さらに頑張れ」じゃなくて、「頑張りたいけど、頑張れないことで苦しんでいる可能性もある」ということも考えてみることが大切だと思います。その上で、でも今できていることだってあるでしょうし、ご本人たちが努力しているところも、きっとあるはずなので、そこをどう見つけていくのかっていうことも、一つの役割なんじゃないかなって僕は思っています。
たとえば
ADHDの方々は不注意による不都合(忘れ物、なくしもの、ミスなど)を減らしたいと思っていても、なかなかうまくいかないことがあります。その結果、周囲からは怒られ、次第に自分でもやる気がなくなってしまい、「自分がこれ以上傷つかないために、頑張ることをやめる」場合もあります。だけど、それで安心するわけではなく、むしろ「自分は何をやってもできない」となってしまうことだってあります。
「自己責任じゃないのか」と思う方もいるかもしれませんが、「頑張らない」ということを選び取ったのか、選ばざるを得なかったのかは大きな違いです。後者の場合、他の選択肢がなく、頑張らないという選択をするしかなかったわけなので、ご本人は納得していませんし、いわゆる自己肯定感も下がりやすいと思います。
ASDの方々も、一生懸命話を聞こうと思ってもうまく聞き取れなかったり、耳から聞いた情報を取り入れるのが難しいことがあります。自分では頑張っていても、周りからやる気がないと思われ、自己嫌悪に陥ることもあります。
まとめ
僕らが考えたいことは、頑張っていることだけを評価するのではなく、頑張れないことの背景にも、辛いさがあるんだということを理解しようとすることです。もちろん、全員がそうではないかもしれませんが。
より詳しくはVoicyを聴いてもらえればと思います。
では。
佐々木康栄
災害時に役立つさまざまな情報
これまでnoteにまとめていましたが、TEACCHプログラム研究会東北支部のホームページに集約しました。宜しければご活用ください。
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