ある日の夕暮れ時、きみが虹を歌って
最近、ふと思うことがあって、ここに投稿します。
ぼくは、昔から弱いところがあって、就職とか社会人としてがんばることに前向きではありませんでした。
でも、子供ができて、ずっと無職だったけど働かざるを得なくなったんです。
その時は、というか今もそうですが、子供にご飯を食べさせるために、もう必死でした。
大して頭も良くないし、能力もないし、身体も丈夫じゃないし、父親としての甲斐性のなさを不甲斐なく思う毎日で、いつも自分のことを心の中で責めていました。
だから、一生懸命がむしゃらに働いて、働いて、ようやく訪れた休日は、ぼくにとって、とても大切なものでした。
でも。
やっと休みが来たと思ったのに、今度は、子供の騒ぐ声がうるさくて心がまったく休まらないのです。
あれ……?
おれの人生って何なんだろう?
どうして、おればかり我慢しなきゃいけないんだろう??
おれの人生は、子供のためだけにあるんじゃないんだぞ!!
親になったら、一度はそんなことを思う人もいるのではないでしょうか。
けれど、ある日、それは逆かもしれない、とも思ったのです。
もしかしたら、自分は子供のために生きているのではなく、子供がいるからこそ、何とか生きていけているのではないだろうか。
ぼくは、就職することだけでなく、生きることにすら前向きではありませんでした。
ぼくは、自分が生きる意味を持てたのは、子供のおかげだと感じているのです。
もっと言ってしまうと、こうして、毎日息をすることができているのは、あの子たちがいてくれるおかげだからなのではないか、と思っているのです。
あの子たちと出会う以前のぼくは、だれかと一緒にいるのが辛くて仕方がなくて、ずっと一人で生きていこうとしていました。
でも、それは無理でした。
人なんて、本当に弱くて、ちょっと強い風が吹けば、どこかにいとも容易く吹き飛ばされてしまいます。
そんなとき、重たいものを背負っていると、冷たく、強い風が吹いたときでも、しっかりと地面に立っていられるのです。
子供は、ぼくにとって、吹き飛んで消えてしまわないための重石なのでした。
もちろん、子供を持っていることで不自由な思いをすることもたくさんあります。
子供なんていなけれりゃあ良かった、なんて……
そんなことはあの子たちの前では口には出さないけれど、心がそう呟いてしまう日だって沢山あります。
真夜中に泣かれて寝不足のまま仕事にいかなきゃいけなかったり、今まで付き合っていた友達と遊んだりできなくなってしまったとき。
子供のために、自分がそれまで大切にしていた何かを捨てなくてはいけなくなってしまったとき。
でも、これまでに積み重ねた子供との思い出と、そのために自分が我慢してきたものを、足し算引き算してみると、やっぱり、ほんの少しだけだけれどプラスになっているような気がするのです。
ある日の夕暮れ時、にじという童謡を子供が歌ってくれたのですが、それがとてもいい歌で、何だか泣けてしまいました。
あの日、あの子が歌ってくれたこの歌は、ぼくの一生の宝物です。
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