”自分らしく在ること”
『ノンバイナリー』という言葉を、初めて知りました。
少し前に、宇多田ヒカルさんがインスタライブで「ノンバイナリー」を告白したというネットニュースにて。
宇多田さんが
『ノンバイナリー』という言葉がどれだけ日本で広まっているか知らないけど。
という言葉を付け加えられたそうで。
Yes, 知らない人間がここにいました。
『LGBTQ』の”Q”の部分が、「クエスチョン」で、男性か女性か、どちらか定まっていないということを表す。
ということは、以前から知っていました。が、
ノンバイナリー(non-binary)とは、(身体的性に関係なく)自身の性自認・性表現*に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティを指します
という「ノンバイナリー」という言葉は、お初にお目にかかりました。
うちは、男児三人を育てていますが、なるべく
「男の子でしょう。」
とは、使わないようにしています。出てしまう時もありますが・・・。
人としてどうなのか、という点で注意したりします。
学校の先生の言葉で、最近驚いたことは、男の子であろうと、女の子であろうと、
「〇〇さん」
と名前にさん付けで呼んでいるところです。
「〇〇ちゃん」、「〇〇君」
とは、もうつけないそうです。
出席番号も男女シャッフルですし、さすがに更衣室は、男女で別れますが、その他のことで「性」による分離はありません。
が、社会的性差はどこで作られるのでしょうか。
潜在的な性に対する意識が社会的性差の構築と深く結びついているように感じます。
男性からの女性に対する性意識、女性から男性に対する性意識、これらが成育歴と共に一旦出来上がってしまうと、そのまま社会における”性”にも少なからず影響が及んでいるのではないでしょうか。
となると、”ノンバイナリー”の方々のアイデンティティがなかなか露出されずらくなる。
この”性”に関することで、また別の問題で、”ジェンダーギャップ”というのもあります。
以前、『クロ現』で取り上げられていましたが、この”ジェンダーギャップ”にまつわる問題、かなり古巣になってきたように思います。
ママさん雑誌、『VERY』の2019年1月号に
「”きちんと家のことをやるなら働いてもいいよ”と将来息子が言わないために今からできること」
という見出しが表紙に掲げられました。
個人的に、この文言にかなり衝撃を受けました。
割と物議のあった文言であったと思います。
話が色々な方向でそれてしまいましたので、これにて失礼つかまつります。