ひっこみがつかなくなっちった話。
先週、幼稚園の運動会があってね
プログラムの”トリ”が年長児のクラス対抗リレーだったの。
年長児ともなるとその競技がどんな立ち位置なのかってことも理解していて
自分たちのクラスが優勝するためには何をしたら良いかな、って
作戦を練ったりなんてことも出来るんだけれど。
うちのロクジョ、走る順番を決めるためのタイムをとった日に
(先生曰く)なにかのスイッチが入った、とかで
すねてしまって全力で走らなかったせいでタイムがあまり良くなかったんだって。
リレーでは第一走者とアンカーが大きな役割を担っているけれど
それも含めバトンのスイッチがうまく行くこと、とか
とにかく皆が一致団結してその競技に取り組むことが大切。
タイムがふるわなかったにも関わらず、一番走者をしたいという
ロクジョのたっての希望をみんなが聞き入れてくれて
当日は一番を走ることになってた。
その朝ロクジョは「今日はリレーで一番最初に走る」って張り切っていたし
運動会や行事にさほど熱を上げないわたしでも
「頑張ってね」くらいは言って送り出したわけだけれども(笑)
プログラムが順調に進んで、その”時”が近づいてきたとき
ちょっと気になる顔をして年長児担当の先生がわたしのそばに立った。
「ねえ、ロクジョがさあ・・・」
わ。来た?もしかして。
「うん、なんかさ、急に走らないって言い出してるんだよね」
見ると、数人の先生やお友達がみんなでロクジョを囲んで説得してる風。
やばい、だめだあれ。
ロクジョは気分屋で、ちょっと不機嫌になると
それまで積み上げたなにもかもを一気に崩してしまおうとする傾向があるの
(いや、これわたしにそっくりだけどね)
それで拳を振り上げてみたりするんだけれど、そのおさめどころ、というかなんというか
「ここからはやめておこう」みたいな計算をしないんだよね
(出来ない、というよりはあえてせずに自分を窮地に追い込む)
拳を振り上げてしまったことに対する自己嫌悪と
引っ込みがつかない(というかつけたくない)がために強硬な姿勢に出るわけだけど
その実自分が一番傷ついていたり、悲しんでいたりするからたちが悪い。
そんなときに一番だめなのが「なだめる」とか「代替案を提示して選ばせる」なの。
この場面なら、好むと好まざるとに関わらず「出ない」と決めたロクジョに対して
「今ならそれを撤回させてやっても良い」という明確な提示か
「そこまで言うのならここからどきなさい」という切り離しが必要だったんだ。
でも先生は集団競技になんとか参加させてあげたいという思いがあって(ありがたし)
その場をなんとか丸く収めようとしてくれたわけで・・・あの手この手でなだめてくれた。
でもやっぱり結果はNG
走者決めのときに、本当は1番手を走りたかったのにロクジョに気圧されて2番手を引き受けてくれた子が
急遽1番を走り、そのまま・・・2周してくれた。
年長児とはいえまだまだ幼い幼稚園児には走者の入れ替えだとかっていうのは
その時その場ではなかなか対応出来るものではなくて。
結果、いつも優勝していたロクジョのクラスの成績はふるわず終わってしまった
「後日、リレーのやり直しをします」というアナウンスと共にね。
そしてその約束どおりそのやり直しは後日行われることになり
誰が何番手を走るかってところから話し合いが持たれたんだって
最初に書いたとおり、ロクジョのタイムはふるわなかったわけで
当然、一番にもアンカーにも選ばれなかった。
「でもわたしはどうしても一番を走りたい」とロクジョはそこでもごねて
その結果また、一番を走ることに決定していた子がロクジョにそれを譲ってくれて
ロクジョはご機嫌で走りきった。
後日、先生に言われた。
「この結果でロクジョが得たものって何だったと思う?」
わたしは先生には悪いけど率直に意見を述べた。
「ごねればなんとかなるって思ったと思うよ」
先生は苦い顔をしたけれどこう言ってくれた。
「わたしもさ、運動会じゃなければあそこでああいう態度には出なかったよ」
観衆の前で、年長児を取りまとめらていないと判断されないように、ってことだったのか
日頃の教育方針と異なる対応を見せてはいけないと配慮したのか
でもそれは園の運営の問題であって、わたしは母親だからそこにはタッチしないし
その判断がどうであったか、というのは
園にあずけている以上は良しとも悪しとも言わない。
ただ、事実としてロクジョは自我を貫いたということだけが残った。
そして、先生の本当に言いたかったことはこれだった
「もし、クリスマスのお祝い会で同じようなことがあった場合
今回はロクジョの思いを守ったわけだけれど、
次回はまわりの子の思いを守ってやらないといけないと思ってるから
ロクジョには悪いし、家族の人にも申し訳ないけどさ
ロクジョはもしかしたら劇に出ないってこともありうるから」
ははは、とわたしは笑った。
「それがロクジョの選択なんだからそれはかまわんよ」
長じてその年のクリスマス会のビデオを観たとき
「あ、わたしそういえばこの時、なんかむかついて劇に出なかったんだわ」
そういうのがあったって良いじゃない。
そういう自分がいたってこと、それがまるごと全部ロクジョなんだもん。
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