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「仁」を生きるということ。


■『仁になろう!』と言うものの…


 行動コミュニケーション協会(ACA)のプログラムをお伝えすることを通して、昨年2021年に気づいたことが、『対話が大切だ』ということでした。そんなの当たり前でしょと思われるかもしれないですが、改めて非常に重要だなと思うことが多々ありました。

 講座や、最近では特に朝活でそれを感じているのですが、人と人の対話の中で新しい創造が生まれるところをたくさん見てきました。それは目に見えないものではあるのですが、対話の中で必ず気づきがあり、創造がある。

 自分と異なる思考の人と話すことでその発見を得られるので、2022年は講座だけでなく、もっと広い視野で、誰もが体感できるような場をもっともっと創っていきたいと思っています。

 行動コミュニケーション学的に言うと、4つの思考タイプがあって、それぞれの思考のタイプによって価値観が違う、行動パターンが違う、ものの見方、捉え方が違う、囚われやすい感情まで違う、、、ということをお伝えしています。

 まずは『自分を理解する』ということをやっていきます。それができるようになったら、相手に合わせて話をしていくことで、よりクリエイティブなものが生まれていきます。普通に会話をしていたら、自分の基準や価値観だけで話してしまうので、ぶつかってしまうこともあると思います。しかしそうではなく、『相手を知り、相手に伝わる言葉を使いましょう』と、ずっと伝え続けてきました。

 仏教では、お釈迦様は相手の能力や状況などに応じて教えを説いたといいます。これを対機説法たいきせっぽうと呼び、たとえば、怠けてばかりの人には『もっと頑張りましょう』と声をかけ、頑張りすぎてしまう人には、『もう少し力を抜いてもいいですよ』と、かける言葉や伝え方を変えるのです。(そのため、お釈迦様の教えを記録したものの中では、互いに矛盾が見つかるようですが…)

 ゴールは一緒なのです。『その人が愛に生きる』というゴールは同じで、そこへそれぞれの人を導くために、言い方を変えたりしている。お釈迦様は、教えを人々に説くために、一人一人に歩み寄っていたのです。

 相手に合わせて伝え方を変えていく。これは、性格のような基本的なことだけでなく、その時の精神状態なども含めて、相手のことを理解していないとできないことです。さらに、自分の状態もフラットな状態でないとできないと思います。自分の心が乱れているときに、相手に合わせる余裕なんてない、ということはよくありますから…。

 お釈迦様のように、相手の状態を理解し、その上で伝え方を変えられる状態…これこそが、”自分がセンターにいる、中心にいる” ということなんじゃないかと思います。センターにいる、中心にいることで、その時その瞬間、本当に相手にぴったりの言葉を使って、対話で伝えることができる。


 ちょっと抽象的な話になったかもしれませんが、このことを意識して行動コミュニケーション学をお伝えしていきたい。


 ところで、この ”センターにいる、中心にいる” 、ということがどういうことなのか。これを行動コミュニケーション学的にいうと、『それぞれの思考から、「仁」に向かっていくこと』と言えると思います。

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 一つ一つの思考を、区切られた四角い部屋だとすると、中央にあるのは「仁」という丸い部屋です。『それぞれの思考から「仁」に向かっていく』とは、自分が該当する思考(誠・礼・義・勇)の各部屋から、中央の「仁」の部屋(=愛、思いやり)に入るとイメージしてください。


 相手との違いを理解し、その違いを踏まえた上で、相手がわかる言葉を使い、相手の言葉を受け止めることは愛、思いやりであり、つまり「仁」といえます。


 僕たちはこの生き方を目指している…つまり「仁」の部屋に入ることを目指しています。しかし実は、それぞれの思考にとって「仁」の部屋は、ちょっと違和感がある部屋なんです。

 『仁になろう!』と言いながら、『実は違和感があるよ』と言うのは心苦しいところですが(笑)、理由はとても簡単です。


 なぜなら、自分らしくないことをしようとする部屋だからです。



■自分らしくないことを、敢えてする


 僕は講座の中で、『「仁」に向かいましょう』とずっとお伝えしています。しかしある程度、行動コミュニケーション学を理解し、自分の思考も他の思考も理解できるようになると、「仁」に向かうときに、この違和感に遭遇します。


 違和感を感じる原因は、先ほども書きましたが、自分らしくないことを意識的にしようとするからです。自分らしくないことをする=他の思考に合わせた言動、行動をしようとする、という意味です。

 自分の思考でしっくりくる言葉を使うのではなく、他の思考に寄り添った言葉を使おうとするので、知識でどれだけ理解していても、それは多くの場合、自分には違和感がある言葉(しっくりこない言葉)だからです。(生物学上、僕たちの反応として、ただそういうものなのであり、良い、悪いではありません。)

 でも敢えてそれをすることで、相手の想いを引き出したり、行動を促したり、目的を整理したり…と、対話のなかでこのようなことができていきます。もしかしたら自然にできている人がいるかもしれませんが、行動コミュニケーション学を知ると、誰でもできるようになります。

 ところで、人が『寄り添ってくれた』と感じるのは、どのようなときでしょうか?


