人を描くって
毎日、何かしら少しずつ書く習慣はつきました。その次は、文章の中身をきれいにしていくことが必要なのですが、好奇心がいろいろ分散しがちな私は、1つに絞って集中をし続けるのが苦手です。
それでも、「推敲」なのだ!
作家さんや、編集者さんの中には、この「推敲」に情熱を注ぐのが得意な人たちがいらっしゃるようです。すごく、羨ましい。あぁ、逃げたい。
昔から、ピアノとかもちょっと弾けたら満足してしまい、ミスタッチあるのに完成させていない私。「別に、プロになるつもりないし」「ま、いっか。」「これで、OK!」と6割の出来で満足して、次の道へ進んでしまいます。「なんくるないさ~」
これは、これでいろいろな知識が増えるし、人との会話もそれなりに弾むのでいいと思い込んでいました。保育の仕事では、次から次に遊びの引き出しが求められていたので、とにかくネタを増やしていくことが良しと思っていたのです。
でも、「物書き」の世界は違いました。
いろいろ勉強してきて、コンテストなんかも応募してみて、何かが違うと気づき始めました。
そうか、私は人を描き切れていないんだ。と。
それから、私は人間観察、心理描写の世界に足を踏み入れました。もちろん、保育士という仕事柄、子どもたちを観察しまくっていましたから、子どもの気持ちはわかります。ただ、それを文字だけで表現するとなると……これって技術がいるのにびっくりでした。世の中の作家さんたちを、リスペクトしまくりです。
「泣いている。」
この姿1つとっても、
「彼の頬を、一筋の水が流れている。」とか、
「うわぁぁぁぁん!」とか、
「くそっ!!う……ぅぅ。」とか、
「母は、後ろを向きそっとエプロンで目元をぬぐった。」とか、
いろいろ表現できるけれど、その背景とか、シーンとかをどう表現して、伝達していくのか?本当にその描写に意味があるのか?とことん考え抜かれていたのです。時に、比喩を使い、時に余白を使って。
ほぉぉぉぉ!!「物書き」の世界って深すぎます。沼です。本を読む人と自負していましたが、そういう見方をしていませんでした。「物書き」の視点に、なるべく立ちながら本を読むことを続けていきました。
おや?
これまでの、読書と変わってきました。何か、仕事の裏を知ってしまった感じです。今まで、お客さんとして、ただの読者として楽しめていた読書が、分析になってきています。これはこれで楽しいのです。おもしろいです。ただ、もはや戻れなくなっていました。以前の没入型の読書には……。
人を描くって、たいへーん!(笑)
でも、おもしろーい!もうちょっと、がんばってみたーい!
これが、できるようになったら、もっと人にも自分にも優しくなれるかも!
そんな気持ちが沸き上がっています。そもそも楽観的で、苦労もすぐに転換してしまうので、人の苦しさとかを描くのは下手なのだと思います。苦労はしていないわけじゃないけれど、「書く」スキルを手に入れてしまった私は、感情に溺れない方法を習得してしまっています。感じ切って、手放せばいいのです。
だからこそ、苦しい人に寄り添うことよりも、無意識に「え?大丈夫だよ?そんなの。時間たてば、乗り越えられるって!」とか思ってしまうのです。
寄り添って欲しい人だっているのに。
ゆっくり回復していきたい人もいるのに。
自己分析して、こういうことに気づけただけでも、進歩かもしれません。
人をもっと好きになる♡それがコツな気がしてきました。
新しい眼鏡を手に入れて、今日も書いたり読んだりして遊びます♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?