シェア
ふたりで居ると妙に偶然が舞いおりてくる。 そのやうな人がおいでたら、戀愛された方がよい。紅葉のやうに移ろう交わりになるであろう。 本来、我が身は永遠などといった陳腐なものを求めて居ない。おもわず息をのむ一場を等しく欲しているだけなのだ。 互いに移ろい、それでも尚、たまたまがふたりを結んでいる。戀愛は常に偶然を屋根にして、過ごされたほうが自然なのかもしれない。 逆に云えば、偶然がなければ動かぬことである。
他の生命を愛でることで人は、己の裡に客觀的にはなきものを創造する。それは尾や水掻きといった退化したものへの追悼から、羽を天使に託す等の神聖化まで多様である。 しかし、戀愛によっては人の肩胛骨に文字通り羽を生やすことがあろう。それは無論、感覺的なことではあるものの、客觀的真実が霞むほど生命が響く。 路の傍らでは戀人たちがその羽を休めている。