毒親育ちが一番悲しいこと
徹頭徹尾嫌いなままでいさせてくれたら良かったのに。
こんにちは、天野こだちです。
先日、Twitter(と言い張る)でちょこっとつぶやいたこと(ツリーに続く)なのですが。
これはかなりの孤独を感じることだなぁと思ったので、シェアします。
タイトルに拒否感、嫌悪感、反発などを覚える人には、なおのこと、読んで頂けたらいいなぁと思っています。
何も大げさに言っていないし、うそも言っていない。
つらい、苦しいの先が孤独、という話です。
私だって、親を悪く言いたい訳ではなかった。
親だから「当然尊敬すべき」という呪い
以前、親「だから」好きじゃなくてもいい、という記事を書きました。
親は「尊敬すべき相手」である、という呪いに苦しめられている、私が感じたことをまとめています。
社会的な「一般常識」と、自分自身の親への感情の間に挟まれて、苦しんでいる人がたくさんいることを、知っているから。
誰の隣にも。
親を悪く言ってはいけない
育ててもらったのに恩知らず
親を悪く言うことは、「=悪」だと判断される。
悪いのは、親を悪く言っている子供(わたしたち)なのでしょう。
社会的には、そうなのでしょう。
でもそれは、社会が求める「親」の役割を、親が果たしていることが大前提にあるからです。
でも、親は「親」という役目を負っただけの、ただの人間です。
強くも立派でもない、いたって普通の、ただの人間だということを忘れられている。
「親」というイメージは、空蝉の衣のようです。
親が全員、強くて立派な「親」だったら、虐待やネグレクトで亡くなる子供はいないはずでは?
子供が親を殺す事件は、圧倒的に少ないのに?
毒親育ちの気持ち、感情
つまり毒親に育てられた人の、一番の不幸は、親をよく思ってはいない気持ちを「吐露した瞬間に悪だと断じられ、本当に抱えている気持ちを吐き出させてもらえない」こと。
そして、受け入れてももらえない、理解もされないということ。
親をよく思っていないという、「自分自身の気持ち」を受け止めることすら、してはもらえないということ。
言葉にすることすら、社会的には許されないこと。
世間の大半の人には、理解出来ないのでしょう。
もしくは、理解は出来るけれど許容は出来ないから拒否/拒絶する。
「親だから当然尊敬すべき」という呪いで。
「親が○○でつらい」と口にした、その先は聞いてもらえない。
何故苦しいのか、つらいのか、親がどういう人なのか、何も。
毒親育ちの孤独
運よく話を聞いてもらえたとして、「大げさな」「そんなことある訳ない」「あなたにも問題がある」と否定されたら、もう何も言えない。
一言も噓を言っていなくても、相手にとっては自分が「噓をついているように聞こえている」ことは、悲しい。
拒否/拒絶されていることが、悔しい、苦しい、むなしい。
だから口をつぐむしかないのです。
言ってみたところで聞いてもらえない、理解されない絶望を繰り返せば、あきらめるしかない。
人間である以上、毒親育ちにだって、自分の感情はあるのです。
それ以上傷つく前に、口をつぐんでしまう。
口をつぐむことは、その人の生物としての生存本能だから。
当事者が口をつぐめば、その事実は「ない」ことになります。
だからこそ、「親は尊敬すべき」という呪いが、社会全体から解けない。
「そうでない人がいる」という事実が、「ない」こととして消えてしまうから。
社会に、消されてしまうから。
育ててもらったからこその苦しみ
産んでもらった恩も、育ててもらった恩も、忘れた訳ではない。
むしろ、どちらも感じているから苦しい。
どんなに苦しい、つらい、悲しい思いをしていても、毒親育ちだって「親を悪く言いたい訳ではない」んです。
だって、いい時もある。
親の気まぐれだけど。
笑って頭を撫でてくれた時もあれば、一緒に遊んでくれたこともあったかも。
一緒に食卓を囲んだこともあったかもしれない。
一緒にお風呂に入ったり、寝る時に「おやすみ」と声をかけてくれたかも。
親の気まぐれだけど。
幼い頃にこういった、「なにげない嬉しいこと」を経験している分、嫌いきれないし、憎みきれない。
