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【エッセイ】かわいい、文通 『さくらんぼパイ』
もう3年近く、友人と文通をしている。…というと、驚かれる。この時代に文通であることにも、そんなことに付き合ってくれる、変わった友人がいることにも。
文通は、自分の好きなタイミングで、好きなように近況報告ができるっていいよね、という理由から始めた。今はまっている歌、最近作った料理、部活の話。
頑張りたいことができたときには、自分にも言い聞かせるつもりで手紙にしたためる。そのくせ、送った手紙は手元には残らないから、返事が来る頃には何を書いたか覚えていない。無責任なことだ。
先日届いた便箋には、「この間の手紙、本当に良かった。今後もたびたび読み返すことになりそうです」と書いてあったけれど、「この間の手紙」なるものがはがきだったか封筒だったかも記憶は怪しい。黒ヤギさんも白ヤギさんも聞いてあきれよう。
それでもやはり、心の片隅に住みつくやりとりはある。ある時、私は江國香織の『つめたいよるに』という短編集を彼女におすすめした。収録されている、『ねぎを刻む』という短編が好きだった。対する彼女の返信は、「『さくらんぼパイ』、いいよね。女の人ってこういうところがかわいい」。
ノーマークの短編がメンションされた。かわいい女の人がでてくる話なんてあっただろうか。そういわれると、気になってくる。思わず、読み直した。
物語を開くと、そこにいる女性は荒れていた。
”半年前に、僕と静枝は離婚した。離婚話はもつれるだけもつれて泥仕合になり、さんざん憎んだり呪ったりした挙句、最後に残ったのは深い疲労と敗北感だけだった。”
…穏やかじゃない回想から始まるじゃないか。
”いくらドアをたたいても、静枝はあけようとしなかった。放っといてよ、と叫んでごうごう泣いている。僕はどなったりなだめたりして何とかドアをあけさせようとしたが、無駄骨だった。”
うーん、可愛くなんてない。むしろ読んでいるこっちがもやもやする。
私が話をふった『ねぎを刻む』を深堀ってもらえなかったこともだんだん悔しくなってきた。完全に八つ当たりだ。
”僕は静枝が台所に立って悪戦苦闘している姿を想像した。痛々しくて滑稽で哀しくて、僕は百年ぶりくらいに、静枝をいとおしいと思った。許そうと思った。”
そうだ、思い出した。私はこの話を確かに読んだ。あの時も気分はスカッとしなくて、難しいな、と思った。私は女性だから、女性特有の身体の不調も、心の不調も知っている。更年期は、まだわからないけど。
それでも、主人公と同じように、「ムカムカ」から「許そう」、に至る心の変化を自分に望めるかはわからない。正直、めんどくさいと思う。
”パイを切り、端を一かけら口に入れる。さくりと音がして、バターとカスタードがひろがった。さくらんぼの煮方が少したりないけれど、それはものすごく新鮮なパイだった。”
彼女は、このうえなく面倒なこの荒れまくり女性をかわいいと形容した。
これだから手紙は良い。
私にない感性を、ごく自然に届けてくれた。きっと手紙じゃなければ、私も好きな本の話題を持ち出さなかっただろう。
漢字じゃなくて、ひらがなの「かわいい」。
カタカナじゃなくて、ひらがなの「さくらんぼ」。
そういえば、ひらがなは女手と言われていたなと、なんとなく思う。
またひとつ、あらたな世界が届いた。私がもう内容を覚えていない一通を彼女が何度も読み返しているように、彼女にとってのいつもの一通が、私にはこんなに響いていたりもする。
アンバランスで、自分勝手で、これだから手紙は良い。
『さくらんぼパイ』「つめたいよるに」に収録 江國香織
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