 人によって答えはいろいろだと思いますが、僕は、『自分のことをわかってくれた』と(本人が)思ったときだと思います。


 『あなたのその気持ち、わかるよ』と、自分はあなたに共感している、あるいはその気持ちを汲み取っていると、相手に伝わる言葉で伝えていかなければ、寄り添いたい気持ちや自分の愛を、受け取ってもらえないかもしれません。(わかっているのに、『あなたは何もわかってない!』と言われたら、つらいですよね…)

 相手にきちんと自分の理解を伝えるためには、自分が普段使う言葉や、自分にとってしっくりくる言葉では伝わらない場合も多々あります。自分が普段使っている言葉では伝わらないから模索し、『この言葉で伝わるのかなあ?』と、疑問や多少の違和感を感じながらも歩み寄ってみます。この違和感を感じることを敢えてしていくことによって、相手も居心地がよくなり、自分の気持ちを言いやすくなる。


 これが『「仁」に向かう』ということの、一つのプロセスであり、相手との間に新しいものが創造されるプロセスでもあります。これが、行動コミュニケーション学を学ぶことで辿り着ける境地だと思います。

 まずは自分の思考を知る。そのために敢えて『思考の違い』という線を引き、自分の思考を理解する。自分のポジションを知り、自分の心地よさを知り、その上で最初に引いた線を取っ払い、自分の思考を超えて、相手に伝わる言葉を使う。そうやって相手に寄り添った、愛情表現をしていく。

 人と人が愛を分かち合い、共に生きていくためにはこれがとても大切なことであり、これができたら本当の意味での共同創造…共に何かを創っていくということが、しやすくなるんじゃないかなと思います。


 とても具体的な、よくある例を挙げると、

義『僕には夢がある!こういうことがやりたいんだ!』
誠『それは素敵だね。それで、いつやるの?

 このように誠タイプが言ってしまうと、義タイプの人はスパッと斬られたような気がして、ズキッときちゃうんです(苦笑)。誠タイプの人にとっては普通の思考で言っていて、学んでいけばこの発言は愛情なんだと理解できるのですが、義タイプの人には通常、伝わらないことが多いんですね。

 こういとき誠タイプの人は、『それは素敵な夢だね。それはどういうふうにやったら、上手くいくと思う?』のように問いかけ、『じゃあ、こんな順番でやったら上手くいくんじゃないかな?』と話しをしてもらえたら、義は心地良く、話しやすくなります。もしこのような話し方を誠タイプの方ができたら、まさしく「仁」と言えるでしょう。こんなことが、自然体でできたら素晴らしいですよね。

 でも、この例でいくと、誠タイプの人がこれをやろうとすると、違和感があるはずなんです。言葉は悪いですが、『面倒くさい…』と感じるときもあると思います。


 この『面倒くさい…』が、違和感の正体…つまり『「仁」の部屋に行く』=『自分らしくないことをしようとする』ときに沸き起こりやすい感情です。

 では、どうしてこのような感情が沸き起こるのでしょうか…


■「我」と上手く付き合いながら「仁」を生きる

 

 その正体は、僕たちの誰もが持っている「我」です。


 僕たち人間は、「自分=我」を、大切にしなければならないですし、「我」があるから生きていられます。その「我」をしっかりと受け止め、敢えて「我」を超えたことをしに行くことに違和感を感じながらも、歩み寄っていく…ということをやろうとしています。(とても難しそうですね…(笑))


 学んだからといって、他の思考の方に合わせようとすると、どうしても自分の思考ではない(自分らしくない)わけですから、当たり前ですが心地良くない、違和感だらけなんですよね(笑)


 でも無謀なことではありません。ただし、これを実現するためにはトレーニングが必要です。


 先ほどの例のように、他者との対話ややりとりの中でこの違和感を感じ、『面倒くさいな…』と思いながらも、『こう言ってみたらどうかな?』と言葉を選び、試してみて、反応を見て学び、無意識的であれ意識的であれ、『相手が元気になってくれた。「仁」ってこういうことかな?』と気づき、肚落ちさせていくのです。


 自分が自分らしく自然体でいられたら最高だよねと、僕はずっと言ってきました。その状態でずっといられたらGiverですよと言ってきました。確かにそうなのですが、もう少し視座を高くして、誰かと何かを創造していくためには、時にこの違和感を乗り越えて歩み寄り、敢えて自分らしくないことをするということも、受け止めていく必要がある。


 自分の思考の部屋(=居心地の良い部屋)から出て、仁の部屋(他者と歩み寄るために必要な部屋)に行こうとするとき、「我」が出てしまうと違和感を感じ、心地良くありません。

 神様仏様は、究極の「無我」ですよね。三次元を超えた存在なら「我」がなくて、「仁」に居続けることができるのかもしれませんが、僕たちは三次元を生きる人間です(笑)。なので、「我」というものを大切にしながら、且つ誰かと何かを創造するときには「無我」になり、相手に寄り添えたら…と、「我」と上手く付き合いながら、「仁」に向かっていけたらいいんじゃないかと思うのです。


 「仁」の部屋にいることは、ときに違和感があり、居心地もよくない。いつもはいられないかもしれない。でも、人はこんなにも違うんだということを知り、『違うことはわかった。それでも分かち合うために、自分から相手に歩み寄りたい』という「我」を超えた気持ちがすでに「仁」…愛と言えます。


 一人ひとりが輝きながら、お互いに支え合う世界をつくるために、この「仁」の部屋に居続けること…「無我」で「仁」を生きることが、本当にこれからの世界…新しいコミュニティを構築していく世界で、大切になっていきます。

 行動コミュニケーション学をお伝えする上で、より対機説法のように、その人に寄り添った言葉でお伝えしていきたいと思いますし、仕組みの上でも、そういったことをもっともっと体感していただけるような学びの場を、創っていきます。


 今日は少し長文になりましたが、お読みいただきありがとうございました!少しでも、みなさんが「仁」を生きられるように、これからもサポートして参ります!


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