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上海アートシーン 2021年2月(1)

How Art Museum「暗光 Noire Lumiere」(2020.11.15 - 2021.4.11)がオープンした去年の11月はこの美術館のある方面、浦東(プードン)で市中感染が発生したので、大事をとって事態が落ち着いてから行こうということに(結局その時の感染は数人で、11月中に新規感染ゼロに戻りました)。ちょっと間をあけて、1月に行ってきました。(上の画像は Ulla von Brandenburg 《Personne ne peint le milieu》(2019)展示風景)

記憶の中で薄れていったもの、誤解していたもの/し続けているもの、全体が掴めなくなっているもの・・・そういうものに囲まれて私たちは人生を送っている。こんなテーマのグループ展です。

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前回のベニスにも出品されていた孙原&彭禹 (Sun Yuan & Peng Yu) 作品、《Dear》(2019)。5分くらいの間隔でプラスチックのホースから勢いよく空気が吹き出、ホースは怒り狂った生き物のように強烈な音を立ててのたくりまわる。かなり怖い。けど面白い。

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Bunny Rogers 《Mandy's Piano Solo in Columbine Cafeteria》(2016)
1999年の銃乱射事件の記憶をもとに綴ったアニメーション。コロンバイン高校のカフェテリアにあるピアノを弾くマンディ(有名なシンガーがモデル)の話。実際の事件とは離れた情景なのだけど、それがかえって不気味。

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Tony Oursler 《Elements (Six)》(1997-2000)は惑星のような球体に人間の目が映し出されている作品。このとなりに、牛の像がぐるぐる回る Nabuqi 《Do real things happen in moments of rationality?》 (2018) が置いてあって、シュールさ炸裂。我々はいったい何を見せられているのか?

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さわひらき《Did I?》(2011) 実写とアニメーションが折り重なるモノクローム映像。自分の体験だったか夢だったか、他人の話から想像したのだったか、そういう見たような見ていないような、覚えているようないないようなもの、ありますよね。(この作品、過去に何度か見た・・・あれ、見たよね?)

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杨福东(Yang Fudong) 《The Nightman Cometh》(2011) 
異なる時代の人物たちが同時に登場する映像。不思議とこのフィクションの中で一つの情景として収まって見える。違和感が静かに控えめに差し挟まれる。

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蒋志(Jiang Zhi)《Zi (字)》
本の文字が破裂して飛び散っていく。スローモーションで捉えられた小さな連続した爆発の映像の中で、文字の破片が白く、本を持つ人物の顔や体に降りかかっていく。文字は何を伝えようとしていたのか・・・

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陶辉(Tao Hui)《The History of Southern Drama》
一つ目の、作家の書斎のような部屋で、机の上の機械が自動的に文字を書きつけている。二つ目の部屋でインタビューに答える作家(の役の女性)が、「私はあの作品を公表するつもりはなかったのよ…」と恋人の裏切りについて話している。どこからフィクション? ぜんぶ? でもありそうな話。

曖昧模糊とした人間の記憶についてということで、テーマも漠然としていて、「こういう感じならいくらでもやりようがあるなぁ」と、同業者的にちょっとした物足りなさはありました。そのへんをこの展示に関わった友人、アシスタントキュレーターのザナさん(彼女はロシア出身)に聞いたら、「というか一個展示がとんで、その穴埋めに2ヶ月で企画したんだよね」(!)。

2ヶ月はなかなかのスピードです。私も2010年の「横山裕一:ネオ漫画の全記録」はたしか1月末に決まって4月開催、2017年の「横尾忠則 十和田ロマン」が3月下旬に決まって6月開催と、それぞれ2ヶ月強〜3ヶ月弱の準備期間でしたが、異常でした。急いで企画すると内容の不備もですが、怪我人・病人も出かねないのでやめましょう

でもいまはコロナ禍。いろいろあるよね。そして急ごしらえの展示だったにしては、まとまりと重層性の両方があり、テクスチュアもよく、現代美術ファンとしては十分楽しめるものになっていました。ザナさん、おつかれさま。GJ。

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