カメラの変化
保育士時代の友だちが、仕事を辞めてフリーのカメラマンになっていました。彼女は下積みからコツコツと頑張ってきて、リピータさんもついています。頑張ってるなぁって思っていたら、お手伝いを頼まれました。
「七五三の撮影のアシスタントできない?」って。
最初は、何をやるのかわからずいろいろ質問したり資料をもらっていましたが、要するに採光の確認のためのモデル役、着物のお直し、荷物持ち、子どもたちのご機嫌取りと、保護者の方たちへの配慮。
この辺を臨機応変にやればいいらしいのです。
そんなのでいいの?じゃあ、やってみる!と引き受けたのが3年前。
それから、ポツポツとお手伝いをしていました。
たしかに、次の日に肩は凝るし、汗もかきます。
それでも子どもたちのかわいい姿に癒されるし、友だちの動きとかやりたいことをサポートするだけなので、気が楽です。
事前情報でお子さんのお名前と好きなものさえ把握していれば、そこを狙って会話を弾ませ、笑顔を引き出す。
それって、保育士時代にやっていたことと同じです。
昨日、その撮影がありました。
女の子と男の子の姉弟。
撮影で、女の子はほとんど問題ありません。こちらの指示で動いてくれるし、何なら決めポーズまでばっちりなのです。まさにモデル!
問題は男の子。年齢が小さければ小さいほど、飽きが早く、ご機嫌が変わります。ここが保育士ならではのサポートができるポイントで、タイミングよくぬいぐるみとか、傘とかアイテムを使って気を引き、和ませたり、質問したりして表情を変えてあげるのです。
いないいないばぁ、とかだるまさんがころんだ、っていうのも使いながら振り向く瞬間を友だちはカメラにおさめていくのです。
友だちに「ナイスサポート!」なんて、言われいい気になっている今日この頃。いい仕事しているでしょって自負しながら、こんなんでいいのか?とも思っていると、たまたまカメラマンの同業者さんとばったり会いました。
まぁ、お互いカメラをもっているからバレバレでしょう。友だちは挨拶を交わしていましたが、私はカメラ業界には疎いのでどなたでしょう?という感じ。では、と別れたら友だちも実は「初めまして」でインスタで見たことのある人だったとか。
そうかぁ、今の時代こうやってインスタとリアルで繋がるのかぁ!なんてびっくりでした。
その時、彼は「アシスタントさんに、荷物を持ってもらえるだけで、だいぶ楽ですよねぇ。」というつぶやいていました。
その人は、本当にお1人で撮影されているフリーのカメラマンさん。
爽やかなオーラ全開。
(私でよければ、アシスタントやりましょうか?と言いたくなるような)
彼と別れて友だちと、彼かっこいいねっと会話していたら「あの人、だいぶ若いからね。うちらより1回りぐらい年下だよ。しかもスタジオ持ってるっぽい。」っとすぐにインスタを開いてチェックしていました。本当だ。
「結構、いい作品撮る人だよ。」とその下の写真たちも見せてくれました。
本当だ。キレイな写真たちが並んでいます。キラキラの日常やハレの日。
まさに、インスタっぽい世界観。
「今は、1家族に1人のフリーカメラマンだからねぇ。」という彼女の言葉に、時代を感じずにはいられませんでした。
昔、おじいちゃんの家で見た家族写真は白黒で、小学生の頃はフィルムカメラが主流。私が中学生ぐらいの時はインスタントカメラが流行っていて、ゲームセンターにはプリクラが並んでいました。
だんだん携帯電話のカメラから、デジタルカメラが売れ、今やスマホの画素数のアップしたカメラで加工が当たり前。
何ならAIで何でも作れちゃいます。
そんな時代だけれど、自分たちの思い出を客観的に写して記録をしてもらうには、自分たち以外の誰かの協力がいるのです。自撮り棒よりも、セフルタイマーなんかじゃなくて、ポーズ指定をしてくれたり、光の加減を気にしてくれたり、場を和ませてくれる第三者が。
それが、カメラマン。
空間を切り取る天才。
美的センスが問われるお仕事。
私は、撮る人ではないです。
書く人になりたいから。
ただ、書く素材集めとして、その空間に参加することは楽しいのです。
昨日の主役は傍から見たら七五三の子どもたちで間違いありません。
みんながその子たちのために集っています。でも、私はその場の全体の空気を感じて書くのです。
だから、私にとっての主役はあの場所、あの時間、あの瞬間だったりします。カメラマンが空間を横から画で切り取るならば、私はあの空間を上から文字で切り取りたいな、そんな風に思いました。
まだまだ、主観が目立つ文章だけれども、上空のドローンカメラの視点のように現場を見て文字にするのもおもしろそう。カメラマンのアシスタント経験から、そんなことを学んだ1日でした。