萬翠楼福住 #泊まってよかった宿
朝陽を觀れば觀光として成り立つのではないのかしらと道樂的なことを考えているので、旅にいってもいわゆる觀光地に足を運ぶことはほとんどない。箱根湯本にある福住もそのような旅館のひとつで、わざわざ箱根山に登るのは駅伝選手に任せ、いつも酔い醒ましに旅館のまわりを散歩する程度である。
では、旅館で何をしているのかというと、これまた憶えていない。おそらく家人と酒を呑んでは食を樂しみ、小刻みに温泉を堪能していたのであろう。それが故に食事と温泉はたしかな旅館が佳いとは感じている。あとは食後に将棋でも指せれば云うことはないだろうか。
過日の福住も旅館に将棋を借りて、一局家人と指していた。夜の早川の音がなんとも旅先の感じを醸し出しており、その中で駒音を交互に奏でるのも惡くなかった。将棋に限らず、昨今はAIが流行っているものの、駒音が電子音の時点で将棋にはならない。
あくる日も大概は觀光に眼もくれず、酒を少し入れて近所を散歩する程度のことで終わる。部屋から愛でていた庭を外から眺めにいったり、もう少し歩いて最寄りの居酒屋で地酒を物色する。福住の蔵書はたしかなので、帰り際一冊拝借して、部屋へともどる程度である。
部屋にもどると、清掃とともに床の間の花器の位置が直されている。旅館の教育で絶対美に置くよう云われているのだろうか。たしかに綺麗だが、私どもにとってはその露骨さが少し厭なので、美の寸法から微かにズラしたりして遊んでいる。そして、また清掃をしていただいたときに、花器の位置が変わっており、あたかも花器で会話しているようになってしまう。
季節によっては鳥が福住のまわりでもよく囀ってくれる。自然の仕業なのだろうか。花が木のうえに落ちていることもある。伊藤博文や木戸孝允といった著名人だけでなく、幾人の無名の方々がこのような旅館のまわりを愛でたのだろうかとおもうと、やはり味わい深い。
福住に泊まると概して觀光地には往かずして還るけれども、何氣ない木漏れ日で本来は十全ではなかろうか。創業が寛永二年からとのことであるが、古くからあり、今も尚愛され続けている場はそれだけで尊い。
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