心の自己治癒力を”私”が助ける
心と体は似ています。
どちらにも自己治癒力があって、傷つくことがあってもいつのまにか治してくれます。
医療は、体の自己治癒力を助けるためのものだと理解しています。
みんな最後は自分の力で回復しているんですよね。
薬や治療は体に介入するものですから、本来は害にもなりうるものだと思います。
市販薬は、害にならない程度のパワーに抑えられているから、効果もそこまで感じられない、それは体を守るためでもあるのだろうと思います。
医師は、その点を専門性でカバーできるので、自己治癒力を助けるための効果をできるだけ最大化しつつ、害を最小限に抑える医療を行っているはずです。
心も同じです。万能薬はありません。
心のケアの一つとして言葉があげられますが、誰の心にも支えになる万能な言葉はありません。
よかれと思って言ったことが、実は相手を傷つけていることもしばしば。
言葉は心に届く、つまり心に介入するので、薬にもなれば害にもなります。
でも、目に見えないから、それが薬になっているのか害になっているのか、本人も言う側ももわかりづらいのだと思います。
ただ、体より心の方が優位な面が一つあります。
体のための医療は、薬を飲んだり治療を受けたりしてみないと、本当に害がなかったかどうかがわかりません。
精神科医療においても、とりあえず薬を飲んでみて、副作用がどれくらい出るかを確認しながら調整していくことが多いと思います。
副作用には個人差があるので、これをあらかじめ予測する方法はおそらく現代社会ではないのではないでしょうか(この領域の専門ではないので、正しくなかったらごめんなさい。)。
でも、心は、その言葉を聞いて、なんか嫌な感じする、ザワザワする、モヤモヤする、イライラする、などの反応があると思います。
自分にとって害があるものを、さまざまな形で心が知らせてくれるので、そういう反応に気づいたら、その言葉は自分には必要ないものとして、ポイすることができるのです。
それは、自分の心を守るためのとても大切な機能だと思います。
いかにもっともらしい言葉でも、いかに偉そうな人から言われても、自分にとって害になるものはどこまでいっても害なのです。
自分には合わないのかもしれないし、今は時期ではないということなのかもしれない。
理由は様々考えられますが、少なくとも”今の自分”にとっては害であり、不要なのです。
でも、ポイしていいんだということを世の中では滅多に教えてくれないどころか、ちゃんと受け取るべきという風潮が強いので、自分にとって害となる言葉をどんどん溜め込んで、調子を崩してしまう人も少なくありません。
自分にとって害になるものを蓄積してしまっているんだから、調子を崩すのは当たり前です。
そういうことを強いるような社会があれば変わっていってほしいと願うばかりですし、少なくとも、ポイしていいという選択肢をたくさんの人がもてるようになってほしいと願っています。
心は、”私”のことを守るためにいつも頑張って働いてくれています。
ぜひそのサインを大切にしてあげてください。
自分の心の自己治癒力が発揮されるのを助けてあげられるのは、ほかならぬ自分自身です。
もしうまくできない時は、自分の中の”大切な何か”が支障になっているかもしれません。
その”大切な何か”を支障ではなく力にしていくために、他者の力を借りることが助けになることがあります。
誰かと一緒なら、”大切な何か”と対話しやすくなります。
kocoroneでは、そうしたご支援もしていけたらと思っています。