正解にする話
お昼間暑くても涼しい秋風が吹く季節になりました。
夏が苦手な私としては、1年で一番好きな、そして一番短い時間がやってきたなと、ふと安心してしまいます。
”正解にする話”というのは、座右の銘とは言わないものの、最近よく意識する言葉。前の会社を辞めるタイミングでも、お世話になった方に伝えた正直な気持ちでした。
「選ばなかった未来のほう」
大好きなポルノグラフィティの大好きな曲の一つが、「スロウ・ザ・コイン」という初詣の曲に出てくる一節。
この曲の良さは何かしらのサービスで聞いてください、ということ以外にないのですが。
小さなものから大きなものまで、何かしらの選択を経て私たちは生きています。朝起きて最初にお水を飲むか、牛乳を飲むのか、それともいきなりコーヒーでいくのか…。大学を卒業したら就職するのか、進学するのか。人によってその大切さは異なるでしょうし、さらに言えば「それは選択のうちに入らないよ」という方もいるかもしれません。
いずれにしても、選ばなかった未来がどうなっていたのかって、どんなに優秀と言われている人ですら、知ることはできません。
私は新卒で入った会社を2年3ヶ月という短期間で離れる選択をしました。つまるところ、転職活動に勤しみ(といっても3ヶ月とかですけど)、有休を1ヶ月まるまる使いきって、今の会社に入社しました。
転職活動はまさに選択の連続でした。(これは某少年漫画の有名な台詞ですね)
どの会社に履歴書を送るのか、送らないのか。面接は受けるのか辞退するのか。そもそも本当に転職するのか、結果として残る選択をするのか。
今となっては内定を辞退した会社で働くことがどんなだったのかを知ることは不可能ですし、前の会社で頑張ったらどんなキャリアを描くことが出来ていたのかも、想像することすら難しいです。
絶対に真として言えることは、すべて”私が” "自分の意思で" "決断をした"ということだけです。自身の決断を自分以外の何かに依存させると、進んでいく道がどんどん歪むことを知っているので、この部分はぶらさないようにしてきました。そして、これからもそうしていきます。できるだけ、ね。
でも、だからといって、迷わないかといったらそうではない。
不安はないかと言われたら、そんなの不安だらけに決まっています。
まだ最終面接から内定承諾までは良いんです。気持ちも高揚しているし、何より相手も自分も望んでいる方向が同じだから、ネガティブな部分は見えづらい。
反面、現職へ伝えて、形だけのものであっても引き留めをうけて、人事面談をして、退職手続きを進めながら日々の仕事はこなして…としていくと、自分で決めたくせに悲しくなったり、寂しくなったりしました。
そんな時、言い聞かせていた言葉が「自分の選択を正解にする」でした。
その選択が正解か不正解かはすぐには分からないでしょうし、分かる日は来ないかもしれない。分かる頃には、すでに記憶のかなたということもあるでしょう。
だからこそ、目の前の答案用紙と必死で向かい合った学生の頃のように、自分が選択した未来を正解にできるように努力だけは惜しまないようにしよう。
そうすることが、今まで支えてきてくれた人たちへの恩返しになるはず。
そんな気持ちを込めて、退職の挨拶を書いたことを覚えています。
退職して3ヶ月目、社会人になってからは2年6ヶ月が経過しました。
聞いていた通りのこともあれば、「聞いてないよぉ~~」と頭を抱えたくなることもあります。
大学院時代の私に「もう転職したよ、2社目」と教えたら、卒倒するに違いありません。ちょっと流石に、行き当たりばったりが過ぎるんじゃない?と思わないでもないです。
きっと、これからもこれを繰り返すのだと思います。選択して、悩んでいることを前に出さないように正解にしようと必死になって。そのうち本当に正解になって、それなりに楽しく過ごしていく。仕事だけじゃなくて、プライベートも。
そんなこんなで、私は日曜日にサッカーを観に行く選択をしているのですが、既に不正解になりそうな嫌な予感がしています。名古屋のほうに、しっかり念を送りつつ。
明日もぼちぼち、生きていきましょうか。
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