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【ひとりごと】日本酒マウンティングおじさんは自己改革できるのか?

    noteにおける僕の記事では、銘柄単体の美味しさを語ると言うより、日本酒本来の性質を僕ならではの方法で観察したうえで、どう美味しく、もしくはどう楽しく飲めるかを考える場にしています。
    ですが、“考える場”であって、“学ぶ場”もしくは“答えを提示する場”ではありません。
    日本酒好きのなかには、味覚についての知識は「唎酒師や清酒専門評価者の資格を持つ方から教えて貰えばいいや」だの「SAKE DIPLOMAの資格を得るついでに勉強して得ればいいや」だのと思う人もいるかもしれません。
    まさに正論ですね。ええ。ですが、正論が全てでしょうか?

    正論ばかりを重んじて、自分で考えないか権威のあるところに縋ろうという考えに至っているのなら、申し訳ありませんが僕の記事が語ることに科学的論拠もエビデンスも無いからですね。
    僕の記事は既存の日本酒理論を参考にこそしますが、あくまでも日本酒を亜流の視点から紐解くためのものです。間違ったことを書いているおそれさえあります。
    ですが、そうした間違いを論破する暇があるのなら無駄なことはしたくないでしょう?

    なので、重箱の隅をつついてでも間違いを許容できないほどなら、今すぐこのページを閉じて貰えたらと思います。
    
    論破するぐらいだったら自分で正しいこと語って下さい。自分でまとめて語って欲しいです。
    ただし、僕の書いたことを受けて「こういう視点・解釈があるのではないか?」「逆にこういう見方があるのではないか?」という意見があるなら大歓迎です。「〜ではない」で終わる論破ではなく、「〜ではない。なぜなら〜」と議論のなかでお互いが伸ばせる環境の方がいいと思いますしね。

    といった注意喚起はここまでとしまして、まぁ何が言いたいかですけれども、こうマウントしてくる人達の顔色を伺う辺り僕は日本酒マウンティングおじさんだということです。そのくせ

  「すげぇ日本酒買ったぜ!」 
  「テイスティングはするけれども、自信は無いんだよな……」     
 「過去の二級酒に縛られているのはなんかいただけないな……」

    と思いながら、知識をひけらかして優越感に浸っているだけですし。知らず知らずのうちにマウントとっているおそれさえあります。
    自虐でも何でもなくて、実際そうなんですもの。虚栄心を満たしたいという気持ちがいつもどこかに滲み出てしまいますし。
    勿論プロでも無いですし、上で書いたような僻み根性さえ出ているほどです。もっともなまじ日本酒を沢山飲んでいるばかりに(6年間で年間100銘柄以上)、初心者だと言ったところで信用なんかして貰えませんしね。

    そんなこと考えている時点で日本酒マウンティングおじさんである僕は、相手をマウンティングしてしまうと判断するや、理性でそれは恥ずべきものだと静止しています。同時に、相手がマウンティングしてくる心理も理解出来るので、冒頭のようなことを書けるのです。



    マウンティングおじさんのいい例として思い浮かべるのは、中島敦の『山月記』の李徴です。『山月記』は皆様も高校あたりで学んだのでご存知かと思いますが、李徴のプライドが高過ぎるあまりに他人と切磋琢磨せず、他者に傷つけられることをおそれた「臆病な自尊心」と、 自身の精神を保つため恥をかかないよう振舞った「尊大な羞恥心」が、彼の心の裡に虎を生み出しました。
    でもとどのつまり、マウンティングする生き物はそんなのばかりな気がします。成長していく中で人の批判を受けるのを恐れる「臆病な自尊心」と、コミュニケーションを嫌う「尊大な羞恥心」ばかりが増幅しているのです。僕も面白い発言ができたり、あるいは分かりやすい言葉でこれを教えるといった優しさもありませんしね。いや、そんな低次元のことで煩悶している時点でもう底が知れているのかも。


    だからこそ、マウンティングする人間から脱却しようとも思いましたけれども、結局マウンティングおじさん精神から抜けきれずに今に至っています。アンビバレントな状態といいますか。
    ただ、大事なことは分かっています。

・イキらないこと
・賞賛を受けようが恥をかこうが平常心でいること
・批判を受けて批判されながらも自分を変える努力をすること
・様々な意見を客観的な立場で聞くこと
・その世界のプロから基礎を学ぶこと。そして、その基礎から逸脱しないようにすること
 

    ですかね。
    他、本来ならばちゃんとした資格を得るというのも客観的に自分の立場を表明するにあたり大事なことです。なので、僕もいずれはそうした資格を得ることも考えねばなりません。でなければ、『山月記』の李徴のような人間のままです。
    ここまで述べたことは完全に自戒の念を込めています。ここら辺大事にしないと、ただ人を馬鹿にした記事を書くだけとなってしまいます。何々ががどうこうとああ言えばこう言い、その秩序を壊そうとするために知識を振えば叩かれるに決まっています。これは哲学者のデカルトの著作『方法序説』でも主張されていることです。

   何はともあれ、日本酒について真剣に語るのであるならば、日本酒に真剣に向きあい、自らを改革していくしかありません。


    最後に、冒頭の画像は金虎酒造さんの「虎変 特別純米 秋上がり」という日本酒です。5年ほど前に飲んだものですが、甘味と酸味のバランスがいいお酒なのを覚えています。
    虎変という銘柄は虎の毛が美しく立派に生え変わることを意味し、大人虎変(たいじんこへん)、もしくは大賢虎変(たいけんこへん)と書けば変革や革新を意味する言葉となります。
    寅年も卯年と変わりましたが、この「虎変」の精神を大事にしていきたく、日本酒を飲んでいけたらいいと思っています。

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