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世界子どもの日に (子どもの権利・きもちプロジェクト通信  第6号)

11月20日は、世界子どもの日。
そして、子どもの権利条約の誕生日です。
33年前、1989年のこの日、
国連は子どもの権利条約を制定しました。

この記念日にわたしたちは
小さなアクションとして、
「子どもの権利・きもちプロジェクト」のメンバーで文章を寄せることにしました。
読んで頂けたら嬉しいです。

コロナ体制下のオンラインではじまった
子どもの権利を軸につながったこのチーム。
子どもがいたりいなかったり、
家族がいたりいなかったり、
それぞれ仕事や住むところ、スタンスもちがう
多様な視線をミックスさせて、
対話ができることがとても楽しいのです。

わたしたちはこれからも日々
子どもの権利について発信し
投げかけをしていきますので、
ちいさい人とも大きい人とも、
心地よい方法で、対話したり、表現しあったり、
寄り添いあったりできたらと願っています。

ハッピー・バースディ 「子どもの権利」!!

★中村真純(ひだまり舎)

「子どもの権利」の中で、私がもっとも大切だと感じているのは「意見を表明できること」「意見をきいてもらえること」。
 物事を決定するプロセスの中で、子どもがどう思っているかを聞くことは、簡単なようでとても難しい。でも、時間がかかっても、子どもの意見を聴いて取り入れていこうとする姿勢が「子どもの権利という視点」なのかなと思っています。

 でも、自分自身が子育てをしている中で、「子どもの権利」ということを、特別に意識したことはありませんでした。いつでも「子どものため」を思って行動していたつもりで、大人としては、そんなことは当たり前でしょ、という気持ちでいたのだろうと思います。でもそれは、本当に子どものためだったのか……? 子どものためといいつつ、実は自分が正しいと思う考えを押しつけていただけだったのだということに気づいたのは、つい最近のことです。
 ああ、もっと早くに知っておきたかった、というのが正直な気持ちです。自分の中の「正しさ」だけを通そうとして、親子ともにくるしい時期を過ごしてしまいました……

 子どもの頃に、自分のもつ「権利」のことを正しく認識できたら、大人になったときに、自分の権利と、そして次の世代の子どもの権利をも、大切にできるひとになると信じています。そういう子どもたちを増やすためには、今まで権利について認識してこなかった大人たちが、まずそれを理解し、実践していく必要があるのだと思います。 

★長瀬正子(大学教員・子どもの福祉)

子どもの権利を初めて知ったのは、中学生の時です。
学校の校則が苦しくて嫌でたまらなかった時期のこと。でも、学校に適応できない子どもは、社会にも適応できないと言われていたので、おとなになることが怖くて仕方ありませんでした。

日本では、1989年につくられた子どもの権利条約を批准するまでに
5年の時間がかかっています。その時期は、私が中学生であった時期と重なります。子ども用の新聞でそのことを知ったとき、「もしかしたら、私だけが悪いのじゃないのかも。社会のほうにも問題があるのかも。」と思いました。
自分を否定する矢印でいっぱいだった当時の自分が、「あなたの感覚は間違ってないよ」とあたためられた数少ない出来事です。

子どもには権利があること、世界中のおとなが決めた条約という根拠があるということ。子どもであるというだけで自分の感覚が信じられなくなる時もあるから、子どもの権利を知ることはとても大切だと思っています。多くの子どもが、子どもの権利を知ることができるようにしていきたい。

この2年で思いを同じくする仲間に出会い、ともに行動できることをうれしく思う日々です。

★momo  (アーティスト・福祉施設職員)

子どもの権利から学んだこと。私がいま我慢していることは仕方がないことではないかもしれないということ。いろんな違いがあっても気持ちや考えを出し合ってみること。そしてそれは、たとえ思うような結果にならなくとも、道のりがとても大切であること。絵本づくりをきっかけに、長いあいだ自分のなかでモヤモヤした想いに意味や言葉が与えられ、心が軽くなる体験をしました。

今を生きる子どもたちがのびのび自分らしく生きられる環境をみんなとつくっていきたい。微力ではあるけれど、私もその一部になれたらいいなと思います。それは、子どもたちのためであり、私自身のためでもあります。違いや立場を超えて「何かあった?」「ねえ、ちょっと聞いて」そんなやり取りが、日常の中にもっと増えていくといいなと思います。


★山縣 彩(フリー絵本編集者)

わたしのなかの「子どもの権利」の
根っこの根っこは
「子ども」の頃の自分につながっています。

ケストナーの『ふたりのロッテ』を読んだとき
自分が出演している映画を
規制でみることができない子役を例に挙げて
「これっておかしいとおもわない?」というくだりに
激しく共感した、小学生の私のきもち
いまでも昨日のことのように覚えています。

くやしいきもち、さびしいきもち
腑に落ちないきもちの記憶。

そして、
じぶんの声がとどき
ひとりの人としてみとめてもらったとき
じぶんの真ん中を感じて誇りをもてたとき
自分の奥から湧き出てきたパワーの記憶。

「子どもの権利」は
ちいさな自分が、
かつてのたくさんの子どもたちが
いまを生きる子どもたちが
そして、みらいの子どもたちが
のびのびと、おなかをあったかく
いまここを存分に生きられる世界への、
祈りなのだと思います。


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