「利他」と「自己犠牲」の違い
「利他」と「自己犠牲」は似て非なるもの。
その違いが分かりますか?
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先日所属しているグループの仲間の言葉で、
◆「利他」と「自己犠牲」の違いって何?
と、問いをいただき、
それを言葉にする機会をいただきました。
そこで「利他」と「自己犠牲」の違いを、
個人的見解も入りますが、
ここにもまとめようかと思います。
この違いがわからずに混同していると、
相手のため…と
よかれと思いこみ、
無意識レベルで、
自己犠牲をし続け、
結果疲弊してしまうことがあります。
この違いをわかることは、
とても大事!!!!
以下、誰かのお役に立てれば幸いです。
◆心のコップ
まず、それらの違いを説明するのに、
前提として、
#人には心のエネルギーをためる
#心のコップ
がある。
というイメージで話を進めたいと思います。
では、「利他」から説明します。
◆利他
あくまでも自分を大切にし、
心のエネルギーが心のコップに満タン・満たされた状態で行うといのが前提。
心のコップのエネルギーは満ちると、
当然、外へあふれ出ます。
その
#溢れ出た分のエネルギー で行う
#願いや行為 が結果的に
#世のため人のためになってる のが
「利他」です。
あくまでも、
溢れるエネルギーを
他に向けてるだけなので、
自己のエネルギーは枯渇しないし、
自然と
#他者に見返りも求めない。
そして、
#持続可能。
溢れた分が相手のためになり、
相手の喜びが自分の喜びになるので、
さらにエネルギーチャージされ、
また溢れて、自ずとまた相手のために生きられる。
そんな
#好循環
で生きることができます。
◆自己犠牲
では次に、
「自己犠牲」について、説明します。
あふれ出るエネルギーではなく、
#心のコップ内から
#どんどんエネルギーを使って行う
願いや行為です。
相手のためと一生懸命になればなるほど、
#自分のエネルギーは減っていく
というのが大きな違いです。
ちなみに、
子どものため、家族のため・・など
「誰かのため」と、
一見良い行為をしていると感じるため、
エネルギーの減りは
#気が付きにくい のです。
ただ、徐々にでも、確実に
エネルギーは減っているので、
どこかのタイミングで疲弊する時がきます。
また、自分が枯渇している分
自己犠牲の矛先=相手に
#見返りを求めがち
にもなる。
「私がこんなにしたのに!」
「どうして変わってくれないの!」
という感情も正にそれであること多し。
#NOT好循環
#NOT持続可能
な、エネルギーのかけ方です。
◆「利他」と「自己犠牲」は似て非なるもの
全く別物です。
ちなみに「自己犠牲」を
否定したいのではありません。
誰かのために生きるというのは、
自己犠牲だろうが、利他だろうが、
「相手を思う」純粋な思いから始まるから。
その行いは「愛」あってのもの。
ただし、
その違いを知らずに混同してしまったり、
自分の心のエネルギーの減りや、
コップの大きさを知らずにいると、
どんどんしんどい生き方になってしまう。
◆しくみ、真理、智慧を知る
だから、私たちは、
そういった
人や心、
宇宙の「しくみ」や「真理」、「智慧」を
正しく知る必要があるのではないでしょうか。
そして、
その「しくみ」「真理」、「智慧」を
取り入れ、自分に生かしていけばいい。
ただそれだけのこと。
大丈夫。
知ればみな、
人生を心地よく豊かに生きられるから。
以上、
「利他」と「自己犠牲」の違いでした。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
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