「キングダム大将軍の帰還」映画感想文ネタバレありver.〜想いの継承〜
「キングダム大将軍の帰還」
昨日IMAXで1回目観てきたばかりなのに。どうしてもまた観たくなって。
本日仕事前に2回目、ScreenXで観てきました。
270度の視野が展開される、三画面スクリーンを誇るScreenX。全シーンが三画面展開というわけではありませんが、三画面展開された時のアクションの凄みはひとしおです。
内容としては、1回観たことで次に何が起こるか把握できているため、台詞一つ一つの中身が、より実感を伴って頭に染み込んできました。
何より、「キングダム大将軍の帰還」は2日連続で見ても全く飽きないのです。心が揺さぶられ続ける2時間半は、観る回数を重ねても決して色褪せません。この「大将軍の帰還」を目指して、Part 1から妥協せずに作品を作り上げていったというのですから、やはり集大成となる本作は別格です。
昨日はネタバレなしの感想文を書きましたが、本日はネタバレありの感想文を書きます。
この後からは、またご覧になっていない方はお読みになりませんようお願いいたします。
<ネタバレなしver.はこちらから>
本作は最終章と銘打っているだけであって、全編がクライマックス。
何と言っても、これまで謎に包まれていた、「王騎将軍とはどんな人物なのか」にスポットライトが当たります。
王騎将軍が強いのは、これまで背負ってきたものの重みを知っているから。
その中には、自分の妻になるはずだった女将軍・摎(きょう)の存在が大きいのです。
天下の大将軍が最強たる所以は、最愛の人を失った悲しみと怒りだったのですね。
それが将軍の果たすべき役割と結びつき、失った者たちの想いを無碍にしないために戦地を駆け回り、最強となった。
純粋に武の道だけを追い求める龐煖(ほうけん)と対比的で、ここが、皆から慕われ尊敬される大将軍たる所以なのだと。
映画1作目から3作目まで、大沢さん演じる王騎将軍は、常に不敵な笑みを浮かべていました。しかし、その奥にあったのは、愛する人を失ったとてつもない悲しみと怒り。大沢さんは1作目の時から摎のエピソードを意識して役作りされていたとのことですから、それが最後になって初めて、王騎将軍の感情が爆発した時の見応えと言ったらありません。怪物のような圧倒的なパワーを持ちながらも、その強さの原動力は、あくまでも人間的な深い愛情にあったのだと。
これが、王騎将軍が多くの人から愛されるキャラクターである所以なのでしょう。「人間・王騎」をスクリーンで存分に見せつけ、そこに「王騎将軍が確かに生きていた」と思わせるだけの説得力。それを生み出した、8年間の大沢さんの努力の凄まじさたるや。 本当に凄いとしか言いようがありません・・・。
筆者の感情が決壊したのは、エンドロール。
ONE OK ROCKの「Delusion:All」とともに、王騎将軍と信との出会いからこれまでの歩みが流れるのですから。これはもう泣くしかない・・・(くれぐれも、シアターのライトが点るまで、途中で席を立ってはいけません!)。
「Delusion:All」は、王騎将軍へのレクイエムなのだなと、そのときふっと思いました。
ここで、私が思い出したのは、「鬼滅の刃無限列車編」です。
<ここからは鬼滅の刃無限列車編のネタバレも含みます。ご注意を!>
炎柱・煉獄杏寿郎は、上限の鬼である猗窩座(あかざ)との死闘の末、人間であるが故に体力が尽き敗れます。
主人公・炭治郎にとって、尊敬すべき最強の先輩の敗北、そして死。
煉獄さんも自分の死を受け入れ、炭治郎たちに最期の言葉を伝えます。
そこで炭治郎は「心を燃やせ」という言葉を受け継ぎ、後に煉獄さんの刀の鍔を継承しました。
そして、煉獄さんのイラストと共にエンドロールに流れるのは、LiSAさんの「炎(ほむら)」でした。
当時劇場で「鬼滅の刃無限列車編」を観終えた時、
「そうか、炎(ほむら)は煉獄さんへのレクイエムなんだな」
と思ったのでした。
あくまでも武の道を貫く猗窩座と龐煖。
人の想いを最後まで大事にし、後進に託す煉獄さんと王騎将軍。
なんだか図らずもリンクするような気がします。
煉獄さんから、炭治郎へ、想いと鍔の継承。
王騎将軍から、信へ、想いと矛の継承。
想いは不滅。
想いは受け継がれる。
繋いできた想いほど、人を強く鼓舞するものはない。
だから二作品とも、こんなにも多くの人に、深く愛されるのだと思いました。