夢を追求する者たち
本日は7時30分に起床。体調は良い。起床後すぐに来週の面談の構想練りを実施。
CJCのプランを考えれば考えるほど、いわゆる
ストックデールの逆説状態になる(最後には勝つとわかっているが、目の前は厳しい現実)
これは恐らく、ずっとこの状態であろう。
やはり自分は人が
「古溪がいてくれてよかった」と思われる行動をすることが自分の幸せである。
昨日、読了した「アルケミスト」もこの本の内容を自分だけが知っているのはもったいないと思い、本日早速先輩に貸した。
人によって、刺さる内容は違うので、もしかしすると彼にとってはつまらないものかもしれないが、それは試してもらった上での感想なら、自分は構わない(時間を取ることは申し訳ないが)
また本日は同期が赤ちゃんを出産したそうだ。
自分と同年代で結婚して赤ちゃんがいるなんて、すごい
今後より一層、彼には彼の運命の追求をしていくのだろう。
自分は自分だ。
今日の進歩
一瞬、一瞬を丁寧に生きて、前兆に気づくことができるような体になるよう努めた。
外を歩いていたら、いつもは気にも留めないような太陽が照っていて、木々のさざめきや鳥のさえずりに気づくことができた。それが何の意味があるのかと問われたら、意味はないが
鳥のさえずりにすら気づくことが出来ない自分の感覚レベルであったら、ビジネスの成功の前兆に気づくこともできないであろう
明日も実践してみよう。というよりも習慣にしよう。
今日考えていたが、自分の人生はCJCのためにあったように思えてくる。
親が寺院とサラリーマンの兼業の元、自分が育つ→一般の大学卒業する(修行に行かないという選択)→社会人になり、本気で寺は継がずにビジネスマンで生きていくことも考えた→結局、自分の寺に何か還元したい気持ちが生まれる→自分と同じように悩んでいる人はいるのではないか?→その解決方法を考えることは、もしかして、この人生を歩んできた自分にしか発想できなかったことでは?→今ここ
全てはCJCの成功のためにあった25年だ。
非常に困難な道のりであるが、確実に上手くいく。
人生は夢を追求する者にとっては寛大にできている。
夢を追求する友人もここにいる
全員で上へあがろう