おなかの中のきみに贈る #未来のためにできること
きみが生まれてくる日まで、手紙を書いている。おじいちゃんの形見の万年筆で、おとうさん愛用の原稿用紙に。手書きだから、読みにくいでしょう。それでも、きみには自分の字で残したい。だって、機械の字ではいのちを伝えられないから。
五十音はおもしろくてね。そのひとつひとつが神さまなんだ。だから、これは手紙というよりは祈りに近いのかもしれない。
未来への手紙をすすめてくれたのは、きみのおかあさん。そんなおかあさんとは茶道でであった。きっと古風なんだな。ふたりでよく着物ででかけるし、デートは古本屋が多い。もう手遅れなのかもしれないが、おとうさんとおかあさんは古きよき日本の欠片をずっと集めている。本もそのうちのひとつ。
本も生きづらい世の中だから、アジールといって、本が逃げてこられる場をつくっているんだ。ほんのアジールだね。というわけで、我が家はきみがびっくりするくらい、本であふれている。亡くなった方々から託された昔の本も少なくない。
おとうさんはトゥクトゥクに畳を乗せて、ずっと外国人に茶道を伝える旅をしてきた。おかあさんとは三渓園のお茶室で、障害をお持ちの方々にお茶を点てたりもした。文化の力なんだろうね。たとえ異なる道を歩んだ者同士でも、たった一服のお茶で色々なひとと仲良くなれる。
ただ本を読み、畑を耕す。きみが選んだおかあさんは、そんな暮らしができる女性だ。そして、よく微笑んでくれる。
キミが笑うと、未来がおどる。
これは初めておかあさんに贈った手紙の言葉だけれど、きみにも贈ろう。きみがこの星に来てくれたと知ったときから、おとうさんの未来はキミたちになったのだから。
ふつうの暮らしがどれ程ありがたいことか。今ある眼のまえのものに、ひとは無限の想いを込めてきたんだよ。だから、それらを大切にすること。名もなき星のように、黙々と輝けるひとになって欲しい。きみの名には、そんな願いのすべてを込めておいた。
さあ、この世にジャンプしておいで。
あとは、おとうさんの高所恐怖症が遺伝されていないことを祈るばかりだ。