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はじめまして

 「過去と未来の間に生きるおじさん」です。サラリーマンをしております。働き方改革等色々言われております。仕事を取り巻く環境も社会の変化と共に大きく変わりました。自分が若かった時代から、若い世代と一緒に過ごす世代になり、色々な価値観にぶつかっています。もっと大きく言えば、文明の衝突なのでしょうか。

 未来はどうなるか予想はできるが言い当てることはできない。今日のことをやるしかない。過去に背負ってきたこことは、自分のことだけでなくたくさんある。過去と未来の間で色々と考えてみたいと思います。

 【プロフィール】  
 仕事は総合電機メーカーで、工場の原価計算からはじまり、工場決算などを経験して、本社の予算や業績管理を経験しました。連結決算のシステムに関わった後に米国基準の内部統制の立ち上げを推進しました。内部監査を経験し海外の統括会社、子会社の役員も経験し、現在ではガバナンス推進の仕事に従事しております。
 哲学の本を読んだり旅行をすることが好きです。それらを通じて教養を身につけたいと思っております。教養とは、自分の知らない世界や自分と違う考えの人を知り、争うのではなくお互いを理解し合い、自分自身を高めていくものと考えています。
 藝術も好きで、現代アートやジャズが大好きで、ハーモニカやクラリネットを吹いています。また、スコッチウイスキーは毎晩のお楽しみです。

 過去は生きて来たことだから、未来のこれから起こることは分からないということに比べたら不安はないと言えるかもしれない。

 しかし過去は自分が生きてこなかった過去も引きずっている。過去があるから今がある。昔の人は自分の代わりに過去を経験していてくれた。

 過去はどれくらい遠いのだろうか。歴史を学べ。よく言われることだ。歴史も書かれて記録されたものもあるが、記録されなかったものもあるであろう。また意図的に削除されたものもあるであろう。歴史を学べ。もしくは歴史から学べというからには、歴史が正確というか事実でなければならなくなってきてしまう。歴史が科学によって解明されるのは信じることなのであろうか。

 わたしが時や時間の流れを意識しはじめたの次のような詩を高校か中学の頃に教科書で知ってからです。三好達治の大阿蘇は、変わらぬ景色に対して目をつぶり、再び開けると百年が経ってしまうというまるで浦島太郎のような感覚に酔いそうになった。**

    
    **

大阿蘇         三好達治

雨の中に 馬がたつてゐる

一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる

雨は蕭蕭と降つてゐる

馬は草を食べてゐる

尻尾も背中も鬣も ぐつしよりと濡れそぼつて

彼らは草を食べてゐる

草を食べてゐる

あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる

雨は降つてゐる 蕭蕭と降つてゐる

山は煙をあげてゐる

中岳の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濛濛とあがつてゐる

空いちめんの雨雲と

やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる

馬は草をたべてゐる

艸千里浜のとある丘の

雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる

たべてゐる

彼らはそこにみんな静かにたつてゐる

ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集つてゐる

もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう

雨が降つてゐる 雨が降つてゐる

雨は蕭蕭と降つてゐる

  

 谷川俊太郎さんの詩も心に響くものである。勿論タイトルの通り孤独をテーマにしていることは明らかである。億光年とあるが時間の単位ではないことも分かっている。距離のことを言っており1億光年は9.5兆㌔メートルである。一年間で光が届く距離である。したがって星の光は過去のものを見ていることになる。この辺りから時間の観念へと推移し不思議な感じとなる。

    

二十億光年の孤独   谷川俊太郎

 

人類は小さな球の上で

眠り起きそして働き

ときどき火星に仲間を欲しがったりする

 

火星人は小さな球の上で

何をしてるか 僕は知らない

(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)

しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする

それはまったくたしかなことだ

 

万有引力とは

ひき合う孤独の力である

 

宇宙はひずんでいる

それ故みんなはもとめ合う

 

宇宙はどんどん膨らんでゆく

それ故みんなは不安である

 

二十億光年の孤独に

僕は思わずくしゃみをした

 

谷川俊太郎詩選集 1 (集英社文庫)より

      
     

そんな時間感覚や時代意識で今後語りたいと思います。

#過去と未来の間 #時代 #谷川俊太郎

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