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見えない期待は、気体のよう
年末に図書館の企画で、本のふくBOOKろをいうものをやっていました。
外からは中身の見えない袋にテーマだけ記載されていて、それにまつわる本が3冊入っています。それを選ぶと1回くじがひけるのです。(おそらく、雑誌の付録が当たるのでしょうが、私ははずれ。手作りしおりを頂きました)
正直、テーマがピンとこず、まぁこれでいいかと選んだ本。それでも、若干期待をしていました。新しい出合いがあるかもしれないって。
「ジャズ入門」と「食べもの系小説」
この2つのテーマでした。中を開けてみます。
……全然ぴんと来なかったのが正直な意見でした。っていうか、これこの前借りたばっかりな本だ。っていうのもありました。ビル・エヴァンズって人だけ新しく名前を覚えたけれど、まぁ福袋なんて、そんなものと言えばそんなものですよね。
ふと、思うのです。
好みの本を入れるのっていうのはハードルが高いよなって。しかも、公共の図書館。本屋のように、新刊を売っているわけではないし、売れ筋の本を入れているわけでもないのです。この辺が大きな違い。図書館と本屋の。
きっと、同じ企画を本屋でやっていたらもう少し違うラインナップだったのでしょう。それでも、どこかでつい期待をしてしまうのです。いいものと出合いたいって。偶然の出合いに、発見や感動を感じたい!って。なんだか運命思考みたいだけれど、そういう期待をしてしまっている自分に気づきます。傲慢でした。
この時期、福袋がメルカリに大量に流れてきます。買った時は、期待値が大きかったけど実際見たらあんまりだったとか、被った商品だったとか理由は人それぞれだろうけれど、新品で使えそうなものも多いです。だから、せめて少しのお金に換えつつ、誰かに使ってもらおうと思うのでしょう。わかります。誰だって、損はしたくないから。
また、年末年始のゲームのガチャ。あれも同じようなものかもしれません。大量のガチャコインを配布してくれるから、ワクワク感いっぱいにガチャを回せます。子どもたちが嬉々としてやっていました。「○○がでなーい!」と特定のキャラクターを待ちながら悶絶していました。傍から見ると、とても楽しそうで何よりです。本人は、がっかりしていましたけれども。
福袋。
ガチャ。
そこにある、淡い期待。
シャボン玉のように、アッという間に消えていきます。
そのふわっとした期待感が、感情の揺れが、実は一番感じたいものだったのかもしれません。私が感じた「がっかり感」ですらそういう気持ちを感じたかったのかもしれません。このがっかりした気持ちを感じさせないように、よりいいものを詰めてあげよう!っていう心意気を持っている人が世の中にはいて、その方たちに尊敬の念を抱けるように。
期待を超えることは難しいものです。人には相性があるから。それでも、みんな期待を超え続けようと頑張っています。クリエイターの人たちや、それを届けようとしている人たちに尊敬の念をこめて。
たとえ、「がっかり感」が人間心理をついた演出だったとしても、何がきても、ありがたいなって受けとれるような私自身の心の器も広げていきたいです。