人間の生物としての生存本能で、「よかったこと」をよすがにして生きているのです。
そうしなければ、「親というつらい現実」をやり過ごすことが出来ないから。
「親を悪く言ってはいけない」現実を、やり過ごせないから。
「よかったこと」をよすがに生きている毒親育ちには、産んでもらった恩、育ててもらった恩を、切り離せないのです。
だから、苦しい。
徹頭徹尾、完全にずっと嫌いでいさせてくれれば、憎ませてくれれば、早々に捨てることも出来たのに。
気力を奪われる。親に、社会に
決死の覚悟で打ち明けた気持ちを、受け入れてもらえない、受け止めてもらえないと知った時の絶望たるや。
言葉では言い表せないこの「絶望としか表現しようのない気持ち」を、どうやって伝えたらいいのかも分からない。
だから、言わないを選択「せざるをえなくなる」のです。
成功体験ならぬ、「失敗体験」が蓄積していくから。
自分の本当の気持ちなのに。
「今度は分かってくれるかも」「この人は受け止めてくれるかも」。
そう思いながら、でも拒否/拒絶を、嘘つき扱いを繰り返し繰り返し。
そのたびに「話すことすら許されないのか」と絶望して、「どうせ話したって」と無気力になっていき、毒親から離れる気力をも奪われていきます。
親と自分は全く違う人間なのに、それを痛いほど感じているのに、毒親に消費され消耗していく。
そういう、悪循環が続くのです。
幼い頃にあった「よかったこと」をよすがにして。
生存本能と「自分の気持ち」の間で
仕方ないとはいえ、あまりにも切ない。
幼かった毒親育ちにとって、「親に見捨てられること=死」でしかなかったのです。
暴力を受けて、分かりやすく傷を負っていれば、誰かが助けてくれたかもしれない。
でもたいていの場合は、傷は心の中にしかないのです。
親からの心ない言葉、心ない態度、心ない仕打ちで、繰り返しサンドバックのようにボロボロの毒親育ちの心は、自分で守るしかなかった。
これ以上傷が増えないように。
これ以上親を嫌いにならないように。
嫌いだという自分の本心に、気付かないように。
自分の気持ちにフタをすることでしか、自分を守れなかったのです。
だから親との「よかったこと」に、すがるしかないのです。
毒親育ちが一番悲しいこと
一緒に暮らしているのは、実際に日常的に接しているのは、毒親育ち本人。
だから、当事者でないと分からない様々なことが、本当はあるのです。
「親」の衣をかぶった親が、家庭という閉鎖された場所で、どのように変貌するのか。
どんな暴力、どんな暴言、どんな音を立てて、どんな干渉をしてくるのか、どう放置されるのか。
そして毒親育ちが、何を思い、どう生きてきたのか。
せめて、言葉にすることだけでも、許される世界ならいいのに。
口に出来ないことが、ひとりで抱えるしかないことが、どれだけ毒親育ちの負担で不満で負荷で、呪いで、足枷であるかを、想像してくれる世界であればいいのに。
せめて、それだけでも。
聞いて欲しい。
否定しないで、最後まで。
聞いて、欲しい。
終わりに
途中で読むのをやめずに、ここまで読んでくれた人は、この「絶望としか表現しようのない気持ち」を、少なからず知っているのかも。
言葉を発して、否定された、無視された、からかわれた、あざ笑うようなことを、されたかも知れませんね。
相手が親でなくても。
多かれ少なかれ、誰にでもこういうことはあります。
毒親育ちには、それが人生の最初から、「親」という衣を被ったただの人間である、自分の親なのです。
生まれた時の最初のコミュニティの主である、自分の親。
成長してからは、周りの誰かなのです。
この痛み、苦しみ、悲しみを少しでも、ほんの少しでもすくい上げてくれたのなら、救われる人がいるんだということを、どうか、忘れないで下さい。
どうか、心から。
2024年11月1日
天野こだち
毒親育ちも良親育ちも、年齢も立場も関係なく内緒話をするメニュー、あります。
「あいつ嫌い!」だろうが、「今日の私を褒めて!」だろうが、何でもありです。
気持ちを吐露する、練習にどうぞ。
大丈夫、否定しません。
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