見出し画像

近江八景の今昔① 瀬田夕照、粟津晴嵐、矢橋帰帆

近江八景──広重の浮世絵で有名になった、滋賀県の美景です。

約500年前の室町時代に、中国湖南省にある洞庭湖の八景にちなんで、関白近衛政家が選んだと伝えられています。浮世絵師の安藤広重の風景画により広く知られるようになりました。


琵琶湖八景・近江八景|滋賀県ホームページ (shiga.lg.jp)

具体的には以下の8か所とされています。

石山秋月 [いしやま の しゅうげつ] = 石山寺大津市
勢多(瀬田)夕照 [せた の せきしょう] = 瀬田の唐橋(大津市)
粟津晴嵐 [あわづ の せいらん] = 粟津原(大津市)
矢橋帰帆 [やばせ の きはん] = 矢橋草津市
三井晩鐘 [みい の ばんしょう] = 三井寺(園城寺)(大津市)
唐崎夜雨 [からさき の やう] = 唐崎神社(大津市)
堅田落雁 [かたた の らくがん] = 浮御堂(大津市)
比良暮雪 [ひら の ぼせつ] = 比良山系(大津市)

近江八景 - Wikipedia

令和のいま、近江八景が画題となって描かれた江戸時代とは景色がうって変わってしまっていることでしょう。でも、それを見比べてみるのは面白いに違いない。ネット検索すると現代との比較写真が出てきますが、やっぱり自分の脚で・目で見てみたいというもの!

というわけで、近江八幡観光(別記事に書くかも?)のついでに、まずは表題の3か所に行ってみました。

①     瀬田の夕照せきしょう

出典: https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ファイル:Hiroshige_View_of_a_long_bridge_across_a_lake.jpg

▲風光明媚な瀬田の唐橋、そして‘近江富士’こと三上山を遠くに望む構図です。

琵琶湖から唯一流れ出ている川・瀬田川にかかる瀬田唐橋は、日本三大名橋のひとつで、瀬田の長橋とも呼ばれていました。その名の通り、もともとは1本の長い橋だったようですが、織田信長の頃に絵画中の左手の短い橋(小橋)と右手の長い橋(大橋)に別れたそうです。

現在はこんな感じです。

浮世絵は視点をかなり上空に置いて琵琶湖を広く見下ろす構図ですが、地上から見ようとすると、近江富士どころか琵琶湖さえもほとんど見えません。(見えているのは瀬田川)

実はこの日最後の訪問地だったので、残念ながら日没後となり、マジックアワーだと割り切って撮影しました。が、意外と空が赤くない・・・。
空の青みの中に、ほんの少し夕焼けの赤みが混ざっているのを感じ取っていただけたら幸いです。

上の写真とは逆に、南西を向いて撮ってみました。
こちらの方が夕焼けが伝わりますね。
昔ながらの風情を残す欄干・擬宝珠。
擬宝珠は江戸時代製のものも混ざっているそうです。
瀬田唐橋の小橋と大橋をつなぐ中間地点は、琵琶湖一周コースの起点になっていました。
瀬田唐橋の上から望む琵琶湖。
瀬田川大橋と、その奥にJR琵琶湖線の鉄橋が写っています。

ちなみに瀬田唐橋の東側を南北に走る湖岸の道路は「夕照の道」と言い、対岸の南西の方角には石山寺があります。

石山寺も「石山寺の秋月」として近江八景の一つに数えられており、中秋の名月の際には観月祭が催されているようです。来年は行ってみたい・・・!


②     粟津の晴嵐

出典: https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Hiroshige_A_road_beside_a_lake_with_some_boats.jpg#mw-jump-to-license

▲琵琶湖沿岸の瀬田~膳所ぜぜまでの松並木が描かれています。

瀬田唐橋から北へおよそ1㎞のところにある粟津原。今は「大津湖岸なぎさ公園」として整備されています。松の木が何本か植えられていて、「粟津の晴嵐」の碑もあります。

こちらも旅程の関係で日没迫る頃の訪問となってしまいました(この後、瀬田唐橋に寄りました)。
粟津の晴嵐の石碑がある位置より北西にある駐車場に車を停めて、琵琶湖ごしに比叡山と比良山を眺めてきました。

現在はこんな感じです

画面右手にかかるのは近江大橋で、画面正面(橋の左手)に見えるこんもりとした茂みは、膳所城跡公園です。その奥にある夕陽に染まった高層ビルは、びわ湖大津プリンスホテルです。

夕刻だったためか、帆船はおろかボートすら見当たりませんでした。でも、湖岸はお散歩やランニングにはもってこいの気持ちの良い道で、ランナーの人や犬の散歩をする人たちが行きかっていました。

ちなみに浮世絵は、湖畔道路より一本内側を通る東海道に視点を置いて描かれています。ただ、現在は湖畔道路と東海道の間にも建物がたくさん建っているので、東海道からならドローンを飛ばしでもしないと、粟津の晴嵐を見ることはできないと思います。


③     矢橋やばせの帰帆

出典: https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Hiroshige_Boats_on_a_lake.jpg#mw-jump-to-license

▲矢橋の船着き場に帆船が帰ってくる様子。

かつて東海道を通って京に上る人たちは、先程の瀬田唐橋を通る陸路ではなく、矢橋から対岸の大津石場港まで、船に乗って道程をショートカットしていたのだそうです。

現在では、かつて矢橋の船着き場であった矢橋港跡が「矢橋公園」として存在しますが、なんとそこからは琵琶湖を眺望することができません。

というのも、その目の前に下水処理用に埋め立ててできた人工島があるからです。この人工島は「矢橋帰帆島」という名前がつけられています。

矢橋公園には、かつての名残である常夜灯と案内パネルが残るのみらしい﹅﹅﹅です。らしいというのは、実はわたくし、矢橋公園や常夜灯の存在を知らないまま、矢橋帰帆島の方に行ってしまったんですね!!

近江八景の位置を地図で確認していたときに、湖岸にある矢橋帰帆島という名前を見て「ここってことやな!」と思い込んでしまいました。後世の人工島だとも知らず・・・。

いやぁ、下調べって大事ですね。涙

矢橋帰帆島の湖岸から比叡山を正面に見た図。ここは午前中に訪れました。

帆船はありませんが、ボートが通りかかってくれました。
琵琶湖大橋を超えた北湖側には、帆を張ったヨットでセーリングしている人たちがいたんですけどね。こちら南湖ではお目にかかれませんでした。


次にこの付近を通りかかることがあれば、矢橋公園の方にも足を運んでみたいと思います!




というわけで、昔とほとんど形が変わっていない琵琶湖と、大きく変わった町並みという対比を実感できました。まぁ矢橋帰帆島にはしてやられましたが。

でも、変わっていったものも多い中で、瀬田唐橋のように昔ながらの風情を残した橋や、「夕照の道」「矢橋帰帆島」のような名称に、歴史を大切にしている地元愛を感じました。


残りの近江八景をいつ収集できるかは未定ですが、訪問の折には記事にしたいと思います。

◆参考サイト
広重の描いた近江八景 (tabi-mag.jp)
近江八景 - Wikipedia
木曽義仲最期の地(粟津の松原・粟津の番所跡) - 平家物語・義経伝説の史跡を巡る (goo.ne.jp)
瀬田の唐橋 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる! (biwako-visitors.jp)
矢橋港跡 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる! (biwako-visitors.jp)
近江八景の旅 矢橋帰帆 | 一般社団法人・東京滋賀県人会 (imashiga.jp)