上海アートシーン 2021年2月(2)
一つ前の記事、How Art Museumはコレクターの美術館です。今日紹介するOCATはディベロッパーの美術館。両者とも公立ではありませんが、前者はちゃんとキュレトリアルチームがあり、後者はエグゼクティブ・ディレクターを世界的アーティスト、Zhang Peili(张培力)が務め、質の高い展示を継続して行っています。
OCAT上海館は地下にあって暗めな展示が多いんですが、今、開催中の「メディウム考察:東アジアにおけるヴィデオ・アートの興隆」(2020.12.27-2021.3.21) はまさにこの空間にぴったりでした。ゲストキュレーターにオーストラリアのMAAPディレクター、Kim Machanを招き、ヴィデオ・アートの黎明期の名作の数々を展示。これが質実剛健ですごくよかった。
まずヴィデオアートの父、ナム・ジュン・パイクの名作《TV Buddha》が入り口にどーんと。
Nam June Paik《TV Buddha》1974 (2002)
モニターの後ろのカメラがリアルタイムで仏像を撮影してモニターに投影、その様子を別のカメラがリアルタイムで撮影してスクリーンに投影。のっけから瞑想的な気分に。そしてその瞑想は、硬いモノ(仏像)と、コンセントを抜けば消える虚ろな映像に分解・増幅されて空間の中を漂います(という感覚に陥ります)。
Zhu Jia 朱加《Forever》1994
三輪車の後左輪にカメラをとりつけて街を行く。その時の街の様子と作家の体・三輪車が移動している感じがありありと伝わってきます。なにかぜんぜん違う目から見る世界って新鮮なんですよね。
Zhu Jia 朱加《Related to Environment》1997
跳ねたりひっくり返ったり、床の上で動き続ける金魚の作品もZhu Jiaの作品です。本物がそこにいるわけではないのに(虚像なのに)、でもだからこそかえって、生きている様子が生々しく感じられて見入ってしまいます。
Wang Gongxin 王功新《The Broken Bench》1995-2020
中国の伝統的なベンチが途中で切断されていて、そこに小さなモニターがはまっています。映像の中で人差し指が、切断線をなぞります。まるで目の前の切れ目を触っているような気になるけれど、これは録画で、過去に起こったこと。そういう別の時間がはさまると、いろいろあったであろうこのベンチ自身が体験してきた時間まで想像が広がります。
Keigo Yamamoto《Hand No.2》1976 and 《Foot No.3》1977
なんかこれが一番瞑想的だったんですよね。映像の中にもテレビモニターが映っていて、そこに映った手や足がなにかの動作をする。たとえば端をなでるとか。その動きに合わせて、テレビモニターの外側にある手や足が同じ動きをする。それだけの、すごく単純な動作を見せる作品なんだけど、ふたつの時間が流れていることとか、モノと映像の差とかが、微かに頭を刺激してきます。
Chen Shaoxiong 陈邵雄《Sight Adjuster 3》1996
ふたつの映像をひとつの窓から覗いて物理的に統合してね!という作品。映像自体を合成するのではなく。目と脳が「えっと」と考えながら見えているものを結び付けようとします。なんだかヘンな体験です。
Takahiko Iimura《TV for TV》1983
テレビのためのテレビ。何が映っているか、観客は見られません。
Soungui Kim《Voie-Voix Lactée》1988
パリーソウル間の往復フライトを映像にした作品。18時間の飛行時間、8時間の時差、東と西に向かう二つの方向が1時間の映像に混ざり合って、あの、長距離フライトの地表を離れてしばし別空間にとどまっている感覚を思い出させます。
Yoko Ono《SKY TV》1966-2020
空へ向かって屋上に備え付けられた監視カメラの映像を映し出すモニター。これも違う場所へと意識を飛ばしてくれる作品です。上海らしく、観客が撮影会に興じていました。
本記事の表紙に掲げた作品、飯村隆彦《This Is A Camera Which Shoots This》(1980)でも、みんな友人たちと撮影を楽しんでいましたね。この作品はお互いに向けられた二台のカメラとその映像を映し出す二台のモニターによるインスタレーションです。オノ・ヨーコの作品は静かに一人で向き合ってみたいと思いましたが、飯村の作品はカメラに写りこもうとする人々のポーズも面白く、かえって楽しませてもらったのでした。
会場はこんな雰囲気。静かでオープンで、映像の中にたくさんの小さい発見があって。素敵な展覧会でした。
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OCATにはもう一つ展示スペースがあり、そちらではLiao Fei(廖斐)の展示(2021.1.23-3.28) 。キュレーターのWang Shumanとともに、素晴らしい空間を作っていました。
壁際から60センチほどがあけて、空間には黒い粉がしきつめてあって、作品がかかっている壁面の近くをぐるっと歩いて行くようになっています。
照明は地上から140センチくらいの高さに吊り下げられています。作品は、こんな感じの平面作品。絵具と、しみと、飛沫、筆跡、プリント、紙の折目が、重なりあうようにして作られています。
私はチラシとかグラフィティとか、都市に現れたちょっとした創造の痕跡を象徴的に描いているような印象を受けました。カバーに照明が反射するのも、きっと意図的。それが都市空間の連想を強めています。
無骨な観客がパウダーの上を歩いてしまってましたが、それでも心に残る魅力的な展示空間でした。
OCAT上海館、さらに素晴らしいのは観覧無料だということです。ありがたや。上海ではいつも必ず訪れたい場所です。
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